日本には、軍人(侍)がいなくなった


日本には、軍人がいなくなった。その為に、いい意味でも、悪い意味でも軍人的発想ができる者がいなくなってしまった。

軍人がいない国は稀にしかない。特に、日本のように、経済的にも、地政的にも、人口的にも多大な規模と影響力を持つ国ではない。

日本人は、その意味で思想的に世界から孤立している。軍人を認めるか否かは別にしてもその点の異常さは自覚しておく必要がある。そうしないと日本人は、自分の特異さを忘れてしまう。

日本の常識は世界では通用しないのである。この点を忘れてはならない。

軍人が戦いに慎重な時は、戦いたくなくて慎重なのではない。戦いを前提としているから慎重なのである。
軍人は好戦的なのではない。使命感があるから戦いを厭わないのである。
戦いになって真っ先に犠牲になるのは、軍人である事を忘れてはならない。

前提や状況が変わらなければ既定方針は変わらない。
前提条件が変わらなければ戦闘体制を崩したりはしない。
奇襲、不意打ちは、戦いの常道だからである。

現在アメリカと北朝鮮は戦闘体制にあると考えられる。戦闘体制とは、いつでも相手を攻撃に移れる状態である。つまり、臨戦体制である。

それに準じて周辺国、即ち、中国、ロシア、韓国も戦闘態勢にあると考えていい。

重要なのは、戦闘が時間的、空間的に限定的なものとなるか、全面的な事になるかと、一体、どの時点で戦闘が始まるかである。短期的局地的な戦闘で終結するか、無限定、全面戦争となるかを見極める必要がある。

この様な状態であるのに、日本のジャーナリストや評論家は、我が国周辺の状態を認めようとしていない。故意にか、現状から目を背けさせようとする報道に明け暮れている。これは国民を欺く事である。敵を利する行為である。

彼等は、自分が認めていな事象は、厭な事、あってはならない事、都合の悪い事は、その存在する認識しようとしない。それが彼らの正義だと言わんばかりである。しかし、それは幻想であって正義ではない。正義、非現実的な事を意味するのではない。正義は現実である。

戦闘と言うのは、現実である。そして、その現実に立ち向かうのは、自衛隊である。
軍人こそリアリストでなければならない。軍人は、幻想を抱くことは許されない。

軍事は、事実を重んじる。嘘、偽り、誤魔化しは、自分の生命だけでなく、部隊全員の生命を危険にさらすからである。その意味で、日報問題は深刻である。政治的理由で事実を歪曲したり、脚色する事を強要する事は愚かな行為である。
大体、戦闘行為は、戦場のみに限定されているとは限らない。平和に都市でもテロ行為は、起こるのである。むしろ、戦場以外の戦いこそ注意すべきなのである。
軍人は、自分の知っていることすべてを話すわけにはいかない。それは、全軍を危険にさらす事にもなりかねないからである。

日本人は観念の国にいる。観念的に平和だと思ったら、危険地帯にも無腰で自衛隊員を派遣する事も平気である。
戦場でなくても危険地帯はいくらでもある。猛獣がいるジャングルにだって戦場ではないからと無腰で派遣しかねない。

自分たちは、温暖なところにいて暖かいからと言って南極に東京で着る服で行かせるだろうか。愚かな事である。
いくら常識がないと言っても危険である事を百も承知で自衛隊員を政治的理由で無腰出す国民や政治家は、非道である。
政治的主張と自衛隊員の安全とは、無縁な事である。
戦闘行為があった事の記録を単に安全な地域に行ったはずで戦闘はないはずだからと言って認めないのは愚行を通り越して犯罪に近い。自衛隊員の生命をなんだと思っているのか。

かつて社会主義国では、売春がないから売春を取り締まる方を作る必要がないというように、観念で物事を考える人間は、世の中を絵空事で捉える傾向がある。
それは日本のジャーナリストも御多分に漏れない。しかし、それで、海外に派遣される自衛隊員は、たまったものではない。
政治家は、リアリストでなければならないのである。
例え、政治的理由で自衛隊員を海外に派遣し、それで自衛隊員の身に何かあったとしても政治家は、責任を負わなければならない。それが政治である。
それでなくとも軍人は、危険なところへ、危険を承知で行くのである。命がけで自分たちのために働いていることを国民は忘れてはならない。



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