父親と息子

マックス・プランクが「お父さんは、とんてもないものを発見したらしい・・・。」と幼い息子に語ったと言うけれど、その気持ち痛いほど判るな。
その息子達も非業の死を迎えたと聞く。

二十歳で死んだガロアも父親への思いをどこか引きずっていたように感じる。
父親の成し遂げられなかった夢を知らず知らずのうちに・・・。

息子に何か伝えたいと言うのは、父親の勝手な願望なのかもしれない。
でも、父親というのは、心のどこかで息子にだけは、自分の生き方、信念、やっていることを解って欲しいという気持ちがあるのかもしれないな。
この世の中に理屈ではなくて、自分の生き様を一人くらい無条件で受け継いでくる。
後を継いでくれとそういう事ではなくて、自分の人生の生き証人みたいなそんな感じかな。それは遺伝子みたいな部分だけれど・・・。
男親にとって息子というのは特別な存在なのかもしれない。

だから、教えると言うより、伝えたいというか、一緒に分かち合いたい、そんな、願望なのだけれど、やっぱり、贅沢な事かもしれない。
息子は生徒とかでして言うのではなくて、ある意味でライバル的な所がある。
だから、息子は息子で反発するのかもしれない。
親父は親父、自分は自分なのだから。

だから、反発しながらも自慢がしたい部分がある。
自慢が出来ないというのは哀しいことかもしれない。

そういう点では、自分は勝手なのかもしれない。
自分の信念を押し通す為には、運転だの、学校の勉強だの、英語だの、スポーツだのは斬り捨ててきた。
この点は母親の方が凄い。なんでも、一流にこなしているから。
だから、息子にとっては、母親の方が父親に近いのかもしれない。

ただ、自分は、己の感性を研ぎ澄ます為に、運転とか、勉強だとか、英語だの、スポーツとかは削ぎ落としてきた。その事にいささかも後悔していないし、劣等感を抱いたことはない。
そんな事は、自分にとってどうでもいい事なのである。

学歴なんてまったく眼中になかった。それより、自分が周囲に妥協することを嫌っただけである。

一流大学へ行ったわけでもないし、
世間一般で言えば、落ちこぼれだったかもしれない。
女房もよく自分みたいな人間と結婚したと思う。
兎に角、国立の一期、それも医学部以外は眼中にない人だからね。

ただ息子にとって友達に誇れる父であったかどうかは、別である。そういう意味では息子にとって自分勝手な父親だったかもしれない。
息子には寂しい思いをさせたかもしれない。

息子から見れば、今の自分はただの老いぼれなのかもしれない。
学校の勉強を教えたり、キャッチボールや剣道の相手も出来ないし、車の運転もしない。
頼りにならない父親かもしれない。
ただ、他人から何もしていないように言われるのは心外だな。
ちゃんと運動会や父兄参観日にも毎年行ったし、年に数回の家族旅行も楽しんだ。なるべく早く家に帰って食事もするようにした。
でもそんな事はどうでも良い事かもしれないな。

自動車の運転が上手いパパ、スポーツ万能の格好いいパパ、勉強の出来るパパ、英語がペラペラのパパにはなれなかったからな。

息子にとって自慢できる処なんて何もないしな。
こんな事は一人で居る時は何も考えなかったし、気にもしなかった。

自分は、自分、素の儘で生きていけば良いし、何も飾らない父親でいたかっただけさ。

でも、そういう自分は、息子には認めがたかったのかもしれないな。
俺の書いた本も読むわけでもないしね。

でもなぜだろうな。
息子が自慢の出来る父親でありたかった。
自分の為にと言うのではなくて、本音で、自慢の出来る父親でありたかった。
今更無理だけれどね。
自分とは別人格であり、息子には息子の考えや生き方があるていうのは解っているいるのだけれど,自分の理解を超えた所で何かが受け継がれていく。
なんだか息子の悪い所は自分の悪い所である気がして。
良い所は自分に似ていて欲しいと思う。
僕は、息子のことを自慢にしている。
自慢の息子だ。

息子が出来るまでは、自分は、素の自分でいいと思っていたけれどね。
素の自分に何も恥じることはないと・・・。
でも子供が出来ると他人の目が気になりだした。
BR> そりゃあ、何時までも自分の側に居て欲しいさ。
出来れば日本人として、日本にもいて欲しい。
でも今の日本の事を思うと・・・。
それに今の日本の受験戦争や学校の状態を考えたら、彼を萎縮させるだけだから、
彼の才能を伸ばす為には、今ここで自分の我が儘を出す事は、誰の為にもなりはしない。

母親の性格を考えても自分の経験からしても意味もなく受験勉強で消耗させる事は無益な事だ。
目を瞑るしかあるまい。

自分は良い父親だったかというと解らないなと言うのが本音だ。父親と息子がわかり合えるというのは、難しい事だ。

ブッタだって、アインシュタインだって。ガンジーだって決して良い父親ではなかったと聞く。

もう、息子には、何も教えてやれない。否、何も教える事などないのかもしれないし、教える事も出来ないのだろう。
それが本当の事かもしれない。
最初から何も教える事などなかったのかもしれない。

でもこれだけは解って欲しい。
親ばかではないが、息子には限りない可能性と才能がある。
だから、自信を持って前向きに生きて欲しい。
それだけを伝えたいな。

自分は、自分の父から、良い意味でも、悪い意味でも、生き様を教わった。
今は、父から息子に伝えられる事なんてないのかもしれないな。

父親と息子なんてそんなものかもしれない。

巣立っていく息子にできる事ときたら

女親は泣けるからいいけど・・・。
男親は、こんな時にも括弧をつけてしまう。
と言うよりかっこつけるしかないな。
それが父親というものさ。

ただひたすらに、自分の持てる力を出し尽くし。
息子の為に。
渾身の力を込めて、次の時代の扉をこじ開けてやる事くらいしかない。

自分きっと泡のように忘れ去られていくのだろう。
それは仕方がない事だけど、息子の記憶の底に何かを残してやりたい。
それが、偽ざる気持ちだね。





                content         

ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2015.2.31 Keiichirou Koyano