経済と陰陽五行(実績編)

運   動



 運動とは、変化である。変化は、時間の関数である。
 運動の始めは、自己と対象との位置の変化として認識される。位置というのは空間的距離だけを言うのではなく、温度のような状態の変化も含んでいる。
 温度と言った状態の位置、又は、距離の変化とは、自分体温と対象との温度差の変化を言う。つまり、自己を中心とした状態の変化を言う。

 運動は、何によって引き起こされ。どの様に伝播するかが、重要である。

 経済の運動は、二次元的に見ると上昇と横這いと下降、三次元的に見ると発散、静止、収束の三つしかない。
 増加と減少。成長、成熟、衰退。 拡大、停滞、縮小は三つの運動の見方を変えた運動にすぎない。

 経済は、拡大と縮小、上昇と下降を繰り返している。

 上昇と横這い、下降の連続した運動は、回転運動に変換できる。

 経済運動の基本は、循環である。つまり回転運動である回転運動は、上下運動、周期運動に変換される。

 又、循環運動は拡大と収縮によって起こされる。 

 経済運動の混乱は、個々の運動の周期の差によって生じる。即ち、一年間で上下を繰り返す運動と、十年の周期で上下運動を繰り返す運動の不協和が経済全般の変動を狂わせるのである。

 即ち、変化は位置と時間の関数であり、時間の働きによって経済現象は引き起こされるのである。

 変化、即ち、運動で重要なのは、量と質、方向である。故に、運動で重要になるのは、密度とベクトルである。そして、変化は時間の関数であるから、生起した時間が重要になる。特に、経済を予測、決断を下すためには、全体の変化に先行的に現れる変化(予兆)か、遅行的に現れる変化かが重要になる。
 又同じ方向の変化か、逆方向の変化が重要となる。

 収益は、市場の拡大に連動して上昇し、市場が成熟するに従って横這いとなり、市場の収縮に従って下降する。

 それに対し、人件費は、年々、物価の上昇率に従って更新され、上昇していく。又、市場の動向に対して下方硬直的な動きをする。

 利益は、収益から費用を差し引いた値であるから、市場の縮小に伴って圧迫される。場合によっては、押し潰されてしまう。

 この様に何に連動して決まる値なのか。そして、その値が何に影響を与えるのかが、重要な要素となる。

 また、何に連動させて変化を測るかを明らかにする場合、経済的変化には、名目的な変化と実質的な変化があるため、名目的な変化を基準とするか、実質的変化を基準とするかが、重要となる。

 市場が縮小しているのに過剰な投資をすれば必然的に経営は破綻する。それは市場の周期と投資の周期の不協和によって発生する。

 市場の生成発展の周期と設備の投資、更新の周期を均衡させることが経済を安定させることに繋がる。
 
 作用反作用は、引力と斥力である。取引は作用反作用の働きを生む。即ち、一つの取引には、同量の反対取引が同時に発生している。

 財の流れる方向の反対方向に貨幣は流れる。それが経済の働きに作用反作用の関係をもたらしている。

 即ち、経済の運動の基本は、循環、蓄積、流れである。

 貨幣の運動は、流れに依る。故に流動性が重要となる。流れであるから量だけが重要になるのではなく。方向性が重要になる。特に、貨幣は、虚の流れ、情報の流れである。つまり、水流と言うよりも電流に近い。

 貨幣の流れを決定するのは、誘因である。例えば、国際間での資金の動きは、当事国間の金利の高低差、物価や購買力の高低差、人件費の高低差、貨幣価値の高低差、経常収支の状況、財政の状況、当事国間の経済政策、為替政策の差と言った要素が誘因となる。これらの誘因の総合力によって通貨の流れる方向が決まる。そして、この流れ自体が誘因にもなる。

 経済にとって重要なのは流れである。則ち、流動性である。
 経済の流れには、物流と通貨の流れがある。流動性とは、通貨の流れやすさの度合いを言う。つまり、現金化の速度である。

 流れは差によって生じる。差がなくなれば、流れが止まり、経済は機能しなくなる。同様に差が大きくなりすぎても、経済的要素は、流れなくなる。高低差を上手く活用して流れを制御する事が経済において重要なのである。

 変化は、安定を求める性質がある。故に、変化は、定常的な方向、即ち、均衡に向かって動く。差は、差がなくなる方向に変化する。

 流れは、安定を求めて高きから低きに流れる。つまり、相対的位置が重要になる。即ち、水準が重要なのである。
 相対的位置を知るためには、資金の流れを誘導する構造や力関係を見極める必要がある。その上で流れの方向を見るのである。
 例えば、表面に現れる資金の利用は同じでもその流れる方向が逆であればその効果も逆である。
 投資に向かう金なのか返済に向かう金なのか表面に現れた量だけでは理解できない。

