中国は偉大な国である。中国の偉大さは、悠久の歴史の中で育まれたものである。
中国の力の坤元は、中国が悠久の歴史の中で育んだ思想にある。
温故知新。
中国の偉大さの根源は、中国の内にある。中国の偉大さは、その歴史と伝統に現れている。中国の偉大さは、その伝統的思想に現れている。中国の古典が不当に低い評価を受けているのは、人類全体の不幸である。
人類の未来は、中国の伝統的思想の消長かかっているといっても過言ではない。中でも陰陽五行思想が鍵を握っている。
易というと辻占いのようなものを思い浮かべる人が多い。また、所謂神秘主義的なものでと思い込んでいる人が多い様に見受けられる。
易は、決して不合理、不条理なものではない。合理的な体系の上に成り立っている一つの思想である。また、神秘主義的、超自然主義的なものではなく。科学と共通した基盤を多く持っている。
易は、確率統計の世界である。その意味では、先端を行っている思想である。部分、一部から全体を推定する手段が確率統計である。易も部分、一部から全体を推定する手段の一つである。
既知な事象と未知な事象を見極めた上で予測をたてる。解らない事は、解らないと認めるのである。(「知之為知之、不知為不知、是知也」論語 為政)
確かな物、確実な事と不確かな物、不確実な事を明らかにして、確かな物、確実な事から不確かな物を推測する。予め解っていること、予測がつくことと、事前には解らない事、予測がつかない部分がある。事前に解っていることから将来を予測する事、その上に、あらかじめ予測のつかない部分を占うのである。その両面を兼ね備えているのが易である。それは、不合理なことではなく、科学的な考え方と共通している。
解らない事を解ったふりをして断定的な言う事が非科学的なのである。科学でも解明できない部分がある。それが前提である。だから、科学は、仮説の上に成り立ているのである。
この世の中には、百%確実に起こるなどと言うことは、稀である。幾ばくかの不確実な事象を含んでいる。故に、占うのである。それが合理的精神である。この世の全てを予測できるというのは、自らを神とすることであり、それこそ傲慢なことである。現代人は、その傲慢さ故に過ちを犯しているのである。
確率的統計は、数学的前提や過去の実績の範囲内から抜け出すことができない。論理的な飛躍ができないのである。易は、その限界から抜け出すことを一方で目的としているのである。
温故知新。古くを温めて新しきを知るというのは、単に、故事に拘泥すること意味するのではない。新しきを知るとは、革新をも意味する。故に、占うのである。だからといって占いが全てではない。
易を立てる、占うと言っても、現代には、いろいろな定量的、定性的な統計や情報が多くある。その値を用いればいいのである。
陰陽思想の根本は、天人合一思想にある。宇宙と人間を一体と見なす。そして、宇宙と人間を一つの全体としてみなし、その全体が陰陽によって変化し続けていると見るのである。
陰陽は、消長と転化の思想でもある。(「東洋医学のきほん」後藤修司監修 田中康夫著 日本実業出版社)
日本人は、とかく、陰は悪くて、陽は良いという捉え方をする。しかし、陰陽の本質は、本来、陽がよくて陰が悪いという捉え方をしたのでは理解できない。陰と陽とは、状態を示しているのであって正否善悪を意味しているわけではない。
現代という時代は、陽が強すぎる時代である。それは、陽は良くて、陰は悪いという思い込みにも一因がある。
現代は、白日の文明といえる。何でもかんでも白日の下に曝さないと気が済まない。影の部分、則ち、陰の部分を一切認めようとしない。ある意味で、現代社会は、夜のない、夜を認めない社会である。
白日の文化というのは、文化の砂漠化を意味する。影があってこそ光にも意味がある。蔭があるかに多くの生き物は、隠れる場所がある。潤いや湿潤な部分、癒しは、日陰にこそある。だからこそ、多くの生き物は、日中を避けて夜中に活動するのである。人は闇を畏れるけれど動物は、闇にこそ生きられるのである。
現代都市は、不夜城である。夜がない。夜がないから休む時がない。環境にも良くない。生き物だけでなく、大地や湖や河川も休めないのである。現代人は、闇や静寂を畏れ、喧噪を好む。休むことを知らないのである。だから、環境も精神も荒廃する。
夜の闇こそ文化を育む。闇は人間の創造力を刺激するからである。
陽のみを肯定し、陰を否定する現代社会は、陰の世界からの報復に曝されているのである。陰の世界は、癒しであり、安らぎであり、静寂と休息の世界なのである。
上昇や拡大だけが全てではない。成功だけが意味を持つのではない。長所だけが善いのではない。下降の時も縮小の時も必要である。失敗にこそ学ぶべき事が多くある。挫折は、多くのことを気づかせてくれる。苦労は、望んでもするものである。欠点こそ人を成長させる。
第一、上昇する力には、必ず下降の気が働いている。下降する力は、上昇の気を孕んでいる。失敗は、成功の素である。陽中に陰有り、陰中に陽ある。陰陽の均衡が掛けることが問題なのであり、どちらか一方が善くて、どちらか一方が悪いと言う事ではない。
何を以て易を立てるのか。
先ず、前提となる条件や状態、時流である。そして、全体の象、相、そして、その上に個々の働きを基礎とし、正邪の動きに依って易する。
働きや動きは、方向と勢いと原因に着目する。
易で大切なのは、全体の象と相である。医学で言えば、全体の症状である。原因と結果を点と線で結ぶのではなく。全体の関わりによって明らかにする。その為に、六十四の象に分類し、象に依って先ず全体を捉えるのである。
陰陽の象と相を診る際、複数の定量的科目、定性的要因を選択し、組み合わせて総合的に判断することが肝要である。その時、重要となるのは、天地人の分別である。
象は、原因、要素、要因によって構成される形であり、相は、結果が表す形である。
易の世界は、確率統計的空間である。確率統計と一口に言うが、確率と統計は全く異質の世界である。同一の世界ではない。
易にも、確率的な部分と統計的な部分がある。過去の結果や実績を平均したり、定式化することによって全体や事象を推定しようとするのが統計である。それに対し、対象の有り様から事象を予測するのが確率である。
賽子の出目で言えば、過去の実績や実験の結果に依って事象、即ち、この場合出目を予測するのが統計であれば、賽子の形から目の出る確からしさによって事象を予測するのが確率である。
つまり、確率は、象を元として、統計は相を根拠としているのである。確率の元となる要素が象を形成し、統計の根拠となる結果が相を形成する。
確率的に判断するか、統計的に判断するかは、全く異質なのである。易は、その目的によって確率と統計を上手に使い分ける必要がある。何が象であり、何が、相であるかである。そして、何に、象を用い、何に、相を用いるかが重要なのである。
象と相を明らかにし。理を見極め、道を作る。
是故形而上者。謂之道。形而下者。謂之器。化而裁之。謂之変。挙而行之。謂之通。挙而錯之天下之民。謂之事業。(繋辞上伝)
この故に、形而上なる者、これを道と謂い。形而下の者、これを器と謂う。化してこれを裁する、これを変と謂い、推してこれを行う。これを通と謂い、挙げてこれを天下の民に錯く、これを事業と謂う。
目に見えない理が道である。目に見え、手に触れられる物が器。その道と器を関連付けたのが変。そして、それを実現させるのが通。(「まんが易経入門」周 春才 作画 鈴木 博訳 医道の日本社)
更に大切なのは、時中である。その時、その場所、その人が、どの様な象、相であるかである。
時には、始生、漸盛、旺盛、盛極、始衰、転復、或いは、潜伏、顕現、成長、躍動、飛躍、充足、又は、小、壮、老の順がある。
同じ、象や相でも時によって違いが生じる。その時点時点での前提によって象や相を判断することが肝要となる。変化の位置が重要となる。
ただ外見だけでは、曙なのか、黄昏なのか判然としない。これから、日が昇ろうとしている時の景色と、日が沈もうとしている時の景色は、よく似ている。その時を知る事が肝心なのである。それが時中である。
企業経営も資金が不足するのは、創業間もない時と、経営が衰退したた時である。収益が悪いのも始生の時か、始衰の時である。事業を始めたばかりの時は、赤字なのが常態である。しかし、企業を清算する時も赤字が常態となる。経営が上昇しようとしている時の相と降下している時の相は、良く似ているのである。上昇しようとしている時、資金を緩め。下降している時は、資金を締める。しかし、表面上の数字だけを見ても上昇している相なの、下降している時の相なのか、簡単には判別がつかない。流れを見ないと実体は理解できない。
単に外見だけで判断するのではなく。時と方向をよく相(み)ることである。
象や相を表裏、虚実、寒熱、陰陽を以て診断するのである。それが表裏弁証、虚実弁証、寒熱弁証、陰陽弁証の八綱弁証である。
企業経営の実は、現金にある。見せかけの利益は、虚である。いくら収益が上がっても資金繰りがつかなければ、倒産してしまう。それが、黒字倒産である。収益だけが上がって現金収入がないような状態を虚証という。
邪とは何か。邪とは、実なる部分の中にある虚なる部分である。或いは、虚なる部分の実なる部分の働きによって生じる。
例えば、伸ばす時に縮める働きであり、縮める時の伸ばす働きである。成長や拡大、上昇が常に良いわけではない。伸ばす時に伸ばし、縮める時に縮めることが重要なのである。そこに陰陽の気がある。問題は、順逆である。また、過剰な働きも邪である。
会計的に邪が発生するのは、資産の中では、含み損益、無形資産、有価証券のような金融資産、暖簾や営業権、在庫などである。また、費用では、費用性資産、即ち、償却資産。繰り延べ費用。資本の中では、株価。繰延税金資産、繰延税金負債。法人税等調整金。負債を裏付ける担保物件の動向。収益の中の未実現利益、仮想売上、繰延資産などである。
同じ位置でも上昇している場合と、下降している場合は違う。それを良し、悪しで捉えるのではなく、一つの状態、前提として認識し、易は、その場合に採るべき選択肢、進むべき方向を示しているのである。
前提となる条件が違えば、認識も変わってくる。我々が生み出す観念は、認識の所産なのである。儲けに対する考え方は不変ではない。ただ認識の前提である。認識の前提は、その上で成り立つ意識を支配している。
儲け、利益に対する考え方は、時代と共に変わっている。現金主義の時代の儲けに対する考え方は、収支が基本である。それに対し、発生主義の時代になると期間損益が基本となる。
実物貨幣の時代では、儲けは実物の増減を意味するが、表象貨幣の時代では、貨幣価値という情報の増減を意味する。この様な儲け、利益には実体がない。現金は、事実、利益は、見解なのである。
金(ゴールド)は、貨幣の材料だから価値があったのである。金は、確かに、宝石と同じように宝物である。しかし、金が単に宝石と同じ様な宝飾品でしかなければ、金の価値は現在のような物ではなかったであろう。金は、貨幣価値を実現する物だったからこそあれ程、人間を引き付け、血眼(ちまなこ)にしたのである。
しかし、今日の貨幣は、虚であり、貨幣自体に価値はない。この様に金貨本位制度の時代は、虚実が一体だった。しかし、今日の不兌換制度では、虚と実は明確に分離している。それが陰陽を際立たせているのである。また、陰と陽との関係が曖昧に成りつつある。
何を前提とし、何を条件として設定するかが鍵を握るのである。その上で確実なものと不確実なものを見極める。その上で、未来を予測する。それが易でいう占いである。根拠なき予測ではない。
そして、それらの変化するものと変化しないものを構成する要素が陰陽五行なのである。
損益も陰陽である。損益の考え方も損が悪くて、益が善いという捉え方では、利益の真の原理は理解できない。損は、陰で、益は陽である。損と益とが調和して始め利益の効果は発揮される。益の力が強すぎても損益の調和は失われるのである。
変化するものと変化しないもの、その変化するものと変化しないものの根本にあって変かと不変とを主(つかさど)る原則や法則、その三つを三義という。変化と不変とを主る原則や法則は、物事の現象を単純化した規則である。
変化するものを変易と言い。変化しないものを不易という。それを主(つかさど)るものは易簡である。
自然現象は、変化するところと変化しないところがある。変化する部分と変化しない部分を主る自然の法則は一般的で単純である。
市場取引には、変動しない部分と変動する部分がある。変動する部分と変動しない部分を規定するのは会計基準である。会計基準の原理は、いたって、簡易、単純であるべきなのである。
「お金」が悪いわけではない。使い方が悪いのである。「お金」の価値のも変化する部分と変化しない部分がある。しかし、「お金」が変わるわけではない。「お金」の使い道が違うだけである。
変化する部分も変化しない部分も相対的である。つまり、何を前提とするかによって違ってくる。
例えば、元本と金利は、元本が変化しない部分で、金利が変化する部分である。しかし、元本は、物価の変動や為替の変動を考慮すると変化しているようにも見える。何が何に対して変化していないか前提を確定しなければ、何が変化していて、何が変化していないかを判別することはできない。つまり、前提が問題なのである。
欲望が悪いのではない。欲望を制御できない人間が悪いのである。力に善悪はない。善悪は、力を用いる側の問題である。力を調節する仕組みこそが成否を分かつ。
金儲けが悪いのではない。金儲けのために手段を選ばなくなるから悪くなるのである。金に目がくらんで、自制心がなくなるから悪いのである。重要なのは、力の均衡である。中庸である。
陰陽五行を構成する要素の組み合わせが生み出す象(かたち)が力を発揮する。象とは、形相、様相、即ち、構造が何等かの意味や働きを発現させる。そこから一つの宇宙、世界が形成されるのである。宇宙や世界は、空間を意味する。
空間は、位置と運動と関係からなる。対象が置かれている位置だけでなく、その運動する方向と、働きが重要となる。
空間に時間が加わって世界は成り立っている。
陰陽五行に於いては、時間にも、意味があり、方向にも意味がある。
陰陽は、単純な善悪、或いは、是非、二元論的な発想で捉えられるものではない。むしろ、二進法的な発想の方が正解である。
