戦争ができる国だなんて


戦争ができる国にするのか主張する者の一番の間違いは、戦争は、一国でできるのではないという事を故意にか、無意識にか、見落としていると言う点です。
我が国が望む望まないに関わらず、我が国を侵略、あるいは、攻撃しようと意図する国があれば、我が国から仕掛けずとも戦争は引き起こされるのです。

用兵の法は、其の来たらざるを恃むこと無く、吾れの以て待つ有ることを恃むなり。
其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり。

用兵之法、無恃其不來、恃吾有以待也、無恃其不攻、恃吾有所不可攻也。

東京裁判において日本人は、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪の三点によって裁かれましたが、この三点はいずれも敗戦国のみが追う罪ではありません。
裁かれるとしたら戦争当事国全てが裁かれるべき罪です。
日本は、たった一発の爆弾によって多くの無辜の民を虐殺されました。
しかし、その事を世界に訴える事さえ許されないのです。
先の大戦を正当化しようとは思いません。しかし、反省し、改めるべきなのは日本人の意志に基づくべき事であり、他国に強要されるべきではないのです。
平和に対する罪、人道に基づく罪、戦争犯罪を問うのならば、いまだにその罪を戦勝国は認めていないという事実を忘れるべきではありません。
まるで日本人だけが悪逆非道で残忍、日本が軍隊を持たなければ世界に平和が訪れるとでもいわんばかりである。最も唾棄すべきは、それを戦後の日本のマスメディアが真に受け、教育者が子供たちに教育しているという事である。
日本人が国家の独立と、国民の生命財産を守るのは当然の権利なのです。

イスラム国等で斬首される事を残虐だというが、何をもって斬首を残虐とするのか。近代兵器で殺戮するのと旧式の平気で殺すのと残虐さに差があるというのか。
残虐というのなら、戦争は、本来残虐行為であり、新しいか、古いかの問題ではない。
残虐さでいえば、近代兵器の方がよほど残虐である。
古い兵器を使う者が野蛮だとするのは、欧米文明を絶対視する偏見である。
結局、大量殺りく兵器が近代を作ったと言えなくもない。
近代兵器というのは、効率よく、一度に大量の人間をいかに殺すかを追求した果てである。その先にあるのは、殺人マシーンであり、そうなると人工知能が制御できなくなる危険性が生じるのである。それは、人工知能が兵器に組み込まれれば、いかに、短い時間に大量な人間を効率よく殺戮するかを目的化してしまうからである。

近代兵器の根本にある思想は、大量生産を基とした近代経済にも通じている。というよりも近代経済の根本思想と変わらないのである。
即ち、一度に、大量な製品を効率よく生産する事のみを追求するのと変わらないのである。

私は、危険物を扱う商売をしている。
それこそ毎日、保安に気を使い、安全第一を肝に銘じている。少しでも漏らしたり、人に怪我でもさせたら取り返しがつかない事になる。
しかし、いったん戦争となると全く別次元の話になる。
人を殺すことなど普段は絶対悪である。
しかし、それは平時の常識である。
戦場に生きる兵士には通じない。やるかやられるかの世界なのである。

それが世界の常識である。
日本人は戦後、紛争に巻き込まれることなくやってこれた。
しかし、これは稀有な事なのである。

戦後の日本では、人を殺してはならない。
人殺しは犯罪だと・・・。それが絶対的真理で、世界中の人間が当たり前のように考えていると錯覚している。
しかし、報復や仇討、復讐のために人を殺す事は、善だとする世界も一方にあるのである。

自分たちの置かれている環境を敷衍化してそれがどこでも通じるというようなお人好しでは、自分だけでなく、家族や友達すら守ることはできない。
異教徒は皆殺しにしろという勢力もある。
主義主張が違うものを人間扱いしない者たちもいる。
人間は、単純に人殺しは悪だなんて決めつけているわけではない。

その証拠に平和を愛するなんて言いながら、ドラマや映画、漫画でホラーや戦争、アクションがはやるのはなぜなのか。
人は、悪に対して容赦しない側面があるのである。

日本人は、戦争を忌事として見て見ぬふりをしようとするが、戦争は現実である。
戦争をない事として葬り去る事はできない。

物事には、陰陽がある。陽の部分ばかりを見ても物事の真実を知った事にはならない。
陰陽は、善悪、真偽、美醜とは無縁な概念である。
事の是非善悪成否には、新旧老若男女は関係ない。
古いから悪いとか、新しいから正しいとは限らない。

軍事を否定的にばかり見ていたら、平和を保つ事はできない。
軍隊があるから、戦争が起こる訳ではない。
警察があるから、悪党がいるわけではない。悪党がいるから警察はあるのである。
警察は悪事を取り締まるためにあるのである。
警察があるから、悪事が生じるという者は悪党である。
軍隊は、本来、敵国の侵略を防ぎ、平和を守るためにある。
軍隊が存在するから、平和が保てないという者は、平和を乱し侵略を企てる者である。

警察が悪事をなすのが問題なのであり、軍隊が侵略を企てるのが問題なのである。しかし、それを抑止するためには、軍隊の存在を正しく認識する必要があるのである。

君子安くして危うきを忘れず
存して亡ぶるを忘れず
治まりて乱るるを忘れず
ここを以って身安くして国家保つべきなり

君子安而不忘危
存而不忘亡
治而不忘乱
是以身安国家可保也

戦争の原因は、軍隊があるからではない。病気になるのは、医者がいるからではないように。
戦争を引き起こすのは、恐怖、貧困、人口の増加、飢饉、憎しみ、復讐心、仇討ち、欲望、妬み、恨み、差別といった陰の要素ばかりが強調される傾向があるが。
大義、信仰、家族愛、同志愛、民族の誇り、愛国心、伝統、責務、使命、正当防衛といった陽の要素もある事を忘れてはならない。

戦争を美化してはならない。しかし、だからと言って戦争という現実から目を背けるべきではない。
戦後の日本人は、戦乱、内乱という悲劇に見舞われることはなかった。しかし、それは多分に幸運なのであって、未来永劫をそのような幸運でいられるとは限らない。
むしろ多くの国は、人殺しや略奪などが日常的に起こっているのである。
世界は、難民問題で困っている。難民の多くは、国がしっかりと平和や治安を維持できないから故郷を捨てざるを得ないのである。国が平和や治安を守れないから国民は、塗炭の苦しみをなめているのである。
日本は、平和で治安のいい国である。その平和や治安は、何もせずに、無為自然に守られているわけではない。
平和や治安は、努力なくして維持される事ではないである。










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