自分ってなあに


自分の体


自分は、自分の体を介して、現世に現れます。
しかし、肉体と自分とは違います。
肉体がなければ、自分を現世に現すことができません。
だから、体は大切なのです。
しかし、自分は、物理的な実体を持っているわけではありません。
自分は、自分です。

肉体を失うと、自分を、現世に表現する手段を失う。
だから、その先は、わからない。

体は自分ではない。
肉体と自分とは、別物です。

指は、自分ではない。
手術で、自分の指を、切断しても自分でなくなるという事はない。

赤ちゃんは、自分の体を思い通りにできない。
つまり、赤ちゃんは、自分の体を自由にできない。
赤ちゃんは、自分の体を、自在には、使えない。

肉体は、自分の主人ではない。
自分が肉体の主人である。
肉欲に溺れれば自分は、欲望の奴隷になる。
欲望は活力である。
しかし、欲望は、人を暴力的にもする。
凶悪にもする。
抑えきれなければ、自分も周囲の人も傷つけてしまう。
愛する人さえも傷つけてしまう。
人は、欲望を制御してはじめて自由を手にすることができる。

自由恋愛は、純愛である。
自由とは、愛する自由であって
愛される自由はない。
なぜなら、愛される事には主体がない。
自分がないからである。
愛されるという事は、自分の意志がないし、
又自分では決められない。
だからどうしようもない。
自分がないのだから愛されるという事は、不自由な事。
愛は他人(ひと)に求める事ではなくて、自分に求める事。

性欲に負ければ、自分を見失うからである。
相手を自分の思い通りに操ることを自由というのではない。
自分を自分の思い通りに抑制するのが自由なのである。
だから、かつて、道を求める者は、欲望を克服しようと修行したのである。
自由とは、克己心によって達成される。

体が、あるから不自由な思いをするともいえる。
自分は、肉体を介してしか現世に現れることができない。
だから、自分は、物理的な限界に囚われている。
肉体以外に自分を現す、道具があれば、
肉体の限界に、苦しめられはしない。
自分とは、そういう存在。

人格も、性格も、肉体も、価値観も記憶だって自分ではない。
それらは、自分の属性。
むろん、自分ではないといっても、自分とは、切り離すことができない。
そういう属性。

自分は、目には見えません。
目に見えるのは、自分の体です。
体は自分ではありません。
厳密に言えば、自分の物でもありません。
その証拠に、自分の自由にはなりません。
ただ、自分をこの世に現すために、神様に借りているのです。
借りたものはいつか返さなければなりません。
借りた物である以上大切に使わなければなりません。
一度与えられたら、神様は、替わりの物を用意してくれないからです。
だからこそ、自分の身体を大切にするのです。
自分の身体を愛おしく思うのです。
自分の人生は、自分だけのものなのですから・・・。






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