この様な世界観は、複式簿記の世界に通じるところがある。また、今日の情報通信技術にも通じる。
経済現象は、変化として現れる。しかし、経済現象として現れる事象にも、変化するものと変化しないものがある。
変化には、状態の変化がある。状態の変化は、消長と転化として現れる。消長は、量の変化であり、転化は質の変化である。量的変化は、質的な変化を引き起こす。
その変化を見極めるのが、表裏、虚実、寒熱、陰陽である。(「東洋医学のしくみ」兵頭 明監修 新星出版社)
会計でいえば、固定的な科目と流動的な科目である。流動的な物が固定的な物に転化する時や条件、固定的な物が流動的な物に変化する時や条件を見極める事である。
固形物が解けて流れ出すように、会計の世界でも固い物が柔らかくなり、やがて流動的になる。問題なのは、固体と液体の中間にある部分である。柔らかさ。粘度に応じて流動性が問題となる。
始めは、諸事、全て混沌としている。やがて、別れて陰陽を為す。更に別れて天と地となる。天と地、生と死の間、人生がある。その源は、不可知である。不思議である。
この道を進むも、進まざるも、それは自らの意志である。決断である。
無窮から太極が生じる。
太極は、宇宙の精気を吸い込み、放出する。太極の運動によって世界は変化する。その本性は、渾然一体なる状態、玄妙なるものである。
泰初に無あり。有なければ名無し。一の起こる所なり。一有りて未だ形(あら)われず。物得て以て生ずる。之を徳と謂う。未だ形われざる者分有り、且つ然(か)くして、かん(分かれていても隙間ない)無き、之を命という。留動して物を生じ、物成りて生理ある、之を形と謂う。形体の神を保ち、各々儀則有る。之を姓と謂う。(「荘子」天地編)(「中国神秘数字」葉
舒憲 田 大憲著 鈴木 博訳 青土社)
固定的なもの、重い物は、下に沈み地となる。流動的な物、軽い物は、上に上昇して天になる。
乾知大始。坤作成物。
乾以易知。坤以簡能。(繋辞上伝)
乾は大始を知り、坤は物を作成す。
乾は易を以て知り、坤は簡を以て能くす。
乾は、変化を言い。坤は、成物を言う。
この変化の有り様が陰陽へと発展する。陰陽は、変化の根本原理である。
陰陽錯行すれば、則ち天地大いにおどろく。「荘子」
易に太極あり。太極から両儀が生じる。
道は、一に始まるも、一にしては生ぜず。故に、別れて陰陽と為り、陰陽合和して、万物生ず。故に曰わく、一は二を生じ、三は万物を生ず。(「淮南子」天文訓)
一陰一陽これを道という。
資本は、太極である。資本は、損益の結果である。故に、損益も太極である。資本と損益の違いは、静と動にある。資本は、静であり、損益は、動である。陰陽、即ち、貸借は常に均衡している。損益は、その状態を表している。
損益の所在は、天にある。天は時を主る。故に、損益は時の運である。人事を尽くして天命を待て。
太極はただ一である。陰陽に別れて二とする。乾坤、剛柔、消長は、一体にして、二。二にして一体である。相生、相克、相和し、渾然となる。
複式簿記、会計で言えば、太極図は、試算表である。
易を立て占うと言っても、現代は、各種の定量的、定性的な統計や情報が多くある。その値を用いればいいのである。また、目的に応じていろいろな値を組み合わせればいいのである。
陰陽五行に於いては、時間にも、意味があり、方向にも意味がある。
八卦とは、万象の変化を様相を象(かたち)に表したもので、先天八卦と後天八卦がある。先天八卦とは、乾巽坎艮坤震離兌。後天八卦とは、震巽離坤兌乾坎艮である。
先天八卦とは、対応の易であり、生を主(つかさど)る。後天八卦とは、流行の易であり、克を主る。(「まんが易経入門」周 春才 作画 鈴木 博訳 医道の日本社)
先天八卦には、天地、沢山、雷風、水火の順がある。これらの順が対応して一つの巡りを形成している。故に、先天八卦を「対応の易」という。
後天八卦は、万象の消長を表す。故に、「流行の易」である。
震以動之。風以散之。雨以潤之。日以乾之。艮以止之。兌以説之。乾以君之。坤以蔵之。(説卦伝)
雷を以て之を動かし、風邪を以て之を散じ、雨を以て之を潤し、日を以て之をかわかし、艮を以て之を止め、兌以て之を説ばしめ、乾を以て之に君たり、坤を以て之を蔵(おさ)む。
天人合一。
人々の生活と地域社会は一体である。地域社会と国家経済は、不離不可分の関係にある。国家経済は、世界経済の影響から逃れられない。世界経済は、自然の影響に支配されている。自分達の生活を良くするためには、地域社会を改善しなければならない。地域経済を改善するためには、国の景気が安定していなければならない。国の経済を安定させるためには、世界が平和でなければならない。世界が平和であるためには、環境が良くなければならない。環境が良くするためには、世界経済の調和をとる必要がある。世界経済の調和をとるためには、国々の政策の整合性を採る必要がある。国々の政策の整合性を採るためには、地域社会を整える必要がある。地域社会を整える為には、人々が一致協力することが肝要である。まことに、修身斉家治国平天下である。
個人の生活と国内経済は、切っても切れない、合一なものである。国の景気が悪くなれば国民の生活も影響も免れない。国内経済と世界経済も合一である。原油価格が高騰すれば、国内の景気も悪化する。戦争は、周辺国、関係国の経済を直撃する。世界の出来事は、人々の生活に直結しているのである。だから、情報が重要となる。
人々の生活にも陰陽がある。人々の生活は、仕事と家庭とに分かれる。仕事は、職場、則ち、会計を家庭は、家計を形成する。企業は生産を主り、会計は陰で、家庭は、消費を主り、故に、家計は陽である。そして、会計と家計を統制するのが財政で、財政は中庸である。
会計は、経済の陰を形成し、家計は、経済の陽を生み出す。家計、会計の調和によって経済は均衡する。それが経済の両儀である。
経済には、表裏、虚実、感熱、陰陽がある。
企業と家計とは、表裏を為す。金融と実業とは、虚実を為す。好不況は、景気の寒熱の問題である。経済には陰陽がある。それが経済の光と影をつくり出す。経済には、陽の空間と陰の空間がある。
市場に対しては、企業、産業は、供給を主り、働きは陽である。家計は、需要を主り、働きは陰である。この様に、会計や家計は、位置によって働きが異なり、働きによって陰陽が変わる。
経済関係にも表裏がある。表裏があって結びつく。
例えば、アメリカと中国の関係は、表裏の関係にある。アメリカの経常収支が赤字ならば、中国は黒字。資本収支は、アメリカが黒字で、中国は赤字で、その分、外貨準備率が高くなる。為替は、ドル安元高になる。中国が生産した物をアメリカが消費すると言う図式が成り立っている。
この様なアメリカと中国の関係は、経済的に表裏一体の働きをする。表裏は、位置と働きに関係する。アメリカと中国の関係は、位置と働きを生み出す。
位置が象となり、働きが相となる。
経済には、物の経済、人の経済、金の経済がある。人と物は実がある。金、貨幣には実がない。金融は虚業である。虚業だから悪いというのはではない。虚と実の均衡が乱れ、崩れるから経済は変調をきたすのである。
時には、意味と方向がある。金の流れにも時によって意味と方向が違ってくる。その意味と方向を定めるのが位である。
経済の流れ、人の流れ、物の流れ、金の流れで採るべき施策は違ってくる。時の位においてとるべき施策は変えなければならない。それが時中である。
景気の波には、借り手側の問題と貸し手側の問題がある。借り手側の問題は陽の時に顕在し、貸し手側の問題は、陰の時に現れる。(「陰と陽の経済」リチャード・クー著
東洋経済新報社)
実の力が強い時は、実の方に流れ、虚の力が強い時は、虚の方に流れる。その為に、実の力が強いときは、益々、実の力が強くなり、虚の力が強い時は、益々虚の力が強くなる。一方の力に偏り、均衡を失ったときに経済は破綻する。何事も中庸を謀ることが肝要なのである。
市場に需要と供給があるならば、需要は陰で、供給は陽。需要の方に問題があれば、陰の経済に問題がある。供給に問題があれば、陽の問題。しかし、陰中に陽、陽中に陰である。陰の問題は陰だけに問題があるわけではなく。陽の問題は、陽にだけ問題があるわけではない。要は偏りである。
また、借り手がいるからには、貸し手がいる。問題の原因が貸し手にあるか、借り手にあるかが重要となる。借り手は陰、貸し手は要である。また、貸し手は金融である場合が多い。金融は虚であり、産業は実である。金融が一方的に強くなれば、虚、陰の力が強くなりすぎてそれが原因となる。逆に、産業が強く成りすぎれば、陽の力が強く成りすぎて、かえって、物の流れや人の流れを悪くする。大切なのは、中庸をとることである。
同病異治。表面に現れた症状が同じでも時の位によって処方、対策は違ってくる。陰の時に陽の時の処方を行うのは過ちであり、陽の時に陰の処方を行うのも間違いである。
経済には、時がある。経済には、時が関係してくる。時は変化である。故に、時に、易がある。時には、位がある。変化には、順がある。位は時の順によって定まる。時には、始生、漸盛、旺盛、盛極、始衰、転復、或いは、潜伏、顕現、成長、躍動、飛躍、充足、又は、小、壮、老の順がある。
更に、時の変化には、震、巽、離、坤、兌、乾、坎、艮がある。震とは、生である。巽とは、斉である。離とは、相見である。坤とは、致役である。兌とは、説言である。乾とは、戦である。坎とは、労である。艮とは、成言である。
経済の陰陽の循環には、太陽、少陰、少陽、太陰の順がある。
経済は、拡大均衡から縮小均衡へ、縮小均衡から拡大均衡を繰り返す。また、経済主体の活動の場が、損益から貸借へ、貸借から損益へと移り変わる。更に取引は、貸方から借方へ、借方から貸方へと移動する。拡大は、陽である。縮小は陰である。損益は陽である。貸借は陰である。借方は陽で、貸方は陰である。しかも、拡大も縮小は均衡に向かう。取引は、常に均衡する。陰陽は、一に帰る。
人生に、少、壮、労の順があるように、企業、経済の発展には、始生、漸盛、旺盛、盛極、始衰、転復がある。そして、始生、漸盛、旺盛、盛極、始衰、転復、それぞれの局面に陰陽がある。
生まれた時は、自立しようとする力と自立を阻む力が働く。成長期は、愛着と向上心が
青年期には、挑戦か継承かで迷う。壮の時は、気と力が争い。労に至ると執着心、衰退と再生、改心が葛藤する。革新と保守が争う。
始生は、混沌としている。全てに不足する。漸盛は、気の力が盛んである。まだまだ、人も、物も、金も、不足している。旺盛には勢いがある。人も、物も、金も集まりだす。盛極には、陰りが生じる。始衰は、穏やかで充足しているが、衰退の始まりである。人も、物も、金も、充足しているのに、使い道がない。ただ、穏やかに時は過ぎていく。転復は、再生へ時である。新たなる挑戦に備える時である。ただ、人、物、金の蓄えはあるが、老熟して気力に欠ける。再生を過てば、全てを失う。始生から旺盛まで陽である。盛極から転覆までが陰である。
始生と転復は似ている。漸盛と始衰は似ている。旺盛と盛極は似ている。いずれも表裏をなし、対極に位置するが、本質は、虚と実である。始生、漸盛、旺盛には、実がある。盛極、始衰、転復は、虚である。
始生転復の時は、他人の助けが必要である。漸盛、始衰の時は、自分の力を充足する時であり、聞く耳が必要である。旺盛、盛極の時は、自分の力が試される。
始生、漸盛、旺盛の時は、実や力はあっても「お金」がない。盛極、始衰、転覆の時は、「お金」はあっても実体が伴わない。気力に欠ける。漸盛は、お金がなくて気力が余っている。始衰の時は、お金はあるが、気力がない。始生、転復は、共に他人の力が必要だ。しかし、始生は、基礎的な教育を必要とし、転覆は鋭気、精気を必要としている。本証は正反対である。同じ治療をしたら逆効果になる。
万象は無常である。万象は変化する。変化が連続すると流れになる。流れは、やがて循環する。循環は、波となる。この波動が陰陽を生む。
経済の波には、人の波、物の波、金の波がある。この波が重なって経済現象となる。各々の波の象と相が重なって経済の実相が現れる。
小さな波も重なると大波、荒波となる。大波も打ち消し合えば穏やかになる。人の波の周期と、物の波の周期と金の波の周期をよく見極め、波と波とが重ならないように、大きな波は打ち消し合うようにすれば、波動に翻弄されることはない。波は害ではなく。むしろ、経済を動かす原動力なのである。
卦は、六爻に依って象を表す。六爻は、時の変化と状態を表す。六爻で重要なのは、位、時、中である。
六爻は、少、壮、老を表し、また、天地人をも表す。更に、上の半分を外卦とし、下の半分を内卦とする。
初爻は、始まりや根源、基礎、本質を為す部分を意味する。上爻は、表象、外面、則ち、表に現れた事象や結末を表す。二爻から五爻までは、過程と内実を表す。重要なのは、位すなわち位置である。上卦と下卦の位置が同じ爻の陰陽を異にするものは応じ、同じくするものは応ぜずとする。
二爻から五爻までは、位を得るとするが、初爻と上爻は、位を得ずと言う事になる。
始まりも終わりも拠り所がない。位を得ずである。創業も清算も拠り所なく、頼りない物である。それは、赤子であり、老人だからである。どちらも庇護する者、保護する者を必要とする。行く末も定まらず、未来は、茫洋として、不安である。
青年と熟年は、幸せな時であり、悩み多き時である。青年は、伸び盛りであり、壮年は、働き盛りである。どちらも飛躍の年である。
企業にも成長期と躍進の時がある。
少年は、未来へ希望を持ち、自らを鍛えて、志す時である。成熟は、一方での伸びか止まると同時に、次の再生、躍進に備える時でもある。
少年から熟年までの間は、自立することが可能である。故に、位を得るである。そして、最も充実しているのは、中庸である。中庸は、太過、不及もない。企業経営も、経済も、人生も中庸を目標とするのである。
六爻には、天地人を表すこともできる。その場合は、初爻と二爻が人を三爻と四爻が地を五爻と上爻が、天を表す。
六爻には、土台と建物と環境・状況を表すことができる。その場合は、初爻と二爻が基礎や本質を三爻と四爻が建物や組織を五爻と上爻が、環境や状況を表す。
上卦は海外、国外を表し、内卦は、国内を表すことができる。また、上卦は、市場を内卦が企業を表すこともできる。更に、上卦は家の外を内卦は家内を表すこともできる。
