自由について


自信と妄執


自由と、放縦。自己と自我。個人主義と利己主義。自己中心的な思想の実相は、まったく対極的な形で現れる。なぜ、このような事が、起こるのであろうか。次に、この謎を解き明かしてみたい。
 自分の事は、自分が、一番分かっていると思っている人が多くいる。しかし、結局のところ、自分の事は、一番、自分が、分かっていない。その証拠に、自分の顔だけは、自分で直接見る事ができない。これは、大変なジレンマである。
 自己は、完結し、独立した存在でありながら、対象としてみた時、自己以外の対象に依存せざるを得ない。これが、自己の際だった特徴であり、この特徴が、いろいろな問題を引き起こす原因となる。
 自己は、独立し、完結した存在なのに、自己以外、他のものを通してしか、自分を認識することができない。自分の顔を見るためには、鏡が必要だ。このことは、自己を絶えず不安に陥れる。
 そこで、映し出された自己の姿に自分を置き換え、直接、自分の姿を確認したいという欲望が派生する。このような欲望に基づいて、自分を倒置した姿が自我である。
 自我は、あくまでも虚像である。しかし、その虚像に自己を倒置する事によって、自己以上に、自我を大切にしてしまう。主体存在である自己を、他に倒置する事は、自己否定を意味する。それ故に、自我に捕らわれた者は、結局、自己否定を、繰り返し、自滅への道を進んでしまうのである。
 自己を倒置する対象は、鏡に映った姿だけではなく、金銭や権力、権威、名声といった自己の存在を、象徴するようなものにも求められる。その為に、一見自己中心的に見られる行動でも、結果的には、自己否定的な行動をとるようになるのである。
 利己主義は、この自我によってもたらされる。つまり、利己主義というのは、自己中心と言うより、自我中心なのである。それ故に、利己主義は、個人主義と同じ、自己を元にして発しているのに、最終的には、自己否定、自滅への道をたどることになる。なぜならば、自我が自己に取って代わり、自己が、自我に支配されてしまうからである。そして、自我は、自分が存在するのに、邪魔となる自己を、最後には、否定してしまうからである。
 多くの人達が、自我に捕らわれ、欲望に溺れ、権力や名声、富をうるために、自らを破滅させていく。放縦や利己主義は、身を破滅させる元凶である。宿命と言うには、あまりにも哀しい。しかも、いずれも自分のためにと、思いこんでいることに、病根の深さがある。
 結果的に自己否定に至る利己主義も原点は、自己中心の思想である。それ故に、個人主義に、きわめてよく似た論理を展開する。それが、個人主義を誤解させる原因となる。また、利己主義は、個人主義に寄生して繁殖していくのである。その為に、個人主義的社会が発達すると、同時に利己主義が、社会に蔓延する事になる。そして、個人主義社会を内部から崩壊させていく。
 性欲や、食欲は、肉体の属性にすぎない。肉体は、自己の属性にすぎない。欲望に身を委せるたら、属性によって自己の本質が支配されてしまう。
 自分さえよければと言うのは、欲望を解き放ち、欲望の奴隷になることではない。逆に、欲望をコントロールして、欲望から自己を解き放つことを意味するのである。
 自我は、欲望を、自己の本然の欲求と錯覚させる。そして、気の向くまま、欲望に身を委せることが、自由なのだと思いこませる。しかし、一度、欲望に身を委せ、欲望の奴隷になったら、自己を見失い、行動を制御することができなくなり、暴走し始めるのである。行動を抑制する主体が失われてしまたのである。こうなると理性は、働かなくなる。そして、破滅へとひた走ることになる。
 自我に捕らわれ、欲望に身を委ねれば、我利、我利、亡者となって、我を失っていく。
 このような、自我から、自分を取り戻すためには、自己の存在そのものへの信頼、すなわち、自信を取り戻す以外にない。
 自信は、自己の主体性に基づいている。自己は主体であり、自己を取り戻すためには、主体性を取り戻すことが不可欠である。主体性をもっも良く発現するのが、意志と愛である。
 自由は、その自信によって、自我から、自らを解放をし、主体的意志を、取り戻す事によって成就するのである。その意志が強い確信に変わった時、意志は、自己愛へ、そして、普遍的愛へと昇華される事によって自己実現が達せられるのである。自己実現が達せられたとき自由は、発現する。これこそが、人生の究極の目標である。
 自己とは、主体である。故に、主体性の喪失は、自己の崩壊につながる。主体性を喪失させる原因は、自信をなくすことである。
 自己の主体を保持し、自信を保つために大切なのは、自尊心と誇りである。自尊心や誇りは、自己の存在に発している、本然の情である。それは、自分が自分であるために、不可欠な感情である。人は、自尊心や誇りを失うと平気で、服従するようになる。それは、自分の主体性と独立を譲り渡すことである。だからこそ、人の自尊心や誇りは、大切にしなければならない。それは、個人主義の根本でもある。
 人を教育したり、指導する時に、やってはならないのが、自信をなくさせることである。自信の根源は、自尊心であり、誇りである。故に、教育現場では、自尊心や誇りを傷つけるような行為や言動は、慎まなければならない。
 そして、相手の名誉や自尊心を冒涜する事は、個人主義者が、最も忌むべき行為なのである。


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