権利と義務


憲法は、権利と義務を規定したものである。

権利と義務、権限と責任は、各々別々の概念ではなく。
表裏一体、同じことを視点を変えているだけだという事を認識しておく必要がある。
権利は、義務を伴う、権限は責任を伴うというより、権利と義務は同じ働きであり、権限と責任も同じ働きなのである。
この点を間違うと重大な錯誤を生じる。
権利は義務であり、義務は権利である。

また、権利と義務、権限と責任は、人為的に成立する事であって、自然の法則のような所与の働きではない。
権利と義務、権限と責任は、集団生活の中で派生した働きである。
権利と義務や権限と責任は、集団生活を営むための必要性から成立した事である。
権利や義務、権限と責任には、その効力が及ぶ範囲は、限定されている。
そして、その範囲を画定するのは、人である。
権利と義務の根底には、契約、法がなければならない。
法や契約によって権利や義務、権限や責任は成立し、維持されているからである。

権利や義務、権限や責任は、それ固有の強制力を持っている。
強制力によって権利と義務、権限と責任は、固有の働きを持ち。その固有の働きに基づく力があって権利や義務は、効力を持つ。
権利や義務は、その強制力の性格によって定義され、実体を持つ。

権利や義務、権限や責任の強制力を保証しているのは何らかの権力である。

その働きが自己の外に向かっている部分を権利、権限というのであり、自己の内側に向かっている働きを義務、責任というのである。権利と義務の働きの中心は自己である。
権限と責任も同様である。

権利や義務、権限や責任は、集団、組織の要請によって形成される。
そして、権利や義務、権限や責任がその人その人の立ち位置・立場を規定するのである。

権利と義務、権限と責任は、人と人との契約、社会の方に基づく事であるから、自己が外に向かって主張しないと発効しない、また、権利と権限は、履行されないと実現しない。

権利や義務は、権利や義務を成り立たせている集団が確定してなければ効力を持たない。

例えば、家や土地の所有権や言論の自由なども、その時のその国の権力が認めなければまったく効力を発揮できない。

他国に主権を犯された国の国民は、権利も義務も消滅してしまう。
それは現在でも変わらない。イラクやシリア、アフガニスタンの情勢を見れば明らかである。また、南米には、過激派やゲリラ組織、麻薬等の犯罪組織による治外法権の地域が広がっている。この様な領域ではそれまでの権利が継続的に保障される可能性は少ない。
国家の独立が失われれば主権者の権利も消滅するのである。

権利や、義務は、主権者の主体から発するものだからである。
故に、権利や義務は、主権者の独立を前提としている。

主権者が定義され、地位が確定していない憲法憲法として成立するための要件を満たしていない。

今の日本人の多くは、権利や義務は、自然に与えられた働きのごとく、神を信じてもいないのに神に授けられた働きのごとくと錯覚し、身勝手に行使している者が多くいるが、権利や義務は、その正当性を何らかの権力によって保証されて初めて行使できるという事を忘れてはならない。

権利の根源は、独立であり、義務の根源は、国防である。
憲法の目的は、権利と義務を定義する事によって国民国家の基盤を形成する事にある。
定義は要件定義によって為されなければならない。
独立と国防を欠いたら憲法はその基盤の正当性を失う。

憲法は、政治的対象であって学術的対象ではない。

権利と義務の正当性は主権者により、主権者の正当性は、憲法の定義に基づく。憲法の正当性は、手続きの正当性によっている。
日本という国の独立が前提となって日本人の権利と義務は成立している。

国防は、独立を守るため権利であり、また、国民に対する義務である。
権利と義務を履行するために独立は、義務であり、国民の権利と義務を履行するために国防は権利である。

他国から侵略されたり、あるいは、攻撃されるのは、他国の意志や都合によるのであって、自国の意志や都合には関係ない。
他国を侵略したり、攻撃するのはその国の国内の事情によるのであり、いくら自国が他国を侵略、あるいは、攻撃するための手段や意志を持っていないからと言って他国が自国を侵略、あるいは、攻撃してこないという保障はどこにもないのである。
法を守って真面目に生活をしていれば、詐欺師や暴力団といった犯罪者は何もしてこないと考えるのはあまりに人が好すぎる。犯罪者は生活に困れば、真面目に生きている者を狙うのである。
自分は法を守り、今まで犯罪に遭遇していないから警察を失くしてしまえというのは、乱暴すぎる。
病気は、医者がいるから罹るのではない。消防署がある火事になるのではない、詐欺や強盗、脅迫、誘拐といった犯罪は、警察があるから発生するのではない。軍隊があるから他国の侵略攻撃を受けるわけではない。
自分の家族を守るのは親の義務なのである。自分の信条で家族を危険にさらすのはあまりに身勝手である。
狼が羊を襲わない事があるとしてもそれは狼が腹を空かせていないからであって、羊に同情しているからではない。腹をすかせた狼なら、有無を言わせずに襲い掛かるであろう。
何の意味もなく、得もないのに他人のために自分や家族の安全を危険にさらす人はいない。他国の国民を守るために、自国の国民を危険にさらす国はない。
何の負担もせずに他人に、自分の安全の保障を求めても自分で自分の身を守ろうともしない人間を助けてくれる者はいない。
多くの国が国防を放棄し、平和の維持を特定の国に依存する様になれば、平和の維持を委託された国の負担は経済的にも物理的にもその国の国力を超えた負担になる。自分の国は自分で守れ。それが鉄則である。
だから、国防は権利であり義務なのである。