気は、森羅万象の源である。
混沌とした気が凝集し、固まって元気となる。元気は力である。元は一である。元気が分かれて陰陽が生じる。陰陽の気には引き付け合う力と、反発し合う力がある。
陰陽は、引き合い、反発しあいながら一体となる。陰がなければ、陽はあり得ず、陽がなければ陰はあり得ない。万事は相対的である。
天気、気象は、経済にもある。
祈り。
気を籠めれば、命が宿り。命が宿れば、心が生じ、心が生じれば神に通じる。
万象を動かすのは力である。力は、働きを生む。働きの根源は、気である。気は、働きの元である。故に、気は力である。気の始まりを元気という。万象を動かすのは気である。
働きには、第一に、競争、第二に、対立、第三に、協調、第四に、連携(共同)、第五に、表裏がある。
万象には、表裏がある。表裏は、陰陽を生む。表裏を為す変化が陰陽を生み出すのである。
市場の働きには、第一に、競争、第二に、対立、第三に、協調、第四に、連携(共同)、第五に表裏がある。市場の働きは、競争だけではない。
市場は、取引によって成り立っている。市場の取引には、表裏がある。
債権には、債務が対応する。売りには買い、貸しには借り、支払には受取、生産には消費、輸出には輸入、出には入、上昇には下降がある。
買う者がいれば、売る者がいる。売り買いは同値である。売り買いは、その時点時点、則ち、時中に於いて同値である。輸出する国が有れば輸入する国がある。円と元では、円が上がれば、元が下がる。元が下がれば、円は上がる。
借りる者がいれば貸す者がいる。貸し借りは、時中に於いて同値である。
一つの取引は、債権と債務を生み、更に、貨幣価値を実現する。債権は、陽で、債務は陰である。実現された貨幣価値は、現金である。しかし、元となる取引は一つである。
貿易収支は資本、損益一体である。貿易収支は、資本収支と経常収支に分かれ、資本収支と経常収支の総和は一体として均衡する。それを前提として経常収支は、輸出と輸入に分かれる。
資本収支と経常収支の均衡が保てなくなると国家経済は、破綻する。それが、1997年、タイを震源としたアジア通貨危機である。
企業損益は、借方、貸方に分かれる。そして、貸借と損益に分かれる。貸方借方は、一体である。借方、貸方の均衡が保てなくなると企業経営は、破綻する。
紙幣は、陰であり、虚である。紙幣の始まりは、国民に対する国家の借入である。紙幣のは、借用証が元なのである。
紙幣は、取引によって同量の債権と債務と現金を生み出す。債権は、陽で、債務は陰である。現金価値は、一である。
紙幣は、虚である。それ自体が何等かの価値を言うするわけではない。純粋に貨幣価値を指し示す指標に過ぎない。
注意しなければならないのは、現金は、貨幣という実物である状態では資産に分類されるという事である。
世界貿易の収支は、世界全体で見れば一つであり、相和は、0、零である。それが、個々の経常収支からすると損益が分かれ陰陽となる。経常収支が分かれれば、資本収支も発生し、損益が分かれる。経常収支と資本収支は、表裏を為す。
時間が陽に作用する形を相、陰に作用する形を象と言う。時間が陽に作用するから相は、変易となり、陰に作用するから象は、不易となる。
会計処理には、時の流れに基づく象と相がある。それが貸借であり、損益である。そして、それは簡易な基準によって制御されている。日々の取引は、故に記録することができる。
不易は、基準であり、枠組みである。故に、象。変易とは、実際に現れた値。故に、相。簡易とは、そこに働く原則や法則である。
不易は、位置を表し、変易は運動を表し、易簡は、関係、法則、基準、ルールを表す。
時間が陽に作用する相、変易において重要なのは、時中である。
相にも、象にも定型的な形と不定型な形がある。
音楽では、定型的なものを調子、不定型な流れを旋律、音の組み合わせを和音という。和音には、調和し、安定した組み合わせと乱調で不安定な組み合わせがある。
調和し、安定した組み合わせをただ和音と言い、乱調で不安定な組み合わせを不協和音という。
生活や仕事、経済にも旋律、調子、和音がある。
天地人の象を定め、現実の相、値を色分けすれば、天意が現れる。その実相から国々の関わりや仕組み、法則を探り当てるのである。
アジア通貨危機の構図も天地人の様相、象を色によって表せば明らかになる。世界は、連鎖しているのである。
会計の原理を陰陽五行に当て嵌めると貸方は陽、借方は陰である。
資産、費用は陽で、負債、収益は、陰である。陰陽の力は、拮抗している。複式簿記においては、貸方と借方は常に均衡している。
企業業績の象と相を診る場合、初爻は、固定資産。二爻は、負債。三爻は、流動資産。四爻は、費用。五爻は、収益。上爻は、資本である。
作用が有れば、必ず反対の作用が生じる。出る者があれば入る者がある。出るとはいるはの根源は同じなのである。陽は、入る所と出る所の違いである。内から見れば出るであり、外から見れば入るである
時は、変化を生じ。変化は、運動を生じ。運動は、働きを生じる。働きは、一方向に作用するのではなく双方向に作用するのである。故に、働きが生じれば、陰陽が生じる。しかし、その根源は一である。
「お金」の流れは、反対方向の財の流れを生じる。市場では、物の流れの反対方向に「お金」は流れるのである。物の流れは、実でなら「お金」の流れは虚である。
かつて、貨幣には、金銀銅の実体があった。金貨本位制の時代は、「お金」は、金、金貨だったのである。つまり貨幣価値は、実物に結びついていた。つまり、表裏、陰陽、虚実は一体だったのである。しかし、不兌換紙幣は、物は物、貨幣は貨幣に分離した。表象貨幣の時代になると金は、金、貨幣は貨幣に分かれたのである。金銀は、実ならば、貨幣「お金、紙幣」は、虚なのである。そして、実に虚が入り、虚に実が生じた。陽中に陰有り、陰中に虚有り。
そこから、経済には、虚と実が生じたのである。それが現代経済の表裏、陰陽である。この表裏陰陽を理解しないと現代の市場の動きを理解することはできない。市場経済には、光と影の部分がある。
負債、収益は影である。実体はない。貨幣その物が実体を映した影だからである。実体は、資産や費用にある。負債も、資本も、収益もそれ自体では成り立たない、虚ろなる対象である。
貨幣は、物の市場価値を現した指標に過ぎない。貨幣その物が価値を持つわけではない。その物が持つ価値を指し示した物なのである。しかも、実物貨幣は、貨幣その物に実物価値があった。しかし、不兌換紙幣が貨幣の基本単位になってからは、貨幣その物にから名実ともに実体的価値がなくなった。
損と益とは時の運、地の利、人の和で定まる。
利益が上がればいいと言うわけではない。損は、常に悪いとは限らない。得も、損も、その働きにある。損して得をするという事もある。得をして損することもある。得る物があれば失う物もある。要は、算段である。本質は、天にある。
一つの動き、変化は、陰陽、二つの作用を生む。
円とドルとの関係で言えば、円が上がれば、ドルは下がる。円と元の関係で言えば、円が下がれば、元は上がる。陰陽は、内と外では、逆に出る。損と益、益と損は、表裏を為す。
陰陽の働きは、表裏となる。しかし、その元となる変化、現象は、一である。陰陽、二つの働きは、関係を生み出す。関係は、連鎖に転化する。一つの変化は、陰陽となって連鎖する。上昇と下降は同じ運動である。しかし、上昇とする者、下降とする者を同時に生み出し、上昇と下降という関係を成立させる。そして、それが陽となり、陰となり、連続した変化を呼び起こす。
この変化の行方が問題なのである。
変化は、連鎖する。為替の変動は、輸出品には、順、輸入品には、逆の反応をする。即ち、為替が上昇すれば、輸入品も上昇する。逆に輸入品は下降する。輸入品の動きに物価の動きは、順に連動する。即ち、輸入品が下降すれば、物価も下降する。故に、為替と物価の動きは、逆、即ち陰である。
輸出品は、為替に順に連動する。輸出品の動きは、国内の産業の業績には、逆に反応する。故に、国内の産業にとっても為替の動きは陰である。
一つの国の変化は、交易、市場を通じて周辺国や関係国へ伝播する。伝播の速度と効果は、取引の有り様によって決まる。取引には、競争、対立、協調、共同、表裏がある。競争だけではない。
共同していると速度や効果は、相乗、相和(比和)する。故に、経済の伝播の速度効果を知る為には、国家間の関係を知る必要がある。
為替の動向と経常収支は、表裏陰陽を為す。経常収支と資本収支は、表裏陰陽を為す。金利の動きと物価の動きは、表裏陰陽を為す。物価と、景気は、表裏陰陽を為す。景気は、雇用と表裏陰陽を為す。雇用は、物価と景気に作用する。物価と景気は、経常収支と資本収支に作用する。経常収支と資本収支は、為替の動向を左右する。この変化の流れが経済の吉凶を定める。この変化に経済の実相は現れる。そして、その根底にあるのは虚と実である。
故に、経済の消長は、為替の動向、資本の動向、金利の動き、物価の動き、景気の変化、雇用への影響を勘案して為されなければならない。
重要なのは、変化の兆しと変化の方向である。
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。
陽中に陰あり。陰中に陽あり。
陽の働きと陰の働きの違いは、例えば、発散は陽、収斂、涌泄は陰である。表は陽で、裏は陰。実は陽で、虚は陰である。開放は陽で、閉鎖は陰である。分散、民主は陽で、集権、統一は陰である。
外へ向かって放出は陽で、内に向かう収斂は陰である。能動は、陽で、受動は陰である。吐くは陽で、吸うは陰である。
上昇は陽で、下降は陰である。成長、拡大は陽であり、衰退、縮小は陰である。固いは、陽で、柔らかいは、陰である。エネルギー、活力は陽で、物質は陰である。
動は陽であり、静は陰である。明るいは陽で、暗いは陰である。熱いは陽であり、冷たい、寒いは陰である。強は陽であり、弱は陰である。
精神は陽であり、肉体は陰である。時間は陽であり、空間は陰である。
損益は陽であり、貸借は陰である。支出は陽で、収入は陰である。消費は陽、調達、即ち、生産は陰である。債権は、陽で、債務は陰である。
費用は、貸借から見ると陽であり、損益から見ると動であり、故に、陽である。即ち、費用は、陽と陽で太陽である。資産は、貸借から見ると陽で、損益から見ると陰である。故に、資産は、小陰である。負債は、貸借から見ると陰で、損益から見ると陰である。故に、太陰である。収益は、貸借から見ると陰で、損益から見ると陽である。故に、小陽である。
資産、負債、収益、費用を働きの正反に依って更に、八つに区分し、乾坤震巽坎離艮兌とする。
収益の正の働きは、陰である。収益の動きは、不透明で、判然としない。不確実で、流動的で柔軟であり、裏で働く。故に、収益は陰である。また、収益は、根本的に受けである。
逆に、費用の働きは、陽である。費用は、堅い上に固定的であり、確実に表で作用する。故に、陽である。つまり、収益は、虚で、費用は実である。
利益は、幻である。資本主義とは、幻を追う経済なのである。
現代経済は、陽の力が強すぎる。故に、乱れるのである。
陰陽を以て経済の象と相を診るにあたり、先ず、天地人の配置を明らかにする。次ぎ、外卦を上卦とし、内卦を下卦とする。
将以順性命之理。是以立天之道曰陰與陽。立地之道曰柔與剛。立人之道曰仁與義。兼三才而両之。(説卦伝)
将に以て性命の理に順(したが)わんとす。是を以て天の道を立てて陰と陽と曰い、地の道を立てて柔剛と曰い、人の道を立てて仁と義と曰う。三才を兼ねて之を両(ふたつ)にす。
天地定位。山澤通気。雷風相薄。水火不相射。八卦相錯。数往者逆。是故易逆数也。(説卦伝)
天地位を定め、山沢気を通じ、雷風相い薄(せま)り、水火相い射(いと)わず、八卦相い錯(まじ)わる。往を数うのは順にして、来を知るは逆なり。是の故に易は逆数なり。(「易」本田 済著 朝日新聞社:)
天地人とは、天の時、地の利、人の和を言う。つまり、天は、時間、時代、地は、物質的空間、人は、自己の内的空間を言う。或いは、天は、世界、又は、外界、地は、国内、或いは、内界、人は、人間関係や組織、体制、或いは、自己である。時の価値は、貨幣によって生じる。
企業で言えば、天は、市場、地は会社内部、会計、人は、人材も組織を言う。
天は、美醜を以て判断し、地は、真偽を以て識別する。人は、善悪を以て診る。真善美一如。
経済の象と相を診る際、天を顕すのは、世界経済の状況、経常収支、原油の動向、為替の動向、国際政治動向等である。また、地は、経済の成長率、物価上昇率、生産力、市場の状況、財政、外貨準備高などである。人は、人口、個人所得、体制、指導者の性格、組織、政策、計画性などである。
人を分析するのに、量的な要素と質的な要素がある。量的な要素は、人口や個人所得などであり、質的な要素は、指導者の性格や体制である。
量的な要素は、陽であり、質的な要素は陰である。動的な要素は陽であり、静的な要素は陰である。
企業経営の象と相を診る際、市場や景気動向は天であり、企業の収支状況は、地であり、経営者の性格や人材、組織は、人である。
何を基準にするかによって見立ても違ってくる。
国家間の力関係を占うならば、課題に応じて科目を選び、各々の国の力を天地人に分けて比較することである。その場合、相手国は、陽で、自国は陰である。
全体を比較する時は、例えば、天は、経常収支、経済成長率、地は、金利、財政収支、人は、物価、一人あたりの国民所得である。
為替の変動の易を診るには、為替の与える影響に基づいて易する。為替の変動に影響を与えるのは、、金利である。為替の変動は、外貨準備率、物価、失業率に影響を与える。その結果は、経常収支、資本収支、財政収支に現れる。そして、経常収支、資本収支、財政収支は、為替に還元される。
国と国との関係の形を詳(つまびら)かにするならば、外卦を上とし内卦を下とする。各々を天地人によって配する。
例えば、陰陽を以て中米関係を診る。
現在の中米関係は、陰陽、表裏一体の関係にある。経常収支、資本収支は、外貨準備は、表裏を為す。故に、金融政策は、一体となり、順逆は相対的となる。その基盤は、中国が陰で、アメリカが陽である。
中国にとってアメリカ経済は、外卦であるアメリカは基軸通貨国であるから天は、陽。地は、財政赤字で陰。人は、個人消費が下降し陰。即ち、アメリカは、中国から見て艮の卦。
