経済と陰陽五行(実績編)

構    造

 経済には、構造がある。構造とは、経済を構成する個々の要素、部分が結びつきあって構成している全体を指す。

 構造では、個々の要素、部分を結びつけあっている働きが統合されて全体の動きとなる。個々の部分と全体との動きは、必ずしも統制のとれた動きではない。ただ、全体には、全体を維持していこうという力が常に働いている。この部分に働く力の総和と全体を維持していこうとする力の総和が均衡することによって全体は保たれている。均衡が破れると全体は解体する方向に動き出す。

 自分と他者との関係は、自己を客観化すると個人と全体との関係に置き換わる。個人と全体とは、内と外との関係を生み出す。
 個体と全体の関係の土台には自他の関係がある。個としての自分と全体の中の自分を位置付けることによって生じる関係がある。個というのは、視点を変えると何等かの一部であり、また、全体でもある。
 個としての働きは、全体に位置付けられて機能を発揮する。個々の機能は全体との関係を形成する。全体は、個々の働きと関係によって結び付けられ維持される。つまり、働きは個体と全体双方に働く。
 主体的存在である自己を客体化すると個人となる。個人が集まって社会、則ち、全体が形成される。社会が象を持つと国となる。それが民主主義である。

 構造とは、形、相である。

 天に在りては象を成し、地に在りては、形を成す。(繋辞伝上)

 時間の中に現れる象(かたち)を存といい、空間の中に現れる象(かたち)を在という。時間が陰に作用する象を形といい。時間が陽に作用する象を相という。

 複数の要素や、対象が相互に結びあって一つの全体を形成することがある。その全体を構造という。全体が形成されると個々の要素や対象は部分となり、位置が定まる。位置が定まると全体の形が決まる。
 形は、時間と伴に変化する。その時点、時点に作られた形が相である。

 会計は、構造である。則ち、会計には、形と相がある。そして、形や相を成立させるための法則、基準の象(かたち)がある。

 現代の貨幣経済には、「お金」の形、相がある。「物」の形、相がある。「人」の形、相がある。この他に、もう一つ、会計が生み出す形、相がある。

 例えば償却という概念で考えてみると、先ず、償却には、金銭上の償却の問題がある。更に物理的償却、人的な償却と言う観点がある。その上に、会計上で言う償却がある。更に、会計上の償却には、財務会計と管理会計の別があり、財務会計の中には、商法上の償却、税務上の償却、証券取引上の償却の取り決めがあり、各々微妙に内容が違う。又、国によっても差がある。これらが複合されて経済の上の形と相を作りだしている。
 家を例にして考えると、土地付きの家を購入したとした場合、家は、年月と共に老朽化していく。一定の期間が来ると建て替えが必要となる。これが物理的な意味での償却である。現金出納上の償却とは、家を購入する際にローンを組んで借入を起こす。そのローンの元本と月々の返済額が金銭的な償却である。そして、家の持ち主の生活や家に対する考え方、使用方法は年月と共に変化する。又、家族構成も変わる。生活や家族構成の変化によって家に対する基本的な考え方も変わってくる。これが人的な償却である。
 更に、会計上の償却がある。

 時間を一定の単位で区切る成立する形と相がある。会計は、その形と相によって成り立っている。

 会計基準のような象(かたち)、即ち、無形な法が財務諸表のような形を作り上げていく。そして、現実の取引によって一年、一年の相によって決算書が作成される。

 又、会計には、損益と貸借の形がある。損益というのは、一定期間、則ち、単位期間の活動の成果を表し、貸借は、結果を表している。言い換えると損益は、単位期間内の活動を表し、貸借は、単位期間を経過した後の残高を表している。一定期間内で成立した活動は、短期の活動であり、残高は長期の活動の経過だと言える。つまり、長期短期の現れだとも言えるのである。この基準は、流動性の尺度にもなる。又、一般に単位期間は一年とされる場合が多い。

 陰陽には、元となる性格と変化の方向の二つの働きがある。その二つの要素が合わさって陰陽、いずれかの働きを発揮する。

 陰陽には、その物や要素その物が持つ性質とその物や要素の変化や運動の方向による働きがある。そして、その働きが相互に関わり合うことによって全体の状態が形成されていく。陰陽を定めるのは自他の関係である。

 経済には、流動的な部分と固定的な部分がある。流動的であるか、固定的であるかは、時間の関係で決まる。流動的な部分が変易であり、固定的な部分が不易であり、その基準は簡易である。

 バブル崩壊後、日本で問題となったのは、三つの過剰だと言われている。即ち、過剰設備、過剰雇用、過剰負債の三つである。そして、この三つの過剰、即ち、過剰設備と過剰雇用、過剰負債は、経済の本質を象徴している。
 三つの過剰に共通することは、長期的資金か固定的費用に関わった要素だと言うことである。