 貨幣の流れを制するのは、大河を制するのに似ている。貨幣の流れには、勢いがある。滞留がある。澱みがある。又、奔流がある。

 過剰流動性という現象は、貨幣の総量によるだけでなく。偏りにもよる。

 事象には、変化する部分と変化しない部分がある。しかし、全体は統一的であり、均衡している。その統一性と均衡が破れると事象は破綻する。

 企業は、会計原則の上に構築された仕組みであり、企業を動かしている原動力は資金である。
 現金とは、現在の貨幣価値を実現した値である。貨幣とは、現在の貨幣価値を指し示した物である。
 経営の問題は、最終的には、現金の有り高、即ち、残高に収斂する。企業が所有する現金というのは、一年間の取引に使われた貨幣価値の総量から見るときわめて少ない。
 この資金の性格は、経済にも通じる。貨幣経済を実質的に動かしているのは、貨幣であるが、流通している貨幣の総量は、経済的価値を総量ではなく、一部に過ぎない。

 貨幣経済で経済の実体を動かすのは、資金の流れである。

 資金の速度は、回転率に現れる。
 
 現代の企業は継続を前提としている。企業の継続を実際に決定する要素は、資金残高である。資金が廻れば、企業経営は継続できる。つまり、利益の有無が企業経営を継続させている直接的な要因ではないのである。ただし、利益の有無は、資金の調達に決定的な役割を果たす。

 そして、資金の調達において、貸し借りの関係が基盤となった。なぜならば、期間損益計算が可能になったことで、長期的な資金の出納の見通しが立てられるようになったからである。そのことで、長期的な貸し借りの関係が成立するようになった。つまり、経済的価値が時間の関数として扱えるようになったのである。

 貨幣経済では、貨幣の運動が経済的な力を生み出し、国家や企業、家計と言った経済主体の仕組みを動かしている。
 この様な貨幣経済では、貨幣が、電流のように流れることによって力が伝達され、貨幣が、静止している時は、貨幣の力は、潜在的な力としてのみ働いている。
 即ち、貨幣は、流れることによって力が発揮されるのであり、通常は、経済主体に留まっているわけではない。貨幣は、経営主体を絶えず通過して流れていて、一瞬たりとも止まっているわけではない。
 企業の決算報告書、損益計算書、貸借表に記載されている数値は、見かけ上の数値であり、そこに記載されている数値と同量の現金があることを意味しているのではない。

 企業の会計制度は、丁度、自動車の速度計、燃料計や飛行機の高度計のような装置で、企業の実態を計測するための仕組みである。ガソリンの残量ような現物を直接表示しているのではない。計測した値を一定の尺度によって変換し、その結果の値を表示する装置である。ただし、速度違反を取り締まる根拠は、速度計にあるように、経営者の行動規範を規制する根拠は会計基準にあるのである。

 減価償却のような、内部取引は、仮想的取引であり、取引としての実体があるわけではない。この様な仮想的取引は、必要に応じて設定されるものである。故に、内部取引によって生じる利益も本来は実体がない。金融資産の評価替えの多くはこの実体を伴わない取引である。

 現金というのは、貨幣という形で現れるが、その本来の働きは運動によって発揮されるのである。
 借入金の残高は、現金を調達した量、また、将来、支払う義務のある現金の量を意味している。

 企業というのは、会計原則に基づいて組み立てられ、生産と分配を目的とした、現金で動く仕組みである。企業を動かすのは現金だが、企業を構成する要素は、人と物である。
 貨幣の動きばかりを見ていたら人と物の動きは把握できない。いくら見かけ上の数値がよくなっても雇用が減退し、財の流れが悪くなれば景気は悪化する。

 企業の仕組みを実際に動かしているのは、貨幣である。しかし、その貨幣の供給や回収を決めるための判断は、会計情報に基づいて成される。故に、会計情報は重要なのである。それぞれの、役割、目的を理解しないと経済政策に齟齬が生じる。

 間違ってはいけないのは、企業を動かしているのは資金だが、資金を供給するか、否かのは判断は、会計情報に基づいて為されているという事実である。

 故に、単純に資金を供給しただけでは、企業は正常に作動しないのである。

 補助金や借入保証は、資金を供給するためには有効な手段だが、それだけでは、現行の貨幣経済は正常に機能しない。企業が適正な収益があげられるような市場構造であって始めて企業は健全に機能するのである。収益が改善されることによって始めて企業は、正常に機能するのである。

 現在資金の量ばかりが問題とされているが、重要なことは、資金の流れる方向である。企業収益が改善されて始めて実業に資金は流れるのであり、企業収益が改善されなければいくら資金を供給しても実物経済に資金は流れず、回収側、即ち金融側に資金は流れる。
それが資金市場に大量に資金が流れ込む結果を招くのである。資金市場とは、金融、先物、資本市場を指す。