内卦は、世界経済は、縮小傾向にあるため、天は、陰。地は、中国経済は、引き続き拡大しているから陽。人は、個人所得が上昇し、消費が拡大しているから陽。即ち、陰陽陽の兌の卦。
中国にとってアメリカ経済は、艮上兌下の卦で損。
中国にとって損といっても中国に悪い卦ではない。
中国は、外に私心を去って動ぜず(艮山)内に、悦んで修養努力(兌澤)する。忿りを懲らして、よくを塞げである。損はそのまま天理より見れば益である。動(震雷)いて従う(巽風)の象、上より下に下る。損が極まれば必ず益す。(「易學入門」安岡正篤著 明徳出版社)
アメリカから見て中米経済の外卦である、中国は、経常収支は、黒字で、天は、陽、アメリカに対して中国は、輸出拠点であるから地は、陽。体制は、統制的であるから人は、陰。巽の卦。
内卦は、アメリカ経済だから経常収支は、赤字で、即ち、天は陰。財政は、赤字で炎上しているから、地は陰。国家体制は、民主的であるから人は陽。つまり、陰陰陽の震の卦。アメリカにとって中国経済は、巽上震下の卦で益。
アメリカにとって益と行っても必ずしも良い卦ではない。
君子以見善即遷。有過即改。
子曰、倣於利而行、多怨。(「論語」里人)
莫益之。或撃之。立心恒勿。凶。
アメリカは、益して已まねば必ず決(き)り開かぬばならぬ。故に益を受けるに夬を以てする。巽風の卦は、其の究めは燥卦である。よくよく戒める必要がある。
金融資本は、虚であり、陰である。資本取引は虚であり陰である。現在のアメリカ経済は金融に支配されている。故に、虚である。
金融危機の多くは、この虚に依拠する。
金は、虚である。金(金融)に支配された世界は虚しい。また、危うい。
会計を構成する要素、元素は、資産、負債、資本、収益、費用である。
資産、負債、資本、収益、費用を五行に置き換えると資産は、木で、費用は火、負債が金で、資本は土であり、収益は、水である。
木は家となり、家具となり、紙となる。木は、大地をしっかりと固め、水害や山崩れから人を守る。木は、雨風から人を凌がせ、木陰を作って人々に憩いを与える。
木は、土に根を張り、水によって成長する。火に焼かれて土となり、金で切られる。
火は、木を燃やし、水を沸騰させて、仕組みを動かし、事物を推進する原動力に変える。また、火は、土でできた炉の中で、金属を溶かして器に変えたりもする。
ただ、水が足りなければ過熱し、最悪な時は爆発的な変化を招く。また、水が過剰になると熱を冷ます。火は、器や仕組みによって始めて用をなす。器や仕組みがなければ危険な物である。
金は、土の中から掘り出され、火によって溶かされ器となる。一度、器となれば、水を蓄え、火を抑え、土を盛り、木を伐る。金は、文明の利器を生み出す。
金は扱い方によっては、鋭利な武器となる。金を扱う目的を定めるのは人である。
土は、万物を育む。万物は、土から生まれて土に帰る。土は、水を堰き止め、流れを定め、水を溜めて蓄える。土は、金属をその内に蔵する。火は大地の上で燃えさかる。そして、土は、その蓄えた養分を草木に与えて育む。
上善は水の如し。水は、器に合わせて姿形を変える。土に浸透し、万物を潤す。水は、土を潤し、木を育て、金に蓄えられて、火を消す。水は、時に応じて万物を押し流し、始源に返す。そして、大地を肥沃にする。古来、水を制するのは、国の第一の務めである。
水を押し止めるのは土である。また、水を吸収するのも大地、土である。
簿記上の取引には、第一に、資産(正)と資産(反)(木と木)。第二に、資産(正)と負債(正)(木と金)。第三に、資産(正)と資本(正)(木と土)。第四に、資産(正)と収益(正)(木と水)。第五に、負債(反)と資産(反)。第六に、負債(反)と負債(正)(金と金)。第七に、負債(反)と資本(正)(金と土)。第八に、負債(反)と収益(正)(金と水)。第九に、資本(反)と資産(反)(土と木)。第十に、資本(反)と負債(正)(土と金)。第十一に資本(反)と資本(正)(土と土)。第十二に、資本(反)と収益(土と水)。第十三に、費用(正)と資産(反)(火と木)。第十四に、費用(正)と負債(正)(火と金)。第十五に、費用(正)と資本(正)(火と土)がある。
要素と要素の関係、元素と元素の関係、即ち、結びつきや関連が問題となる。結びつきと力関係によって方向が定まる。
水は潤下し、火は炎上し、木は曲直し、金は、従革(じゅうかく)し、土は、稼しょく(かしょく)する。水には、潤す作用があり、火には燃え上がる作用があり、木には、曲直しながら伸びていく働きがあり、金には、変化を促し、適応する作用があり、土には、諸々の物を生み出す力がある。
水は流動的で、火は、発散。木は、伸長、金は、凝固させ、土は弛緩させる。
公共投資は、消費である。消費とは、即ち、火である。火である公共投資は、経済を引導する活力と成るも、取り扱いを誤ると経済を炎上させる。
「お金」の源は、負債である。負債は債務である。債務は陰である。金は、虚である。実は物にある。物は資産である。物は陽である。
金の力が過剰になると市場は虚となり、実体経済が、乱れる。物の力が過剰になると市場は高騰する。
円高になったら物価も安くなるであろうか。円高になって安くなる物と円高になっても変わらない物がある。更にいえば、円高になることで高くなる物もある。
価格の中にも変化する部分と変化しない部分がある。価格の中で変化する部分と変化しない部分は、なぜ生じるのかを知るためには、価格を構成する部分が何に結びついているかを明らかにする必要がある。
円高になって儲かる企業と、儲からない企業がある。円高になっても変わらない企業もある。
円とドルの関係では、円が上がれば、ドルは下がる。元と円の関係では、元が上がれば、円は下がる。円とドルの相場の動向は、円の力によるのか、ドルの力によるのかを見極めなければ理解できない。
変化は、連鎖する。各元素間には、相克(相剋)、相生、相和(比和)、相侮、相乗と言う働きがある。元素は、反目しながら、また、合体し、或いは、再生を繰り返していく。そして、それは、循環、転生の運動の原動力に変じる。上下運動が回転運動に転じ、一次元の運動が二次元の運動に転換される。
一元にして復た始まる。物極まれば必ず返る。
時間には、変化の方向と繰り返しがある。繰り返しは、循環という思想を生む。この循環するという思想を前提とするか、否かは、その後の展開に決定的な影響を及ぼす。
また、運動は一様ではない。循環にも変化がある。諸行無常という考え方がある。万物は流転し、止まることを知らず。同じ現象は二度と起こらない。諸行無常である。諸行は無常であるけれど、それでも現象の背後には、一定の摂理が潜んでいる。それがダルマである。
歴史は、繰り返すのであって、時間は、一定方向にただ流れ続けているのではなく。蒸発して天に昇り、雲となり、雨となって自然界を循環している。そこに働いている自然の法則は一定である。故に、自然を観測し、法則を見出せば、物体の動き、変化を予測することが可能となる。
取引には、相克する取引と協調する取引がある。引き合う取引と排斥し合う取引がある。加算される要素と引かれる要素がある。同調する取引と反目する取引がある。
一つの方向の作用には、必ず反対方向の作用が働く。一つの方向の取引には、逆方向の取引が存在する。債権が生じれば、債務が生じる。債権と債務は、同量の貨幣価値によって表現され、実現する。それが現金価値である。
相生とは、一つの元素から他の元素が生み出す働きである。
木から火が生じ。火から土が生じ。土から金が生じ。金から水が生じる。
資産から費用が生じ。費用から資本(利益)が生じ。利益から金が生じ。金から収益が生じる。
震巽は木で離火を生ずる。しかし、離火は、坤土を通じてしか万物を成熟させることはできず。兌乾は金に属し、坎水を生じる。坎水は、艮土を通じなければ木を生じない。(「まんが易経入門」周 春才 作画 鈴木 博訳 医道の日本社)
資産は費用を生じるが、費用は、利益、資本に転化しないと何も生み出さない。負債は、収益を生み出すが、収益は、利益に結びつかなければ資産を生み出さない。
資産が費用に転化するのは、費用性資産、即ち、償却資産である。この償却資産の活用によって資本が生じる。資本をファイナンスする事から収益を向上を計るのである。
費用が資本の母体となるのは、費用性資産が資本に根を張るからである。
資本が金、即ち、負債を侵すというのは、レバレッジによって資本が借入の素となるからである。資本と借入は一族である。資本と負債が金融を生み出す。借入は、虚である。金融資本は、虚である。
自己資本規制とは、金の親である土によって金を抑制しようとする思想に発する。
資産から費用が生じる取引は、資産が減で費用が増であるから貸方費用、借方資産と仕訳される。
費用から資本が生じる取引は、費用性資産の減で資本の増であるから、貸方、費用性資産、借方資本と仕訳される。
資本から負債が生じる取引は、資本が減で、負債が増であるから貸方資本、借方負債で仕訳される。
負債から収益が生じる取引は、負債が減で収益が増であるから貸方負債、借方収益に仕訳される。
収益から資産が生じる取引は、収益が減で、資産が増であるから、貸方資産、借方収益である。
相剋とは、元素が他の元素を抑制する働きである。
木は、土に克ち。土は水に克ち。水は、火に克ち。火は金に克ち。金は木にかつ。
資産は、資本に克ち。資本は、収益に克ち。収益は、費用に克ち。費用は、負債に克ち。負債は、資産に克つ。
相生は、安定を、相剋は、変革を促す。
相和、比和とは、同じ力が重なると力が過剰になることを意味する。
相和の取引は、貸方資産、借方資産。貸方負債、借方負債。貸方資本、借方資本の取引である。
ヘッジ取引は、反対取引を旨とするが、同じ方向の取引をすれば利益もリスクも増殖させられる。それが良いか、悪いかは、別の問題である。決断は、自分の意志の問題である。
相侮とは、元素の力が強すぎることによって他の元素の制約を受け付けなくなることである。
木侮金。木が強すぎると金の克制を受け付けずに、木が金を侮る。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)資産の力が強すぎると負債の力を侮る。バブルが好例である。
金侮火。金が強すぎると火の克制を受け付けずに、逆に、金が火を侮る。負債の力が強い時は、負債は、金利に制約されずに金利の力を負債が侮る。また、いつでも借入ができる時は、返済計画や費用のことを考えずに借入に頼るようになる。
火侮水。火の力が強すぎると水の克制を受け付けずに、火が水を侮る。費用の力が強すぎると収益による制約を受け付けずに、収益を費用が侮る。財政赤字が典型である。収益より費用が多すぎるのである。
水侮土。水の力が強すぎると土の克制を受け付けずに、水が土を侮る。収益力が強すぎると資本の制約を受け付けずに収益が資本を侮る。
土侮木。土の力が強すぎると木の克制を受け付けずに、土が木を侮る。資本の力が強すぎると資産の制約を資本が受け付けずに、資本が資産を侮る。
資産の裏付けもないのに、株価の時価総額ばかりあてにして経営を疎かにする。昨今のITバブルやM&Aが好例である。
資産家は、自分の資産に驕り、借金を甘く見て、収益を度外視し、道楽商売、殿様商売に陥りやすい。結局それが命取りとなるのである。老舗や資産家が資産がありながら事業に失敗するのは、木悔金や火侮水に依るのである。
火虚金侮。火自身が弱いため、金を克制することができず、逆に金が火を侮る。
費用を掛けただけの効果が得られず、金融機関に侮られ、資金繰りに追われる。
水虚火侮。水自身が弱いため、火を克制することができず、逆に火が水を侮る。
収益力が弱いために、費用を抑えられず。費用に収益が侮られる。
儲からないためにかえって費用がかかる。
土虚水侮。土自身が弱いため、水を克制することができず、逆に水が土を侮る。
資本力が弱くて、収益を制御する事ができず。収益に資本が侮られる。
木虚土侮。木自身が弱いため、土を克制することができず、逆に土が木を侮る。
資産力が弱いために、資本を抑えられず。資本に資産が侮られる。
金虚木侮。金自身が弱いため、木を克制することができず、逆に木が金を侮る。
資産価値が高騰し、負債を怖れなくなる。負債が、資産に侮られる。バブルが好例である。逆に、資金調達力が弱いために、必要な資産が手に入らない場合もある。
相乗というのは、相手を抑制する力が過剰すぎる場合を言う。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
木乗土。木が強すぎて、土を克し過ぎ、土の形成が不足する。
資産の高騰によって生まれた不良債権によって資本が侵蝕される。現在、金融機関が陥っている状態である。
土乗水。土が強すぎて、水を克し過ぎ、水を過剰に吸収する。
過剰投資によって収益が圧迫される。
水乗火。水が強すぎて、火を克し過ぎ、火を完全に消火する。
収益ばかりを追求し、節約しすぎて必要な費用まで賄えなくなる。
特に、利益を追求しすぎて志気を消沈させる。
火乗金。火が強すぎて、金を克し過ぎ、金を完全に熔解する。
費用がかかりすぎて借入が過多になり、借金によって勢いが塞がれる。
金乗木。金が強すぎて、木を克し過ぎ、木を完全に切り倒す。
借入金が過剰なため資産を売って返済に充てなければならない。
土虚木乗。土自身が弱いため、木剋土の力が相対的に強まって、土がさらに弱められることである。
資本力がないために、設備投資や設備の更新ができず資産内容が劣化する。
水虚土乗。水自身が弱いため、土剋水の力が相対的に強まって、水がさらに弱められることである。
収益力がないために、資本取引に翻弄され、最悪の場合、外部資本に狙われる。
火虚水乗。火自身が弱いため、水剋火の力が相対的に強まって、火がさらに弱められることである。
費用がかかりすぎるために、収益に負担がかかり、費用を更にかけなければならなくなる。
金虚火乗。金自身が弱いため、火剋金の力が相対的に強まって、金がさらに弱められること。
借入が多いために、費用の負担が増え。資金調達力が更に弱まる。
木虚金乗。木自身が弱いため、金剋木の力が相対的に強まって、木がさらに弱められ、朽ちること。