 産業の構造には、第一に、固定費が大、変動費が大、第二に、固定費が大、変動費が少、第三に、固定費が少、変動費が大、第四に、固定費が少、変動費が大の四つの型がある。
 更に、固定費は、人件費と設備償却の占める割合によって性格が違ってくる。又、管理可能費か、不可能費かによっても違いが生じる。

 第二の型の産業には、設備集約型の大規模製造業や労働集約型のサービス業が属している。第三の型には、商社や生産の外部委託をしている製造業が属している。第四の型には、インターネット関連業などが属している。

 固定的で、基幹となるべき費用は、経営をする上での前提条件なのである。その前提条件であるべきはずの費用が揺れ動いているのが現代なのである。
 例えば、為替や原油価格と言った費用の根底を構成する要素は、前提条件となる固定的部分でなければならないのである。そして、為替も原油価格も収益と費用両面に影響を及ぼす要因なのである。
 為替や原油価格は、元来が管理不能費なのである。この様な要素は、基盤であり、地盤なのである。現代経済の問題点は、この基盤や地盤が揺らいでいることにあるのである。

 固定費というのは、長期的に均衡する費用である。即ち、一定の期間を時間の単位として単位期間あたりかかる費用を割り出す過程で期間内に消費される費用と期間をまたがって消費される費用が区分された結果、成立したのが固定費である。
 この様な固定費が設定することが可能なのは、費用が貨幣に依って表現することが可能となったからである。

 その為に、実体の伴わない。即ち、実際に現金の動きや消費の伴わない取引が生じる。即ち、虚の部分である。その典型が減価償却費である。だからといって虚の部分が悪いというのではない。虚の部分の働きを正しく理解しておかないと悪さをすると言うだけである。
 特に、虚の部分に対応する資金の流れを正確に理解することが大切となる。

 ただし、気を付けなければいけないのは、貨幣は、貨幣それ自体が虚だと言う点である。借入や資本というのは、それ自体では成り立たない。相対になる対象、裏付けとなる実体が何かが重要となる。

 貨幣化とは、則ち、数値化である。数値化の意義は、視覚性と操作性にある。貨幣価値に視覚性と操作性を与えることによって貨幣価値を方程式化する事が可能となる。また、分割したり、凍結することも可能となる。つまり、形式化することが可能になるのである。その結果、レパレッジやヘッジという操作によって価値を増幅したり、圧縮したりする操作が可能となるのである。又、転移したり、所有することも可能となる。数値化が貨幣経済の基盤を構成している。

 しかし、それは、実際の資金の流れや財の流れと損益を分離させることにもなった。つまり、利益や資本とは虚なのである。則ち、貨幣経済は、虚と実とからなる経済であり、虚と実との均衡を守ることが肝要となる。
 貨幣経済、市場経済は、虚の部分と実の部分から成る。虚の部分だけでも、実の部分だけでも成り立たない経済の仕組みが出来上がっているのである。

 利益を罪悪視する傾向があるが、それは、利益の構造を理解していないのである。利益とは相である。それは基盤となる形、象によって成り立っている。形、象は、長期、短期の実相を元としている。則ち、時間の構造が重要なのである。

 利益とは、相である。利益の相を診て、その後の対処を判断するのである。

 期間損益は、利益や費用の平準化を目的にして成立した計算方法である。利益や費用を平準化することによって現金収支の不均衡を是正したのである。則ち、期間損益と現金収支とは別の概念である。その点を理解しないと現在の経済現象の問題点を理解することはできない。

 景気が良くなっているはずなのに資金が流通しなかったり、逆に、資金が過剰に供給されているはずなのに、一向に景気が良くならないと言う現象は、この期間損益と現金収支の違いから生じる場合もあるのである。

 経済や経営というのは、生きる為の活動である。利益を上げる目的は、人間を行かすことにある。金儲けにあるわけではない。故に、利益そのものを目的化するのは、本末の転倒である。
 利益は、二義的な結果である。利益を生み出す構造、損失を生み出す仕組みが問題なのである。

 経済主体は、生きることを目的とした存在である。人々を生かすために、経済主体はあるのであり、金儲けをするために存在するのではない。
 人を生かすためには、適正な利益が必要なのである。やたらに競争を煽り、安売り合戦をもて囃すのは本末の転倒である。企業が適切な利益を上げられなくなり、人員を削減し、或いは、人件費を抑制すれば、巡り巡って不景気を招くのである。
 経済主体は生活のための形、相を持っている。その形と相を知る事が根本なのである。
 その相の一つが利益なのである。

 不当な利益も問題だが、累積赤字はより深刻な問題なのである。それは利益は、時間の経過の中で判断されるべき指標だからである。長期的、短期的均衡の上に利益は成り立っているのである。



参考文献
「漢字百話」白川 静著 中公新書




                       



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