故郷再生


私は、少子高齢問題、少子高齢問題と言いますが。少子高齢化の何が悪いのかという思いがあります。いつの間にか、マルサスの人口論がどこかへ行ってしまった様に思うのです。一頃は、人口爆発の方が問題で、むしろ、少子化は、作られた事であり、特に中国では、何を今更という感があります。
少子化が問題だと言いますが、では、インドのように際限なく人口を増やせば良いというのでしょうか。
それに人口爆発の懸念は、現在でも払拭されておらず。環境問題、資源問題、温暖化問題、エネルギー問題の根底に今でもあります。
故に、私は、少子化は必ずしも悪い事と捉えるべきではないと考えます。高齢化もそれが現実ならば、前向きに受け止めるべき時に来たと考えます。
問題なのは、一つは、一極集中で地方から首都圏への人口流出であり。もう一つは若者と高齢者が共生できる環境がないと言う事だと思います。

その鍵を握っているのは、コミュニティの再構築だと私は思います。

高齢者や若者が、安心して、また、幸福な生活がおくれる住環境を整える。私は経済の本質は都市計画にあると考えます。その都市計画を間違えたから今日の日本の経済の荒廃があると思うのです。

私は、東京が若者にとってそれほど魅力的な場所だとは思えません。なのに、若者は、東京を目指し、結果的に地方が荒廃する。この流れを断ち切らない限り、地方再建は夢の又夢になります。
なぜ、地方が衰退したのか。現代社会の病巣がそこにあります。
今、高齢化で問題とされるのは、設備と制度の事ばかりです。つまり、金問題です。そこには、生身の人間の営みがありません。つまり、哲学、思想が貧困なのです。その結果、買い物難民です。商店街がスーパーに取って代わられ、スーパーが郊外型ショッピングモールに取って代わられ、そして、そのショッピングモールが撤退した時、高齢者が歩いていける店がなくなってしまった。
世の中は、インターネット、量販店ばやりですが、そこには人間臭、生活臭がない。その行き着いたところに東京があるのです。僕は言うのです、倉庫のような量販店、そこには、店員はガードマンしかおらず。その周りを失業者の群れが囲むそんな経済を望むのかと。

大切なのは、人と人との関係だと私は、思うのです。
例えば、宿泊施設です。宿泊施設も、外国人は必ずしも高級な宿を求めるとは思えます。外国人が長期滞在し、場合によってはそこの住人になるような場所、それは、何らかのコミュニティが存在する場所です。運命共同体みたいな処。例えば九州の湯布院とか・・・。或いは、古民家で日本的なおもてなしや日本ならではの体験ができる。さしずめ静岡ならお茶の摘み取りとか。個性や主張がある処だと思うのです。
なぜ、若者は、東京に向かうのか。
僕は、女性が結婚しない、結婚できない最大の理由は、東京にあると思います。東京は、子育てをしたり、生活をする空間ではありません。最近の調査で、高齢者にとって住みよい町の上位にランクされたというのを見ました。それは、コンパクトな空間に何でもあるからです。
商店街の衰退は、夜間、安心して高齢者や女性が徘徊できる場所を奪いました。
私が子供の頃は、縁日があり、夏には、年寄りが縁台を出して夕涼みをする光景に馴染んできました。そして、正月の風景も失われつつあります。そういった風情が失われ、血の通った都市計画がなくなった事が、人口の流出につながるのだと思います。

もう一つ気になるのは、静岡に学生街がない事です。若者、特に、学生の持つ熱気を感じさせてくれる町。若者のにおい、青春を感じる町それがないですね、それが寂しく思います。

地方の復権は、中央の要請に基づくのではなく。地方の住人一人ひとりの思いがなければ意味がない。

情報技術が進化した今、住環境の中から新たな経済を生み出す事は可能なのである。



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