不良債権によって新たな借入ができずに、新規投資ができず、じり貧になる。或いは、不良債権によって優良な債権が活用できず、また、手放さなければならない。
斥力、引力の力の平衡によって変化の方向が決まる。斥力、引力いずれが正しいか、過ちかではなく。進むべき方向はいずれかが重要なのである。進むべき方向を定めるのは人間である。最後は、人間の意志である。
損益も陰陽である。陰陽は均衡のとれた状態を良しとするのである。大切なのは調和である。
損益も同様である。収益は過剰でもいけない。損が必ずしも悪いとは限らない。ただ、利益だけを追い求めるから世の中は、循環しなくなるのである。
出す物があれば、入る物もある。入る金があれば、出る金もある。去る者がいれば来る物もいる。ただ、その根源は一元である。
経済や経営にも実体がある。経済的実体には、貨幣的実体、物質的実体、人的実体があり、各々天地人の別がある。
経済では、天は、供給と需要、地は、消費と生産、人は、分配と労働である。企業経済では、人的に見ると天は、顧客、或いは、国家。そして、投資家。地は、消費と生産。人は、労働と分配である。また、物質的には、天は、市場、即ち、製品や財、物流。地は、原材料、ガス、水道、電気、エネルギー。人は、設備、装置、そして、不動産である。また、貨幣的に見ると天は資本、費用、地は収益、流動資産、人は、負債、固定資産である。
経営的実体でいえば、借方、資産の方に実体がある。貸方は、貨幣価値を表現するものであり虚である。
2008年の世界的金融危機は、この虚の部分の働きに依って引き起こされた。
人の問題か、物の問題か、金の問題か、情報の問題かをよく見極めて診断をする。また、表面的な問題なのか、それとも、体質や体制と言った根本的な問題なのか。
経済や経営の病は、症状として現れる。
バブル現象というのは、バブルの発生時点では、木侮金、木乗土、金侮火、金虚木侮、土虚木乗、水虚火侮と言う関係によって過剰投資が発生し、その状態が極まりそれが転回した後、金乗木、木虚金乗と言う関係によって土侮木、木虚土侮、火虚金侮、水虚火侮、金乗木、金虚火乗、木虚金乗、土乗水と言う症状を複合的に引き起こしているのである。
日本のバブルは、円高によって本業の収益力が低下したところに資産価値の高騰を招き。その資産価値の高騰を背景にして収益を考えずに借入を増やし、その結果、バブル崩壊後に、大量の不良債権が発生し、その費用が収益を圧迫し、資産を維持できなくなっているのである。
資産は、実であるのに対し、金融は、虚である。虚によって実を補おうとした結果、虚によって実が制せられたのである。それが金融の怖さである。
金融の病は、虚証である。それだけに根が深く、命取りになる。実の力が強ければ、放置していても回復が望めるが、実の力が弱まっている時は、手立てを施さないと回復は望めない。
同じ様な問題は、2008年に起こったサブプライムを原因とした金融危機にも見られる。迅速な処置を施さないと国家の存亡に関わる問題に発展する。
金融を原因とした経済や経営の病は、虚病であり、放置すれば厥陰に至る。その根源は、実業の不振にある。
金融市場の虚弱体質を直す必要がある。体質そのものの改善が必要なのである。
企業の病状は、証として表される。証は、象と相である。相は、実相と形相である。象と相は、処方、対策に結びつく。証には、陽証と陰証がある。表虚証と裏虚証、表実証、裏実証、表虚裏実証がある。表裏虚証がある。
症状には、実証、虚証がある。表に現れる実証、変動よりも、裏で働く作用の方が怖い。実証、虚証をよく見極める必要がある。
その上で正を補佐し、邪を取り去ることが経済の健康を維持することに繋がる。
負債と資本は陰である。負債は、返済しなければ成らず、資本は返済する必要がない。故に、負債は虚であり、資本は実である。負債の元本は費用として表に現れない。株価は、表に現れる。故に、負債は裏であり、資本は、表である。借入の取引は冷静で、株は相場である。相場は、鉄火場であり熱い。相場で怖いのは根拠なき熱狂である。故に、負債は、寒で、資本は熱である。
即ち、負債は、陰虚裏寒、資本は、陰実表熱である。
資産は陽である。貨幣性資産は、虚であり、在庫、償却資産、不動産は実である。貨幣性資産は、表であり、在庫、償却資産、不動産は裏である。償却資産は、費用と化した時、虚となる。
不良債務は、故に、虚であり裏で冷たく動く。故に、陰虚裏寒証である。不良債権は、実であり、裏で熱く動く。故に、陽実裏熱証である。
経済や経営が悪くなるのには、つまり、病気の症状には、太陽、陽明、少陽、太陰、少陰、厥陰の段階がある。
経済や経営の病気を陽病と、陰病の二つに分ける。陽病というのは、症状が表に発現される病気を言い。陰病というのは、症状が陰に籠もる病気を言う。
太陽というのは、初期の段階でまだ経済や経営主体に力がり、抵抗している症状である。陽明というのは、太陽の状態が進んだ状態で症状が明確になってきた状態である。少陽病というのは、陽明病の段階よりも抵抗力が弱まっている症状である。
太陰病というのは、新病の初期症状であり、表には現れないが目に見えない士気や倫理観の低下といったような形で現れる。更に症状がすすみと集中力や活動力が弱まり、長期的な停滞に陥る。それが少陰病である。そして、厥陰の状態に陥ると自分から回復するだけの活力を失い。衰弱、衰退していく。
経済の病気の原因には、外因と内因、不内外因の三つがある。外因には、風寒暑湿燥火の六邪がある。内因には、喜怒憂思悲恐驚の七情がある。不内外因には、労逸、五労、飲食失節、外傷、物や金の巡りの悪さがある。
労逸には、労力過度、心労過度、房事過度、安逸過度がある。
企業経営は、先ず、赤字か、黒字か、即ち、利益として顕れる。ただ、単純に赤字だから悪い、黒字だから良いと即断しては成らない。要は、赤字の真因、黒字の真因を知る事である。赤字も、黒字も陰陽である。陰が悪くて、陽が悪いと短絡してはならない。
赤字、黒字を生み出す要因には、収益、費用、資産、負債、資本の中に隠されている。しかも、それぞれの要素が相互に影響しあって損益を作りだしている。同じ収益の悪化でも原因が同じとは限らない。
よく言われるのが企業の肥満である。しかし、肥満と一口に言ってもどこに、余分な脂肪がたまっているかは、確定しない。経費削減と言ってもどこをどの様に削減するかが、問題である。つまり、原因がどこにあるかによって対処法が違うのである。開発力に問題があるのに、人員削減と言って開発要員、開発研究費まで、削減してしまえば、回復力を失ってしまう。何が余剰で、何が不足しているかを見極める必要がある。
異病同治、同病異治という事もある。即ち、異なる病気でも対策は、同じである場合や同じ病気でも違う治療法という事もある。
収益の悪化という同じ症状でも原因の要素は多くある。
製造工程に問題があるのか。意思決定の仕組みにあるのか。人材の育成が悪いのか。配置が適正でないのか。経理処理に問題があるのか。市場や景気が悪いのか。不測の事態が発生したのか。働く人の価値観の問題なのか。それとも経営者の不徳の責任なのか。
赤字と言っても原因は、千差万別である。一つではない。原因が違えば、処方も違う。
教育が必要なのか。設備を新しくする必要があるのか。資金が不足しているのか。広告宣伝が下手なのか。経理計算の仕方を間違っているのか。基準が悪いのか。保守管理が悪いのか。事務処理が不適切なのか。技術、技能が劣っているのか。研究開発が弱いのか。資源が乏しいのか。予測や計画が間違っていたのか。経営者を交代させる必要があるのか。組織、体制が悪いのか。
定量的な問題ばかりではなく。定性的な問題も隠されている。実体は、むしろ、定性的な物である。量は陽、性は陰。即ち、陰中の陽である。陰である企業体質が、陽である企業業績になって現れる場合もあるのである。
資本家の問題なのか。経営者の性格や従業員の考え方、体質の影響もある。一概に、経営者が悪いと断定することはできない。具(つぶさ)に実情を把握し、真因を知る事である。
企業経営には、利益を生み出す経穴がある。士気が低下している時には、士気が低下している部分に資金を投入したり、また、会計処理の仕方を変えることによって収益が改善される場合もある。また、運動量、即ち、操業率を高めることによって利益が上がることもある。広告によって息を吹き返した企業もある。闇雲に経費を削減するだけが能ではない。
経営の先行きは、吉凶、悔吝、咎、あやういに依って為す。
人体の病気と同様、経済や企業の病の多くは、気から起きる。気の病とは、気虚、気滞、気逆がある。気虚というのは、活力の不足から起こる。気滞とは、停滞によって引き起こされる。気逆とは、気の逆流によって起こる。
経済や企業経営の活力は、人、物、金、情報である。企業の病は、人、物、金、情報の不足。人、物、金、情報の滞留。人、物、金、情報の逆流によって起こる。
経済や経営には、流れがある。その流れは、循環運動が基本である。循環運動は、波を起こす。その波動が、陰陽の変化を生み出すのである。陰陽は、作用反作用でもある。つまり、一つの作用には、反対方向の作用が働いている。陰中に陽あり、陽中に陰あり。
体には、流れがある。経済主体には、人の流れ、物の流れ、金の流れ、情報の流れがある。そして、流れは、経絡を作る。その経絡の上に経穴がある。この経絡、経穴を掴んで、人の流れ、物の流れ、金の流れ、情報の流れを円滑にすることが経済の働きを良くする事である。
経済には流れがある。経済の流れには、人の流れ、物の流れ、金の流れ、情報の流れがある。この人物金の流れが滞ると経済は病に陥る。
金の流れの反対方向に物の流れが生じる。金の流れは、虚である。物の流れが実である。金の流れが滞り、滞留すると虚の力、陰の力が強くなる。物の流れが滞り、滞留すると実の力、陽の力が強くなる。陽の力が過剰になると市場は膨張し、陰の力が強まると市場は収縮する。
企業経営における物の流れには、第一に、原材料、製品の流れ。第二に、在庫、物流。第三に、装置、設備の流れ。保守管理の流れ。第四に、消耗品、備品の流れがある。第五に、不動産の流れ。
人の流れには、第一に、採用から退社までの流れ。第二に、組織、管理、配置の流れ。第三に、階層的な流れがある。
金の流れには、第一に、資金の調達から運用までの流れ。借入と資本の流れ。第三に、仕入れ、購買の流れ。第三に、配当、納税、利益分配の流れがある。第四に、収益と費用、取引の流れ。第五に、決算の流れ。第六に、現金の流れ。
情報の流れは、事務の流れである。情報の流れには、第一に、仕入れ、購買、物流管理の流れ。第二、販売管理の流れ。第三に、資金管理の流れ。第四に、業務管理、仕事の流れ。第五に、人事管理の流れ。第六に意思決定の流れ。
人、物、金、情報の流れが調和することによって経済や経営の健全性は保たれている。
財の流れと反対方向に金は流れる。それが、財と金との働きを意味する。財の働きは実であり、金の働きは虚である。財の流れと金の流れが均衡して市場は調和する。それが市場の虚と実である。
会社が機能しなくなるのは、これらの流れが円滑に流れなくなることが原因である。流れを良くするためには、流れを滞らせる要点、即ち、経穴に働きかけることである。
キャッシュフローの重要性が叫ばれて久しい。しかし、なぜ、キャッシュ、即ち、現金が重要なのかについて正しい認識がされているとは思われない。そこから、キャッシュフローなるものが一人歩きを始めている。
キャッシュフローは、即ち、金の流れである。
現金が利益を生み出すのではない。この点を注意しなければならない。現金は利益を生み出さない。ただ、現金は、企業活動を継続するために、不可欠な物であり、現金がなければ企業は継続することができないのである。
現金の重要性は、現金がなければ、企業が生存できないと言う点にある。利益がなくても企業経営は成り立つが、現金がなくなれば企業経営は成り立たなくなる。
キャッシュフローには相がある。
企業の消長には、始生期、漸盛期、旺盛期、盛極期、始衰期、天復期がある。
企業の消長を相として現れる。企業経営の消長を卦として表す。上卦を損益として、下卦をキャッシュフローとして表す。
始生期には、資金を調達し、調達した資金に依って投資を行う。また、営業活動はしていないので、営業キャッシュフローは、マイナスである。即ち、財務キャッシュフローがプラスで、後はマイナスいう相である。このとき現れる相は、震である。
漸盛期に成ると収益によって資金を賄わなければならない。故に、離の相へと転化する。しかし、思うように収益が上がらないと引き続いて震の相が現れ、資金繰りがつかなくなると坤の相が現れる。坤の相が続けば、経営は大地に帰る。
旺盛期は、営業収益によって全ての資金が賄えるようになり、艮、巽、離の相が現れる。この時に次の発展の芽をいかに育てるかが、肝要となる。発展の芽を育み、体力が温存できないと衰退の蔭が忍び寄る。
盛極期になると、乾、艮、巽、離の相が現れる。ただ、盛極期には、見かけ上の収益は上がっていても資金的には兌、坎、労、震の相である場合がある。また、キャッシュフローが坤の相によって黒字倒産もあり得る。
この時期から表に現れる損益の相と裏の資金の流れの相とが逆になることがある。表の相だけでは判断できない病状が進行している怖れがある。陽中に陰有り。表裏虚実をよくよく見極める必要がある。
特に、何によって資金を調達し、どこに流しているかが重要となる。資金は、企業の血である。資金の不足は、企業の血の病である。
始衰期には、収益に陰りが出始め、資金の流れに兌、坎の相が出る。
この時期には、震の相が現れることがある。起死回生の冒険に討ってでることがあるからである。
更に、収益が悪くなると坤の相が現れる。
いよいよ、表裏の動きが怪しくなる。表は、盛んでも、裏では、衰退が始まっている。収益がいくらあっても虚である場合が多い。また、本業で利益を上げずに会計操作や財テクを以て利益を上げている場合がある。
天復期には、艮の相が出る。また、震、兌、坎の相も現れる。更に、坤の相が出ると大地に帰る。
陽が強すぎるから過剰と言う事を問題としない。成長は善いことだらけのように錯覚している。だから、文化がカラカラに干からびてしまう。
過剰や拡大ばかり目指すから大量生産、大量消費型社会に帰結する。大量生産、大量消費型社会は浪費型社会であり、抑制の効かない社会でもある。
大量生産、大量消費型産業に傾斜してしまう。これも偏りの一種である。と言うよりも大量生産や大量消費は、極端な偏りを生み出す。
大量生産、大量消費が強くなると市場のバランスが悪くなる。つまり、財が余って滞り、捌けが悪くなるのである。
大量生産、大量消費が悪いというのではない。大量生産や大量消費に偏るのが悪いのである。それに、大切なのは、時である。成長、発展、拡大の時は、大量生産、大量消費は有効でも、成熟期や縮小期には、かえって仇となることがある。
産業や企業にも体質がある。例えば、物の影響を受けやすい体質とか、人の影響を受けやすい体質とか、金の影響を受けやすい体質と言ったことである。
この様な体質は、産業や企業が生まれた時の要因や産業の構造の要因によるものが多い。つまり、産業企業の歴史や性格、基盤が重要になる。
産業や企業の骨格や体格というと、例えば、機械、設備、装置に巨額の投資を必要とする産業とか、労働集約的な産業と言ったような事である。この様な物的な体質には、先天的な要素と後天的な要素がある。先天的な要素が陰で、後天的な要素が陽である。
金銭的な影響には、為替の変動や地価の変動などがある。地価の変動は、一見、物の価値の変動に見えるが、地価を担保にして資金を調達している場合は、取引は虚であり、実体のない貨幣的な取引である。この様な虚の取引によって資金繰りが影響を受け、経営が悪化する場合がある。この様な状態は、虚証である。
産業や企業の体質を決定付ける重大な要因の一つが費用を構成する要素である。費用を上昇させる原因には、内的要因と外的要因がある。また、実の要因と虚の要因がある。実の要因とは、実体的な原因による虚の要因というのは、名目的な価値による要因である。
技術革新や人件費の高騰は、主として内因に属する。しかし、中には、外因に触発されるものもある。
人件費の変動は、市場の範囲や労働の質によって違いが生じる。市場が国際的規模で、尚かつ、拠点を海外に移転できる産業は、為替の変動が人件費や雇用に及ぶ、体質を持っている。また、海外から労働力を導入することは、政治的な問題となりやすい体質を持つ。
為替の変動は、市場環境の変化である。この様に、産業や企業体質には、環境に左右されやすい体質もある。環境と言っても市場の変化のような経済的要因だけでなく、自然環境に影響を受けやすい企業や産業もあれば、政治的環境に影響を受けやすい産業もある。前者は、生鮮食料などの産業を指し、後者は、石油などが典型である。
体質の問題は、利益の構造の問題、つまり、利益を生み出す仕組みの問題である部分も大きい。利益を生み出す仕組みは、損益の仕組みである。損益分岐点構造で、固定費の比率が高い産業と低い産業がある。また、固定費が高い産業にも固定費の多くが減価償却費である産業と人件費である産業では柔軟性が違う。減価償却費は虚である。人件費は実である。
掛け売りや在庫が溜まりやすい体質の産業、企業もある。いかに余計な脂肪分を取り除くかが重要となる。その為には、操業率も重要な指針である。回転や運動が悪いと悪い気が溜まりやすい。
また、人的な体質の一つが、気の問題である。気の問題は、志気、道徳、精神のの問題である。自由な職場は陽気だが、統制が効かない職場は、結局は、乱れやすい。陰気も必要なのである。逆に単調で変化に乏しく無気力になりやすい体質の職場もある。
この様な企業や産業の体質も見極め、尚かつ、その時の状況に応じて処方をする必要がある。何でもかんでも同じ見立で言い訳ではない。
人間の病は、邪気と正気の戦いである。社会、経済の戦いも同じである。邪気と正気の戦いである。即ち、邪正盛衰である。
経済や産業企業を構成する要素は、流れ、働き、体質、構造である。そして、このいずれかに支障があるから経済や産業、企業は、立ちいかなくなるのである。それが経済、産業、企業の病である。
流れで謂えば、正とは、人の流れ、物の流れ、金の流れを円滑にする働きである。邪とは、人の流れ、物の流れ、金の流れを妨げる働きである。
景気や経済、経営には、流れがある。流れは循環作用を生む。循環作用は、波動に転化する。波動には、周期がある。周期には、短期、中期、長期、超長期がある。波は、相剋、相和して波形を構成する。波形は、陰陽を生み出す。
波を見る時は、その水準に着目する。何を基準とし、どこに均衡させるかが鍵を握る。
人にも波がある。物にも波がある。金にも波がある。
人の波は、人生の盛衰を顕す。物の波は、財の消長を顕す。金の波は、景気の高下を顕す。
流動資産にも波動がある。固定資産にも波動がある。負債にも波動がある。資本にも波動がある。収益にも波動がある。費用にも波動がある。利益にも波動がある。資本にも波動がある。
価格にも波動がある。在庫にも波動がある。設備にも波動がある。人件費にも波動がある。能力にも波動がある。借金にも波動がある。製品にも波動がある。
景気にも波がある。物価にも波がある。所得にも波がある。消費にも波がある。建設にも波がある。人の一生にも波がある。
波は、重なって一つとなる。一つとなった波が陰陽を生み出す。何が、陽に作用し、何が陰に作用するかを見極めることである。悪いのは、損することではなく。偏ることである。損益は時の運。偏りは、破綻である。儲けすぎれば、必ず大損を招く。不徳である。
人に一生があるように、企業にも盛衰がある。ただ、人と企業との違いは、企業は再生することが可能だと言う事である。企業が一巡するのは、大体、三十年を周期とすると言われている。
卦が明らかになったら、次は、診断になる。その上で、処方である。
経済や経営に対する見立て、診断ができたら、次には、経済や経営の健康を維持し、病気ならばそれを治癒する手立てを診断することである。
経済対策の根本は、扶正(ふせい)、去邪(きょじゃ)である。
債権も債務も虚である。現金は実である。債権は、陽で、債務は陰である。現金は、交換の対象があって効用を発揮する。故に、貨幣価値は虚である。現金は物として実があるが、価値としては虚である。
経済の事象には、実質的な事象と名目的な事象がある。それに従って経済的な価値には、実質的な価値と名目的な価値がある。実質的価値が実で名目的価値が虚である。
物価、不動産、在庫、貨幣価値、賃金、価格などには、名目的な価値と実質的価値とがある。そして、その実と虚が経済活動に重大な影響を及ぼしているのである。
不良債権が発生する仕組みは、債権だけにあるわけではない。不良債権には、不良債務が対応している。そして、不良債権、不良債務の問題は、実質的価値と名目的価値の乖離の問題なのである。
虚と実は、いろいろな局面にある。
費用の中では、減価償却費や借入金の元本の返済などが虚である。減価償却費は、資金の流失のない費用という意味で虚であり、逆に元本の返済は、資金の流失があるのに、費用として現れないと言う意味で虚である。つまり、減価償却費は、表で虚である。元本は、裏で虚である。
そして、貸し剥がしの病根は、この裏で虚である部分である。貸し渋りや貸し剥がしは、裏虚証である。
金融機関と財政当局は、経済や産業、企業の医者でもあるべきなのである。それ故に、金融機関の経営者には、見識と徳が問われるのである。
物や人の市場が収縮している時、金の市場も収縮すると市場の均衡が保てなくなる。金融機関と財政の見識が問われるのである。重要なのは、国家観と使命感である。
ところが現代金融機関は、目先の利益ばかりを追いかけて大局を観ようとしない。と言うよりも大局観がもてないような経済の仕組みになっているのである。本来、金融機関は、金融市場のダムの役割を担っている。資金を貯蓄し、資金が涸れた時に資金を放出するのが主たる役割である。その為に、企業や産業を日頃から監視し、長期的視点、公の使命を持って事に当たる必要がある。元々、金融は虚なのである。虚である金融が実効力を持つ役割を果たすためには、金融の働きを熟知し、高所大局を以て職責を果たす必要がある。
そして、産業、企業の虚実を見極めるのである。何が正であり、何が邪であるかは状況によって決まる。絶対的な基準はないのである。
それは、財政も同様である。市場に雇用や金、物が不足した時、それを補い、長期的な均衡を保つのが財政や金融の役割である。
虚と実、陰と陽を間違えは、人、物、金の流れは、滞り、逆流し、或いは、奔流となって溢れ出す。いかに虚実を見極め、その方向と歪みを明らかにすることが肝心なのである。
実の部分が邪の働きをするのが実証、虚の部分が邪の働きをするのが虚証である。
正邪の働きを決めるのは、働きの方向と力、性格である。例えば、返せないときに返さなければならない。必要な時に足らない。又は、過剰な力が働く。余計な働きがある。換金したい時に換金できない。下がるべき時に上がる。伸ばす時に縮小させる。集中すべき時に分散させる。自由にすべき時に抑圧する。規律を保つ時に乱れる。ゆっくりすべき時に早くなる。早くすべき時に遅れる。収める時に、発散させる。或いは、放出する。と言ったように本来の動きと逆の動きをすることである。
経済や経営には、流れがある。経済や経営が円滑に機能しなくなる原因の一つにこの流れが滞る、或いは、逆流し、また、淀む事である。
事象には、表裏がある。その表裏が陰陽を生む。上がる処があれば、下がる処がある。上がる時があれば下がる時がある。つまり、一つの現象は、表裏の働きを生むのである。一が二となる。そして、働きには、虚と実がある。表裏、虚実、陰陽を見極め処方を作るのである。
つまり、弁証論治、理、法、放、穴、実、或いは、理、法、放、薬である。
治療方法には、標治法と、本治法がある。
標治法とは、症状に合わせて応急的、暫定的な処置、対症療法である。
本治法とは、症状を引き起こしている根幹、体質に対する抜本的な処置である。
また、対策を有効に働かせるためには、幾つかの処方を組み合わせることが肝心である。組み合わせには、第一に、相須、相使がある。相須、相使とは、効果を高める組み合わせである。第二に、相畏がある。相畏とは、副作用を抑える組み合わせを言う。第三に、相悪、相反がある。相悪、相反とは、副作用を引き起こす組み合わせである。
経済は、均衡と水準を保つことが肝心なのである。つまり、中庸である。事象には、表裏がある。つまり、市場と市場、経済主体と経済主体とは、表裏の関係を持って結びついている。この表裏の関係は、作用反作用の関係を生み出す。輸出は、輸入を、支出は、収入を、生産は、消費を、貸しは、借りを、売りは買いの関係を生み出す。この均衡によって経済は保たれている。この均衡が破られた時、経済は破綻し、新たな均衡を求めて彷徨(さまよ)うのである。均衡を破る最大の原因は、偏りである。偏りが経済を不健康にするのである。何事も中庸が肝心なのである。
必要な人、物、金の所在が偏らないようにすることが、経済の健康を保つ秘訣なのである。
つまり、動くところは潤滑に動き、動いては成らないところは動かないようにする。そして、人、物、金が過剰な処から不足している処へ廻すことである。
経済の健康は、流れが悪くなった箇所の流れをよくし、乱れを収め、姿勢を改め、体制を整える。硬直な処を、柔らかくし、足らないところを補い、古くなって機能しなくなった部分を取り替えることである。更に、余分な物は取り除く。
金の問題であれば、金欠、金詰まり、過剰流動性、或いは、放漫であり。人の問題であれば、人手不足、人事の滞留、余剰人員であり。物の問題であれば、物不足、物流の停滞、余剰生産である。
資金が不足しているのに、借入ができない。貸し渋りに合う。返済を迫られる。
経済は、拡大均衡と縮小均衡を繰り返す。なぜならば、第一に、人、物、金と言った資源は、有限だと言う事。そして、第二に、拡張と収縮という働きによって人、物、金を流動させる原動力が生まれるからである。第三に、人、物、金、各々の市場の変化の速度や方向の違いが拡大や縮小を引き起こす。
現代経済の錯誤の一つが拡大や成長のみを是としていることである。拡大、成長だけを是とするのは間違いである。縮小、停滞も必要なのである。成長、拡大、縮小、停滞も限度が肝心なのである。善悪の問題ではない。
企業も同様である。節約を旨とし、無駄を省き、足らない物を補う。姿勢を正し、体制を整え、流れをよくし、不正を正し、悪しきを除く。人事を刷新し、気を集中し、意識を統一する。何よりも世の為、人の為に尽くす。修身、斎家、治国、平天下である。何よりも身の内を浄化することである。気力体の一致である。
人を育み、物を豊かにし、金を蓄える。経済は、経世済民である。世を経(おさ)め、民を済(すく)うである。金を儲けることではない。
観変於陰陽而立卦。発揮於剛柔而生爻。和順於道徳而理於義。窮理尽性以於命。
変を陰陽に観て卦を立て、剛柔を発揮して爻を生じ、道徳に和順して義を理(おさ)め。理を窮めて性を尽くして以て命に至る。(説卦伝)
変化の本源は、天地人にある。天の時、地の利、人の和、即ち、時間と人関係と物理的空間にある。その変化の兆しをいち早く察知することである。
経済も経営も人の為せる業である。経済や経営の健全は、天地人の調和によって保たれている。その調和を保つのは、人間である。徳に指導者の資質、性格、即ち、徳が重要となる。
指導者には、木徳の指導者、火徳の指導者、土徳の指導者、金徳の指導者、水徳の指導者がいる。
木徳の指導者は、資源、資産を遣り繰りして資金、費用を捻出する。
火徳の指導者は、資金を投資して発展、向上される。
土徳の指導者は、人を適材適所に配置して体制を整える。
金徳の指導者は、負債を整理し、財務内容を改善する。
水徳の指導者は、収支の均衡をよくし、資産を蓄え、次の成長を準備する。
木徳の指導者から火徳の指導者へ、土徳の指導者から、金徳の指導者へ、金徳の指導者から水徳の指導者へと指導者が交代していく事が一つの理想の象である。
市場の規律は、仁義礼智信の働きによって保たれる。ただ、競争によって保たれるわけではない。争いは、かえって毒となる。争いは、抑制を阻害するからである。
現代の経済には、徳がない。
市場の経済は、仁義礼智信によって保たれる。
仁とは、国家、国民への愛情であり、経済、市場への調整であり、道徳心の根源であり、礼節の真髄である。
義とは、守るべき規範であり、強制力があるものが法と制度であり、自らが律するものが道徳である。