 実物市場に吸収されない資金は、行き場を失って仮想的市場を作りだし、その上で、自分達の作りだした仮想市場へ流れ込む。仮想的市場の対象としては、不動産市場や資本市場のような投機的市場が最適なのである。その典型がサブプライム問題である。
 それが過剰流動性をもたらし、バブルを引き起こすのである。バブルを生み出す市場は実体を持たないから実体と著しく乖離すると破綻してしまう。即ち、実物市場と仮想市場は連動していないと破綻するのである。
 バブルを引き起こしている市場は、見方を変えるとハイパーインフレを起こしている市場である。実物市場がバブルを引き起こしている市場に連動することは、実物市場がインフレーションに陥ることを意味する。故に、経済は、破綻するか、ハイパーインフレに陥るしか抜け道がなくなるのである。

 経済政策を施行する際、重要なのは、前提条件である。何が原因によって、どの様な市場の状況が現出したかである。必ずしも好況だから良い状態だとは断定できない。景気が過熱している場合もあるのである。
 馬鹿の一つ覚えのように競争、規制緩和と競争を煽ることだけが、唯一無二の政策だと硬直的に決め付けるのも危険である。重要なのは前提条件である。
 企業収益の悪化によって不況になった場合は、規制を緩和し、競争を煽ることではなく。市場の規律を取り戻すことである。

 個々の取引において貨幣が流れる方向と同じ方向に向かう取引を順な取引とする。貨幣の流れる方向と逆の方向の取引を逆な取引とする。又、個々の経済主体においては、調達貸せ運用側に方向への流れを順とし、運用側から調達側への流れを逆とする。
 貨幣の流れる方向と逆方向に財は流れる。貨幣経済では、貨幣が財の流れる方向を決める。

 経済や経営において固定的な部分を定数とし、可変的な部分を変数とする。そして定数と変数との関係を関数として設定するのである。固定性から変動性への変化の度合いを流動性と言い。この流動性が経済の活力の目安となる。

 企業経営を構成する資金には、長期的資金の動きと短期的資金の動きがある。そして、長期的な資金の動きと短期的な資金の動きを各々別個の性格のものとして分けて考えたのが期間損益である。
 長期的な資金は、固定的な部分とし、短期的な資金を変動的な部分を構成すると設定するのである。そして、長期的な資金の有り様と短期的な資金の有り様を分けて考えるのである。

 負債の残高は、将来の資金を調達側即ち、逆な流れの方向に向ける、逆流させる潜在的な圧力として働いている。

 貸し渋りは長期資金、即ち、借り換えを前提とした部分に対する行為であり、短期資金、即ち、運転資金は、その煽りを受けているのに過ぎない。
 運転資金は、基本的に期間収益、期間損益に関係した資金である。

 問題となるのは、この固定的であるべき資金が何の前触れもなく流動的な資金に変化してしまうことである。
 貸し渋りや貸し剥がしというのは、流動性の高い資金、即ち、運転資金の上で発生するのではなく。本来、固定的であるべき長期資金の借り換えや調達の上で起こるから深刻なのである。
 しかも、長期資金の返済は、損益上、貸借上のどこにも記載されず、期間損益には影響を与えない。長期資金を確保し、借り換えしていく為の担保は、担保力と収益力に依存している。又、短期資金の調達は、収益によって賄われるのが原則となっている。その為に、収益の悪化は、長期、短期の資金両面に悪影響を及ぼす。
 長期資金、短期資金の性格や構造に適合した資金政策がとられると、同時に、収益構造を経済環境に合わせて調整するような政策が併せてとられるべきなのである。

 現在採用されている経済政策の多くが、補助金や借入保証のような資金繰りに関連した政策と公共事業のような失業対策の面に重点が置かれているが、結局、企業収益が回復しない限り、本格的な景気の回復には結びつかない。その為には、収益構造の改善策を採る必要がある。
 物価の下落は、担保価値の下落、収益の悪化、雇用の減少、所得の減少を同時に併発する。その根本にあるのは、民間企業の収益力の悪化である。
 補助金や借入保証は、直接期間損益を改善する策ではない。失業対策も然りである。公共事業は、特定の業種に偏った策である。もう一つは、公共投資をしても資金が循環するように流れない限り意味はない。過去の借金の返済の方向にばかり資金が流れたら、市場に資金は循環しないのである。
 故に景気対策は、金融政策とか、公共事業の積み増しと言った単発的な政策ではなく。資金繰りに対する対策を図ると同時に、収益の改善策や雇用の促進策、会計基準の変更、規制の強化と言った策を複合的に行う必要がある。
 問題は市場の規律であり、市場が正常に機能するように規制することなのである。