誰も守ろうとしない国は、守り切れるものではない。

敗戦後の日本人は、主権在民も所与の事、自明の事と決めつけているが、主権者を国民とするのは、近代になって国民国家が成立して以降の事である。それ以前は国民という概念、思想そのものがなかった。
それ以前に存在したのは、領主、地主である。故に、私有地という概念、私的所有権という概念そのものが成立していなかった。
国民国家は思想の上に成り立っている。

戦争に敗れた国の国民は、住み慣れた家を追われ、自分の財産を没収されても文句は言えない。
内乱や他国の侵略によって国家の独立が揺らぐとその国民の多くが難民となり、着の身着のままで、他国へ逃げ込んでいるのである。
難民の多くは、自分の生命財産を守る事も許されない。

革命やクーデターが起こればそれまでの権利を認められるかどうかも革命やクーデターの勝者の意向に逆らえないのである。

権利も、義務も国家の独立が失われたり、主権者が変われば必然的にその効力は失われる。

だから、国民国家は、国防を義務としているのである。自国の独立を維持しようとしない国民の権利や義務は必然的に効力を持たない。その国の独立が保障されていないからである。国防が義務だから、独立の権利は成り立つ。独立国にとって独立による権利を主張するためには、国防という義務を果たす事が求められる。

他国に自国の国防を依存している国は、独立国とは認められない。

本質的に権利や義務は勝ち取るものであって与えられるものではない。
国防を権利として認めていない憲法は、憲法としての要件を満たしていない。

現代の日本の知識人の言う自由とは、家畜の自由に過ぎない。真の自由とは、痩せても枯れても自分の誇り、自尊心を堅持する野生の自由である。
独立自尊の気概なくして権利とか義務は成り立たないのである。

太った豚になるな。痩せた狼になれ。

ちなみに自由と平等は、人それぞれの個人差を認めた上に成り立つ。

国を守ろうとする者は、文官も軍人も一線に立たされている。その人たちは、誰の権利のために命がけで働いているのか、それを忘れてはならない。

前線で体を張って戦っている者をいかなる理由であろうと無腰で戦場に送ってはならない。
彼等は、命がけなのである。命がけで国民の権利を守るために戦っているのである。

自由、平等、友愛は、非常に繊細で脆弱である。
自由、平等、友愛を維持しようとしたら、堅牢な仕組みが必要である。
多くの人や国は、強圧的であり、差別的であり、暴力的であり、覇権的であり、帝国的であり、敵対的であり、感情的であり、攻撃的であり、侵略的であり、独善的であり、階級的なのである。
貧富や格差は、容易にはなくならないし、暴君や独裁者もいる。まだ国土を拡大しようとしている国もある。
この世の中は、良識的な人間や国だけではない。
この世の中は、我が国に友好的な国だけではない。
良識ある者は、良識的であるが故に、正義感だけでは、他国のために自国の若者の血を流す事をためらう。

この様な世界情勢の中で国家の独立を維持するためには、国防を担う人間の強い意志と覚悟が鍵となるのである。

世の中は、餓えた狼や虎が徘徊しているのである。無警戒、無防備にいれば餌食にされるだけである。

独立国である事を証明するためには、自分の国の独立は自国民の力で守る意志を内外に表明する必要がある。さもないと独立国としては国際社会では見なされない。
自分たちの手で、自分たちの国の独立を守ろうという意志がない国は、独立国としては認められないのである。
自らの力で独立を守ろうとしない国は、その国の独立を守っている国、宗主国の衛星国、属国、保護国としてしか見なされない。
なぜなら、自力で自国民の権利や権益が守られていないとされるからである。

敗戦後のわが国では、国防を担う者を蔑む風潮があり、そのような考え方は、世界共通の意識であるかのごとく、反体制的メディアは、吹聴もしている。
しかし、世界のほとんどの国は、国防を担う人たちに一定の敬意を払い、尊敬もしている。
その証拠に、アメリカ大統領の多くは、初代大統領であるワシントンも含め軍隊出身者が占めている。

反体制勢力の言動に惑わされてはならない。
自由、例えば、言論の自由を守るのは、軍人と警察官の意識と規律である。軍人と警察官が言論の自由を守らなければならないという意識を失えば、言論の自由はすぐに危うくなる。

独立国が最低限要求されるのは、国防と治安である。
我が国の国防を担うのは自衛隊である。
我が国の独立を維持するためには、自衛官の名誉と規律を守らなければならない。
なぜならば、我が国の主権の健全性を守るのは、自衛官の志と誇りだからである。
自由と、平等と、友愛を維持するのは、マスコミではなく。自衛隊員一人ひとりの意識である。
そして、自衛官と国民とのアイデンティティを維持するためには、主権者、為政者は、自衛官の「なぜ」という問い掛けに答えていかなければならない。
我が国は自衛官が命を懸けて守るのに値する存在でなければならないからである。
自衛官が、命を懸けて守らなければならない事が建国の理念なのである。
国家国民のアイデンティティなのである。







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