礼とは、形、象である。秩序や規律を形にしたものである。礼とは、作法である。
知とは、知識であり、情報、技術である。
信とは、市場、社会の基盤である。
市場の規律や秩序は、仁義礼智信によって護られている。市場経済は、仁義礼智信がなければ成り立たない。仁義礼智信は、徳である。その徳が市場や経済から失われようとしている。それが現代経済の危機の本質である。
仁義礼智信の働きは、人々の志すところに依る。結局、国家国民の徳に帰すのである。
中国には、四千年と言われる一貫した歴史がある。そこで培われた文化、哲学は何物にも変えがたい。
現代、欧米文化以外を後進的とする風潮がある。しかし、それは現代人最大の過ちである。
文明は、西洋にだけ許された賜物ではない。最新の兵器があるから文明国だと言う事ではない。文明は、その精神の高貴さにこそ求められるべきであり、暴力的強さに求めるべきものではない。
中国の伝統的思想には、その精神の高貴さがある。たとえ、暴力的な圧迫に屈し、中国の伝統的思想を中断し、或いは、断絶するすることは、人類にとって大いなる損失である。中国の古典を子孫に引き継ぐことは、現代人の責務である。そして、それが人類の未来を切り開くことでもある。
現代人は、浩然の気こそ養うべきである。相手の名誉を傷つけたならば、如何なる相手に対しても恥ずべきだが、自ら顧みて恥ずべき事がなければ、たとえ、敵が幾万人いようとも吾一人行かん。志こそ問うべきである。
最後は、気の問題になる。
なぜ、易を立て、占うのか。それは決断せんが為である。ではなぜ決断する必要があるのか。それは、自分が自分として生きんが為である。自分の意志に従って生きんが為である。自分の主体性を保つためである。
先ず、決めなさい。その後に行動しなさい。行動してから後悔しても遅いのである。それでは責任をとったことにはならない。責任が持てない。
親となり、妻となり、親となり、社会人となる。それは責任をとることである。責任をとるために、決断をするのである。
責任をとると言っても未来に確証はない。曖昧模糊とした未来に向かって決断せんが為に易を立て、占うのである。
決断できるから決断をするのではない。決断する必要があるから決断をするのである。できるからするのではない。しなければ生きられないからするのである。だから、未来を易し、占うのである。それが人である。そして、決断を促すのは、気である。
日本人は、責任をとると言うことを誤解している。日本人は、何か問題があると責任をとれと言い。多くの人は責任をとらされると受け身で考える。本来、責任をとるというのは、失敗した時に責めを負うべき役に任ずると言う事を意味するのである。責任をとらされるのは、結果である。責任をとるというのは動機である。だから、責任ある立場に立つ時は、それだけの覚悟いる。それが責任感である。
責任をとると言うが結果が出てからでは遅いのである。結果が出た後では責任を負えない。だから、責任をとらされるのである。しかし、それは責任をとったことではない。責任というのは、人が人として天から引き受けなければならない任務である。
責任をとるために決めるのである。決めなければ責任とれない。責任をとりたくないから決めないのである。決められなければ自分はない。自分の志すところがないからである。自分の志を実践に移す力は気に依って生まれる。志は、気を導く。志は気の帥である。(「夫志氣之帥也」孟子)
親となるのは、親として子によって責められる任を負うことである。そして、それを自覚してはじめて親となる。子を産むだけでは、親になったとは言えないのである。自覚して始めて責任がとれる。自覚しなければ責任を負えない。始めから無責任なのである。責任をとるためには決めなければならない。
故に、人は、結婚、就職、出産、、命名、家を建てるといった人生の大事に於いて易を立て、占うのである。
責任ある立場とは、決断する立場である。決断すると言う事は、気と力がいる。決断に必要なのは、断ち切る勇気である。
だから、最後は気の問題となる。
やる気の問題だとよく言われる。
決断は、気の問題である。できないのは、やる気がないからだ、言い訳はするなとよく叱られた。できない理由をあげても問題は解決しない。可能性を信じて事に当たれば、かならずできる。為せば成る為さねばならぬである。やらないのは気がないからだというのである。気力が充実していないと何事もうまくいかない。つまりは、気の問題なのである。
決断とは、決して断じる事なり。我が身が一つならば、一つを残して後の全てを捨て去ることである。決断には、気と力がいる。決断する気と力がなければ、思い惑う。思い惑えば陰陽に分かれる。陰陽いずれかを選ばなければならない。それを決するのは人である。断じれば、陰陽が生じる。人の一生には、決断すべき事は無数にある。故に、陰陽も無数に生じる。されど、天地は一つである。我が身も一つである。故に、最後は、一に帰す。さもなくば、全ては霧散する。一に始まり、復た、一に帰す。無窮に始まり、無窮に帰す。
参考
「陰陽五行説」根本光人監修 根本幸夫 根井養智著 株式会社 じほう
「中国の思想Z 易経」 丸山松幸著 徳間書店
「易」本田 済著 朝日選書 朝日新聞出版
「易の話」 金谷 治著 講談社学術文庫
「易學入門」安岡正篤著 明徳出版社
「易経講座」安岡正篤著 致知出版社
「まんが易経入門」周 春才 作画 鈴木 博訳 医道の日本社
「陰陽道」鈴木一馨著講談社選書メチエ
先天八卦 | 卦 | 乾 | 巽 | 坎 | 艮 | 坤 | 震 | 離 | 兌 |
方位 | 南 | 南西 | 西 | 北西 | 北 | 北東 | 東 | 南東 | |
現象 | 天 | 風 | 水 | 山 | 地 | 雷 | 火 | 沢 | |
後天八卦 | 卦 | 震 | 巽 | 離 | 坤 | 兌 | 乾 | 坎 | 艮 |
方位 | 東 | 南東 | 南 | 南西 | 西 | 北西 | 北 | 北東 | |
現象 | 生 | 斉 | 相見 | 致役 | 説言 | 戦 | 労 | 成言 |
勢 | 乾 | 経済 | 企業 | ||||||||
業績 | 会計 | 損益 | 人 | 物 | |||||||
天 | 六爻 | 天復 | 充足 | 供給 | 経常収支 | 輸出 | 市場 景気 |
資本 | 売上高 | 顧客 国家 |
製品 財 |
五爻 | 始衰 | 飛躍 | 需要 | 経済成長率 | 輸入 | 利益 | 費用 | 粗利益 | 投資家 | 物流 管理 |
|
地 | 四爻 | 盛極 | 躍動 | 消費 | 物価 | 供給力 | 費用 | 収益 | 営業 利益 |
取引先 銀行 |
原材料 |
三爻 | 旺盛 | 成長 | 生産 | 財政 | 生産力 | 収益 | 流動 資産 |
経常 利益 |
経営者 | ガス 水道 電力 |
|
人 | 二爻 | 漸盛 | 顕現 | 分配 | 企業利益 | 消費 | 経営者 | 負債 | 特別 損益 |
管理層 | 設備 装置 |
初爻 | 始生 | 潜伏 | 労働 | 一人あたり 国民所得 |
所得 | 従業員 | 固定 資産 |
純利益 | 従業員 | 土地 |
陽 | 太極 | 陰 |
輸入 | 経常収支 | 輸出 |
消費 | 貯蓄 | 所得 |
支出 | 財政収支 | 収入 |
年末残 | 損益 | 前期残 |
太極 | |||||||
経営活動・試算表 | |||||||
陽 | 陰 | ||||||
黒字 | 赤字 | ||||||
太陽 | 小陰 | 小陽 | 太陰 | ||||
増収 | 減収 | 増収 | 減収 | ||||
乾 | 兌 | 離 | 震 | 巽 | 坎 | 艮 | 坤 |
増収 増益 |
増収 減益 |
減収増益 | 減収減益 | 増収増益 | 増収減益 | 減収増益 | 減収減益 |
乾 | 兌 | 離 | 震 | 巽 | 坎 | 艮 | 坤 | |
営業キャッシュフロー | 陽 | 陰 | 陽 | 陰 | 陽 | 陰 | 陽 | 陰 |
投資キャッシュフロー | 陽 | 陽 | 陰 | 陰 | 陽 | 陽 | 陰 | 陰 |
財務キャッシュフロー | 陽 | 陽 | 陽 | 陽 | 陰 | 陰 | 陰 | 陰 |
陽 | 陰 | ||||||
太陽 | 小陰 | 小陽 | 太陰 | ||||
費用 | 資産 | 負債 | 収益 | ||||
乾 | 兌 | 離 | 震 | 巽 | 坎 | 艮 | 坤 |
健 | 悦 | 麗 | 動 | 入 | 陥 | 止 | 順 |
五行 | 会計 | 五色 | 五常 | 五志 | 五精 | 五気 | 五性 | 五季 | 五方 | 五労 | 五事 | 五臓 | 五位 |
木 | 資産 | 青 | 仁 | 努 | 魂 | 風 | 雅 | 春 | 東 | 歩 | 恭 | 肝 | 震 |
火 | 費用 | 赤 | 礼 | 喜 | 神 | 熱 | 急 | 夏 | 南 | 視 | 明 | 心 | 離 |
土 | 資本 | 黄 | 信 | 思 | 意 | 湿 | 直 | 土用 | 中 | 座 | 叡 | 脾 | 艮 |
金 | 負債 | 白 | 義 | 悲 | 魄 | 燥 | 剛 | 秋 | 西 | 臥 | 従 | 肺 | 兌 |
水 | 収益 | 黒 | 智 | 恐 | 志 | 寒 | 隠 | 冬 | 北 | 立 | 聡 | 腎 | 坎 |
陽 | 陰 | ||||||
貸方 | 借方 | ||||||
木 | 資産 | 増 | 正 | 木 | 資産 | 減 | 負 |
金 | 負債 | 減 | 負 | 金 | 負債 | 増 | 正 |
土 | 資本 | 減 | 負 | 土 | 資本 | 増 | 正 |
火 | 費用 | 増 | 正 | 水 | 収益 | 増 | 正 |
為替 | |||||
上昇 | 下降 | ||||
陽 | 陰 | ||||
輸入・下降 | 経常収支 | 輸出・上昇 | 輸入・上昇 | 経常収支 | 輸出・下降 |
陰 | 陽 | 陽 | 陰 | ||
転入・上昇 | 資本収支 | 転出・下降 | 転入・下降 | 資本収支 | 転出・上昇 |
陽 | 陰 | 陰 | 陽 | ||
国外・下降 | 人件費 | 国内・上昇 | 国外・上昇 | 人件費 | 国内・下降 |
陰 | 陽 | 陽 | 陰 |
営業CF | 投資CF | 財務CF | 型 | 出典 | |||
1 | 陽 | 陽 | 陽 | 営業活動で現金を生み出した上に、借入金などで現金を増やしている。更に、固定資産や有価証券なども売却している。将来の大きな投資のためにお金を集めているのであろうか。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
資金が潤沢な会社 | 資金の使途が明確になっていない。戦略的投資・買収に備えていることも考えられる。 | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
営業CFのプラスはいいことです。投資CFがプラスという事は、何かの資産(投資有価証券とか、土地建物等の固定資産)を売却したか、或いは、積立金を計上していた保険金を解約したりして、式がプラスになったのでしょう。財務CFがプラスという事は新規に借入をしたか、増資をしたからでしょう。この様に全てのCFがプラスになってよいのですが、滅多にないことでしょう。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ○ | |||||
2 | 陽 | 陽 | 陰 | 営業活動と、固定資産や有価証券などの売却により現金を生み出し、借入金の返済を積極的に行っている。財務体質強化の段階にある会社だろう。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
リストラ実施中の会社 | 借入金返済を優先し、将来的の投資活動を行っていない | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
事業縮小型 | 肥大しすぎた会社のバランスをよくするために、不要となった資産を取り崩し、負債の返済に充てている形態。特に多角化をし過ぎた会社が中核となる事業に資源を集約しようとする過程で見受けられる。 | 「キャッシュフロー計算書入門」 澤 昭人著 中経出版 | |||||
借金の返済に資産を売って得たお金をあてている。今後のキャッシュフローが気になる会社 | 「ゼロから解る会社の数字」大石幸紀著 | ||||||
出直し型 | 現在の事業でまだ稼げているが、財務体質改善や不要資産の売却などを行うことで現状を変革しようとしている企業とみることができます。出直し型と名付けましたが、投資した資産を売却するなどして投資活動によるキャッシュフローがプラスとなるとともに、借入金の返済などで、財務活動によるキャッシュフローがマイナスになっている状態です。 | 「決算書はここだけ読もう2009年版」ジャストネットコミュニケーションズ(株)編 | |||||
営業CFがプラスで財務CFがマイナスというのは、よくあるパターンです。投資CFがプラスという事は、借入金返済の金額が、営業CFで賄いきれなかったから資産を売却したのかも知れません | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ○ | |||||
3 | 陽 | 陰 | 陽 | 営業活動で現金を生み出した上に借入金などで現金を増やし、積極的に投資活動を行っている。将来の戦略も明確な優良企業のパターン。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
拡大指向の成長会社 | 本業も順調であるが、財務活動により資金を調達し、積極投資を行っている | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