 労働条件の差も経済状況に影響を与える。機械化するかしないかは、労働条件と機会のランニングコストとの比較による。

 労働条件の問題では、仕事に対する認識の違いは大きい。それは文化や世代の違いにもクッキリと現れる。日本の高度成長期を支えた多くの人間にとって仕事は、ただ所得を得るためだけのためにあるというのではなく仕事は生き甲斐だったのである。それが低成長時代にはいると仕事は、所得を得る手段としてしか考えられなくなってきた。この様に、経済情勢の背景には、道徳的、文化的な問題が潜んでいるのである。

 貨幣的価値は、最終的には、自然数に還元される。それは貨幣が物としての実体があるからである。即ち、貨幣価値は、分離量だからである。しかし、経済的価値は、連続量である。故に、経済的価値は、必ずしも自然数に還元されるとは限らない。

 所得は、分離量で計算されるが、労働は連続量である。

 物理現象は、長さと時間と質量によって測られるが、経済現象は、貨幣価値(交換価値)と時間と質量によって測られる。
 物理量で基準になるのが単位であるのに対し、経済の基準は単価である。即ち、単位は、一単位あたりの量であり、単価は、一単位あたりの貨幣価値である。

 会計の問題は、典型的な集合の問題であり、線形代数的な問題である。
 数字をひけらかしたり、弄ぶことで数学通であるように振る舞う者がいる。その場合、持ち出す数字は統計による数値が多い。しかし、数学は、統計だけが全てではない。確率、統計の重要性は認識するが、統計的数値だけで経済を捉えようとするのには限界がある。集合、数論、線形代数、微積分、幾何も含めた総合的に数学の知識を融合することが経済学には、必要とされるのである。

 会計は、取引を記録し、仕訳し、転記し、集計し、決算処理し、損益と貸借に分割される過程を経て形成される。即ち、会計は手続きであり、過程、操作である。

 会計制度は、基本的には、適正な期間収益、期間利益をあげられる体制を保証するものでなければならない。見せかけの利益や収益をあげることが目的なのではない。利益や収益はあくまでも結果なのである。利益や収益をあげるために会計本来の機能を変えてしまうとしたらそれは本末を転倒している。
 例えば、資金を調達するために、利益を操作し内部取引を利用するようなことである。又、見かけ上の利益をあげるために、売上や棚卸資産、金融資産の評価を調整すると言う事である。市場価格を支配するために、価格を異常に低く抑える事である。又、企業利益をあげるために、仕入れ価格を異常に低く買いたたいたり、賃金を低く設定したり、保安の手を抜いたり、品質を劣化したり、人員を必要以上に削減することである。それによって例え競争力が付いたとしても、それは、まやかしの競争力である。又、個別の企業の会計上の実績は改善しても景気全体は良くならない。あくまでも会計というのは、経営の実態を知るための手段に過ぎないのである。
 会計は、本来手段であって、目的ではない。利益は、指標であって、目的ではない。手段が目的化することによって本来の機能を果たさなくなれば、一企業の問題だけに止まらなくなる。
 正統的な処理によって適正な利益があげられない状況に企業が追いやられた時、企業は、存続するために、あらゆる手段を講じるようになる。それでも収益があげられなければ、本業以外で収益をあげることを画策する。又、その様な状況に陥れば、金融機関からの資金の供給も滞るようになる。産業や企業が苦況に陥った時、問題なのは、その産業や企業の社会に果たしている役割と、産業や企業が苦況に陥った原因である。短絡的に、全てを経営責任に帰しているばかりでは、真の原因は見失われるのである。経営者個人の力には自ずと限界があるのである。

 現在の会計制度では、自前の資金で投資ができない仕組みになっている。即ち、金融市場か資本市場で資金を調達せざるを得ない仕組みになっているのである。

 会計上、内部留保や資産は、所有することが、不利か、原則、できないような仕組みになっている。即ち、借金に頼らなければ、或いは、借金をしなければ投資ができない仕組みなのである。この点を論じなければ現代の資本主義は語れない。

 今の会計制度では、資金は、経営主体の内部に蓄積できない仕組みになっている。故に、必要な資金は外部から調達しなければならなくなる。資金を調達する手段には、借金と増資、収益の三つがある。そして、根本は、収益によるのである。
 資金が調達できなくなる、即ち、資金の供給がとなると企業は存続することができなくなる。即ち、倒産する。収益による資金の確保が困難になると借金か、増資をする以外に手段はない。費用は、固定的な部分が大きい。それに対し、収益は、固定的な部分が小さく、変動幅か大きいのが常である。故に、収益ばかりに頼っていれば、一時的に資金が不足するのは必然的帰結である。増資は、手続に時間がかかる上に、恒常的な資金調達の手段に適していない。その不足した部分を借金で補わなければ企業経営は存続できないのである。
 即ち、借金に依存しなければ企業経営は、存続できない仕組みが出来上がっているのである。そして、その前提に基づいて経済施策は考えなければならないのである。







                       



ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano