私は、今、なぜ、どうしてという気持ちでいっぱいです。

三月には、東日本大震災、四月には、会長の死と、昨年は、公私ともに多事多難な歳でした。

でも勘違いしないでください。確かに、去年は、国家的な大災害の年でしたし、又、個人的にも人生の分岐点といえるような年でした。
しかし、なぜ、どうしてというのは、大きな震災に見舞われたからとか、父が亡くなったからと言うのではありません。

私は、今年、59になります。
つまり、同じ年の仲間の多くは、今年一年かけて定年を次々と迎える年です。
そう思うと走馬燈のようにこれまで自分が生きてきた軌跡が思い出されます。

私は、感傷にふけるために、こんな事を申しているわけではありません。
正念場に立たされている人間として、ここで一度、自分なりのけじめを付けないと、これからの人生を、悔いないものに、出来ないと思うからです。
今まで、自分達のやってきた事を、総括しなければ、我々は、我々の人生に責任を持つことが、出来ないと思うからです。

我々の世代は、終戦直後に生を受け、高度成長の波になり、戦後日本の発展と伴に成長してきました。

反ベトナム戦争、学園紛争、ビートルズ、フォークソング、反体制と過激なまでに先鋭的な運動を展開してきました。
そして、定年を迎えようとする直前に、あの大地震と津波に遭遇したのです。

あの大地震や津波は、我々の、自負心や自尊心、虚栄心、幻想の悉くを打ち砕いてしまいました。気がついてみたら、我々に残されたのは、日本人としての矜持だけです。
被災地の情景を敗戦直後の焼け跡の景色に重ね合わた時、生きる為になりふりかまわず、がむしゃらに、働いてきた父の姿が目に浮かびます。

この国は、父や母達が護り通した国です。
その祖国が、今、我々を必要としているのです。

これから生まれ育っていく我々の子供達の為に渾身の力を込めて、今一度、我々は立ち上がらなければならなりません。過去を思い出すのは、懐古主義や感傷のためではありません。不死鳥のように又甦り、子供達の未来を取り戻すためです。日本人としての誇りを取り戻すためです。

だから、私は、栄光も称賛も望みません。
ただ、一人の日本人として祖国に尽くしたいだけです。

何も、難しいことをしようと言うのではありません。
思想だの、政治だのを振りかざしていた時代は終わったのです。
我々が捨て去ってきたもの、又、これから捨て去ろうとしているものを取り戻そうと言うだけです。

それは、日本人の心です。日本人の道です。

我々の世代は、未だに、おそるおそる、何か悪い事を言うかの如くしか国のためにと言えないのです。

その一方で、日本人としての心、父や母達が護ろうとしてきた日本が、今、将に失われようとしているのです。

日本には、四季があります。春夏、秋冬、それぞれに趣があります。
そして、日本には、季節折々に独特の生活がありました。
正月には、正月の、春には、春の、夏には、夏の、秋には、秋の祭礼仕来りが日本にはあります。
その仕来りや習慣を捨てたら日本人は、日本人でなくなってしまうのです。

私は、かねてより季節感のない仕事はするなと言ってきました。
しかし、今、我々の日常から季節感が、なくなりつつあります。
正月は、ただの休日になり、それに代わってクリスマスやハローウィンが日本人の生活の隅々にまで浸透しようとしています。

大層なことをしようと言うのではありません。
日本人が護ってきた日常の生活や祭礼、文化を大切にしたいのです。
日本人としての信義、道徳、誇りや意地を貫きたいのです。
多くの日本人はそれを捨て去ろうとしているのです。

私は、日本人としての歴史や伝統を守り続けたい。ただそれだけです。
日本人としての生活を取り戻したい。

なぜ、父や母達の功績を認めようとしないのか。
どうして、日本人の心や魂を取り戻そうとしないのか。
なぜどうして行動を起こそうとしないのか。

黙って見ているだけでは、どんどんと悪くなっていくのは目に見えているのです。
なぜ、踏みとどまろうとしないですか。

いいですか。
アメリカだって国家に対する忠誠心を常に求める。
共産主義国だって国のためというのが第一なのです。

なのに、日本人の多くは、
あれだけの国難にあったというのに、未だに国のためにと胸を張って言えない。
胸を張って国のためにと言えるようになりましょう。

右がどうの左がどうのと言う以前に、自分の気持ちに素直になりましょう。

私は、一滴の雫になりたい。
一粒の種になりたい。
始めは、一滴の雫でもやがて大河となり、奔流となって大地を潤し。一粒の種も一本の木となり、やがて森林となってこの大地を覆い尽くす。それを夢みているのです。

若者達に志を持たせたいのです。
誰も振り向きもしなくなった祖国のために。
故郷のために。

議論をするべき時は過ぎ去りました。
人を批判したところでなんにもなりません。
我々は、先ず、出来るところから始めようではないですか。

今一度取り戻そうではありませんか。
日本人としての礼節を日本人としての心意気を誇りを父や母達の為に、そして、子供達の為に、愛する者のために取り戻そうではありませんか。

そうしなければ我々に未来はないのです。







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