2成長期 | 新しく立ち上げたビジネスが成功すると、会社は成長期に入ります。成長期には、順調に売上が増えてくるため営業CFはプラスになります。又、成長するために新たな投資が必要となりますので投資CFはマイナスします。そして、今後も成長が見込まれる有望なビジネスであれば、積極的な投資を行うために新株の発行や銀行からの借入によって資金を調達しますので財務CFはプラスとなります。成長期においては、積極的な成長に向けての投資資金を営業活動と財務活動によるキャッシュフローによって賄っているというイメージを持ってください。尚、近年のように価格競争が厳しくなってくると、立ち上げたビジネスが成長期に入っても営業CFをプラスにすることができずに撤退するケースが増えてきています。 | 「数字」は語る―3分で読み解く決算書入門― (単行本(ソフトカバー)) 望月実 (著) |
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調子の良い会社の典型 | 財務三表一体分析法 | ◎ | |||||
借金に少々頼ってはいるが、投資もできている、これから発展しそうな会社 | 「ゼロから解る会社の数字」大石幸紀著 | ||||||
積極投資型 | 現在の事業も順調であることから営業活動によるキャッシュフローはプラスであるが、積極的に投資をする為に、現在の資金に加え、調達する企業です。新工場の建設かもしれません。新分野への開発投資や事業買収かもしれません。いずれにしても、プラス・マイナス・プラス型は、現在の事業が順調で積極的な投資のために資金調達を行っている企業と見ることができます。 | 「決算書はここだけ読もう2009年版」ジャストネットコミュニケーションズ(株)編 | |||||
優良企業(営業CFがプラス)が大きな借金(借入か社債発行)をして、大きな投資(工場や店舗)をするときに、発生するパターンです。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ○ | |||||
4 | 陽 | 陰 | 陰 | 営業活動で生み出した現金を投資活動や借入金の返済に充てている。潤沢なキャッシュフローがある会社であろう。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
現在成功している会社 | 経常的な企業活動で生み出した資金を、健全に投資活動と財務活動に使っている | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
業績優良型 | 継続的な成長のためには、営業キャッシュフローで確実にキャッシュを獲得し、その一部を新規事業など将来のための投資へまわし、財務はキャッシュの効率を考えながら運用することが重要である。 | 「キャッシュフロー計算書入門」 澤 昭人著 中経出版 | |||||
3安定期 | 最高のCF。顧客の囲い込みに成功したり、提供しているビジネスがブランドとして認知されるようになると会社は安定期に入ります。安定期のキャッシュフローの特徴は、潤沢な営業CFにあります。安定期には潤沢な営業キャッシュフローを使って、ビジネスを継続するための設備投資を行います。また、今までに資金を提供してくれた株主に対して配当を増やしたり、銀行に資金を返済するために財務CFは、マイナスとなります。安定期が続くと銀行からの借入をどんどん返済していくため、有利子負債比率が下がり企業の財務健全性が向上します。 | 「数字」は語る―3分で読み解く決算書入門― (単行本(ソフトカバー)) 望月実 (著) |
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本業で利益を出せる上、その利益から借金の返済と将来の投資ができる、優良会社 | 「ゼロから解る会社の数字」大石幸紀著 | ||||||
優良型 | 営業活動によるキャッシュフローが大きくプラスであれば、その会社の利益は大きく、かつ事業としての収益構造もいいと考えられます。優良企業と呼ばれる第一ポイントです。又、将来の投資にも積極的に対応するため、投資活動のキャッシュフローはマイナスになっているはずです。保有する有価証券などを売却するなどして、一時的にプラスになることもあるでしょうが、「優良型」であるか、「出直し型」であるかは、営業活動によるキャッシュフローの大きさで見ていきます。又、資金が潤沢で調達の必要がないという事で、財務活動のキャッシュフローは、マイナスになります。 | 「決算書はここだけ読もう2009年版」ジャストネットコミュニケーションズ(株)編 | |||||
これは、潤沢な営業CFによって投資をし、更に、借金を返済したのか、或いは、足りない金額については、期首からあるキャッシュで賄ったかのどちらかと言う事です。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ○ | |||||
5 | 陰 | 陽 | 陽 | 営業キャッシュフローがマイナス分を借入金と固定資産や有価証券の売却で賄っている。問題会社の一般的なパターン。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
資金不足を補っている会社 | 資金繰りが逼迫しているため、資産を売却、増資等をおみなっている | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
業績悪化型 | 倒産寸前の会社は一時的に無理な押し込み販売で売上を伸ばすことがあり、その数値を基にした新規借入により財務キャッシュフローを大きくプラスにできるが、そのほとんどを営業キャッシュフローの穴埋めに使うことがある。 | 「キャッシュフロー計算書入門」 澤 昭人著 中経出版 | |||||
4衰退期(不況期) | 商品価格の下落や販売数量の減少により、十分な利益を稼ぐことができなくなると、営業CFは減少していきます。例えば、32型プラズマテレビは数年前までは30万円程度で販売されていましたが、近年は10万円を切る商品まで生まれています。技術革新によるコストダウンよりも販売価格の下落のスピードが速ければ速いほど、営業CFも減少していきます。この様な状況になったら、次の主軸となる商品を開発・製造しなければなりませんので、投資キャッシュフローはマイナスとなります。又、衰退期には、手持ちの固定資産や株式などを換金することもありますので、その場合は、投資CFはプラスとなります。そして、それでも不足する資金については銀行などから借入を行うため、財務CFはプラスになります。 | 「数字」は語る―3分で読み解く決算書入門― (単行本(ソフトカバー)) 望月実 (著) |
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調子の悪い企業の典型 | 財務三表一体分析法 | ▲ | |||||
財産を売却した上に借金も増えている。利益をあげる仕組みを整えないと厳しい会社 | 「ゼロから解る会社の数字」大石幸紀著 | ||||||
ほぼ死亡型 | 現在の営業活動はうまくいっていないのでしょう、その為か資産を売却して資金を得、また、資金調達することでもキャッシュを得ている、状況です。一時的にまったく違う事業へ転身するために資金を溜め込んでいる、と見ることもできますね。また、あまりにも現在の事業の採算性が悪く、資金流出が続き、その手当てとして資産売却と資金調達を行っている、とも考えられます。いずれにしても最悪の状態の前後、なのかもしれません。 | 「決算書はここだけ読もう2009年版」ジャストネットコミュニケーションズ(株)編 | |||||
良くないパターンです。営業CFのマイナスを埋めるのに、何かの資産を売却したか、積立計上していた保険契約を解約し、さらに追加の借金で資金を捻出するというパターンです。売ったり、解約する物があるうちは、そして追加の借金ができるうちは良いのですが、どちらもいつまでも続きませんので、やはり営業CFをプラスにすることが最大のテーマです。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ▲ | |||||
6 | 陰 | 陽 | 陰 | 営業キャッシュフローマイナス分と借入返済分を固定資産や有価証券の売却で賄っている。過去の蓄積を切り売りして事業を継続している。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
本業不振の会社 | 保有資産の切り売りによって借入金の返済を行っている | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
借金を資産の売却によって返済している。借金の返済方法を検討する必要のある会社 | 「ゼロから解る会社の数字」大石幸紀著 | ||||||
お先真っ暗型 | 営業活動によるキャッシュフローがマイナスなのは一発逆転型と同じです。投資活動と財務活動がまったく逆なところが違いますね。投資活動によるキャッシュフローがプラス。つまり、投資していた資産を売却しています。そしてその資金で借入の返済をしているのでしょうか、財務活動によるキャッシュフローがマイナスです。現在の事業がうまくいかず、銀行が見放したため、資産を売却し食いつなぐと同時に融資の引き上げに応じざるを得ない状況、と考えるとあり得ない姿ではないですね。なにか、ドキッとしませんか。 | 「決算書は個々だけ読もう2009年版」ジャストネットコミュニケーションズ(株)編 | |||||
営業CFで資金を生み出すことがでず、しかも、約定の借金返済をしなければならないので、保有資産の売却か、積立計上した保険金を解約して、資金を捻出したというパターンです。投資CFで資金を生み出せなくなったときが心配です。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ▲ | |||||
7 | 陰 | 陰 | 陽 | 営業活動で現金を生み出せないが、将来のために設備投資を行っている。営業のマイナス分と設備投資資金を全て借入や新株発行で賄っている。自信がある将来計画があるのだろうか。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
設立後間もない成長会社 | 借入・増資等による調達資金により、投資を行っている。 | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
リストラクチャリング型 | 営業キャッシュフローが赤字にも関わらず新規事業へ社運を掛けて投資を積極的に行っている場合は、失敗すれば倒産の可能性もあるが、新規参入のために、営業キャッシュフローが一時的に赤になっているケースも考えられる。 | 「キャッシュフロー計算書入門」 澤 昭人著 中経出版 | |||||
1設立期 | 会社を設立したばかりのころは、ビジネスから充分なキャッシュフローを稼ぐことができないので、営業CFは赤字にとなります。その一方で、ビジネスを大きくしていくためには、投資が必要ですので、投資CFはマイナスとなります。しかしながら、ビジネスから十分なキャッシュフローを稼げない状態では、ビジネスを成長させるための十分な資金がありません。そこで、不足する資金を投資家や銀行などから調達しなければならないので財務CFはぷらすとなります。設立期において、営業活動と投資活動でまいなすになったキャッシュフローを財務キャッシュフローをプラスにすることによって、バランスをとっているとイメージしてください。 | 「数字」は語る―3分で読み解く決算書入門― (単行本(ソフトカバー)) 望月実 (著) |
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4衰退期 | 最悪のCF。 | 「数字」は語る―3分で読み解く決算書入門― (単行本(ソフトカバー)) 望月実 (著) |
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投資に借金をあてている。立ち上げたばかりのベンチャー企業などに見られる形 | 「ゼロから解る会社の数字」大石幸紀著 | ||||||
一発逆転型 | 現在の事業がうまくいっていないのでしょうか、営業活動からのキャッシュフローがマイナスです。これを打開するためか、資金を調達し投資を行っている、と見ることができます。一発逆転型と名付けました。企業の存立が危ぶまれる状況ですが、資金調達ができていることから、その資金を使って次の一手を打つべく投資をしているように見えませんか。 | 「決算書はここだけ読もう2009年版」ジャストネットコミュニケーションズ(株)編 | |||||
営業CFがマイナスではありますが、設備投資をしています。その資金は借金(借入金又は社債の発行)又は増資でまかなっいるということでしょう。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ▲ | |||||
8 | 陰 | 陰 | 陰 | 営業活動で現金を生み出せないのに、将来のための設備投資を行い、借入金の返済も行っている。過去に多くの現金の蓄積があった会社なのであろう。 | 「「財務三表のつながり」で見えてくる会計の勘所」 国定克典著 ダイヤモンド社 | ||
倒産の危険性のある会社 | 過去からの余剰金等で、何とか生き残っている | 「決算書を読みこなして経営分析ができる本」 高下淳子著 日本実業出版社 | |||||
5壊滅期 | 最悪のCF。壊滅期のキャッシュフローの特徴は、営業CFのマイナスが大きくなっていくことです。又、換金可能な資産は売却してしまっていますが、ビジネスを継続するための最低限の投資は必要なため投資CFもマイナスとなります。その上、銀行などから借入金の返済を求められるため、財務CFもマイナスになります、 | 「数字」は語る―3分で読み解く決算書入門― (単行本(ソフトカバー)) 望月実 (著) |
|||||
営業CFがマイナスではありますが、約定の借金返済はせざるを得なく、しかもこの苦境を打開すべく投資をした、と言うところでしょうか。それらの資金はどうしたかというと、期首の手持ち資金から賄った、ということになりましょう。 | 「財務オンチ社長会社を倒産させる。」増田正二著 | ▲ |