制    度

 国家に幻想を抱くべきではない。国家制度は、いわば、装置、即ち、機関なのである。国家制度は、権力という力、エネルギーを制御する仕組みである。その仕組みが制度である。
 石油も、ガスも、原子力もそのまま放置すれば危険物である。石油にせよ、ガスにせよ、原子力にせよ、その力を人間の役に立つように引き出すのは、装置である。国家も同じである。国家権力は、そのままでは、暴力である。この暴力を制御するのが、国家制度である。
 しかし、どんなに立派な装置を作ったとしても、それを使う人間が悪用することは防ぎようがない。結局、国家制度を利用するのは、人間の意志なのである。
 車が時に、凶器と化すのは、車を運転するもの次第である。国家制度が凶器と化すのも主権者の在り方である。ただ、国家と自動車との違いは、自動車の運転が個人の責任に帰すのに対し、国家の責任は、主権者の在り方に帰す点である。

 そして、一つの制度には、一つの原理しか働かないのである。つまり、原理としての整合性が保たれなければならない。この整合性が保たれていなければ、独立国としては認められない。一つの国には、一つの法の原理が働いていなければならないのである。

 国家理念は、国家の法と制度に現れる。抽象的な思想、表現では国家理念を推し量ることはできない。民主主義の理念は、法と制度が全てである。それ以外にはない。いわば、民主主義は、法と制度で書かれた思想である。つまり、民主主義はそれだけ現実的な思想である。逆に言えば、民主主義思想は、民主主義国家の数だけ在る。大統領制の国。議院内閣制の国。直接民主主義の国。コモンローの国。制定法の国。一院制の国。二院制の国。民主主義は、同じ法と制度を共有する国以外は、皆違う思想の国なのである。

 逆に、いかに民主的、共和的な思想を掲げようともその法や制度が専制的なものであれば、専制的な体制である。また、国民の権利や人権を認めない体制は、暴虐的な国家である。民主主義国は、国民国家として最低限、国民の権利と義務が保障されていなければならない。

 国家制度の目的は、国家の独立と主権者の保護である。つまり、誰が主権者か、そして、主権者の在り方、思想によって国家制度は決まる。

 主権者は、第一に、個人。第二に、特定の集団。第三に、国民。第四に、象徴である。第一の個人を主権者とした体制は、国家制度も法も主権者たる個人、即ち、君主や独裁者を護るため法や制度である。また、第二の集団、即ち、家族、貴族、階級、組織を護るための法と制度になる。第三の国民は、国民の権利と義務、生命と財産を護ることを目的とした法と制度になる。第四の象徴は、ある種の教義や聖典、信仰を護る目的の法と制度となる。

 第一の個人を主権者とした体制における法の正義は、個人に対する忠誠心である。第二の集団を主権者とした体制における法の正義は、集団に対する服従である。第三の国民が主権者たる国民国家は、国民の権利と義務が法の正義になる。第四の、象徴を主権者とした国家は、教義や聖典に基ずく規範が法の正義となる。

 この様に、法も制度も主権者に従属した形で現れる。そして、主権者の思想と法と制度が一体となったところに、国家理念は成立する。

 公正、正義は、国家体制によって違ってくる。君主国における公正と正義は、忠誠心によって量られる。戦前の日本は、天皇に対する忠誠心によって支えられていた。それ故に、法も制度も天皇制度を護持するためのものにすぎなかった。軍の統帥権の問題は、その様な天皇制度が端的に現れた例である。結果的には、それが軍の暴走を招き、皮肉なことに天皇制を瓦解させたのである。
 また、軍国主義は、軍への絶対的服従を要求する。階級制度は、特権階級が常に有利になるように作られている。この様な体制では、国民の人権などないに等しい。

 我々は、戦後の民主主義社会に生活している。故に、国民国家によって保障されている権利と義務が天与の真理と錯覚しているが、国民国家で保障されている権利と義務は、国民各位が権利と義務を行使することによって成立していることを忘れてはならない。

 国民国家では、国民一人一人の権利と義務が国家の法と制度を築き上げている。

 制度は、国家の機能を基にして形成される。国家機能は、国家体制によって若干違ってくる。君主国や貴族体制と国民国家では、国家機能が違う。なぜならば、護るべき物の本質が違うからである。
 ただ、国家の独立と主権者の保護と言う事だけは一致している。

 国民国家の国家機能の目的・礎(いしずえ)は、国民の主権と国家の独立を守ることである。

 国家機能は、第一に、主権、権力の保護である。第二に、外敵の侵略から国民の生命財産を守ることである。第三に、治安の維持である。防災である。第四に、大規模事業である。第五に、民生の安定である。第六に、国家組織の管理、運営である。第七に、外交である。第八に立法である。第九に、司法である。第十に、国民の教化である。

 この様な機能を実体化する機関は、第一に国家元首。第二に、立法府。第三に、司法府。
第四に、行政府。第五に、警察。第六に、軍。第七に、中央銀行である。
 そして、行政は、外交と内政の権能を持つことになる。

 君主国、封建体制、貴族制度の国家機能と国民国家の国家機能で決定的に違うのは、軍と警察である。つまり、君主国では、軍も警察も君主を護るための働きしかない。治安維持や国家防衛もその限りでしかない。つまり、国民を護るための軍でも警察でもない。

 国民国家の軍と軍国主義の軍とを同一視するのは、愚かである。故に、民主化された戦後の日本で再軍備化されたら、軍国主義が復活すると考えるのは、穿(うが)ちすぎである。また、為にする議論である。
 ただ、軍事が国家に対してではなく。軍に対して忠誠を誓うようになったとしたら話は別である。それは、国家の内部に、国家以外、国家以上の暴力装置が存在することになり、国家権力にとって極めて危険な状況になる。それ故に、軍の統御は、常に国家制度の喫緊の問題なのである。

 国民国家は、国民一人一人の権利と義務に支えられた体制である。不当な権力による圧政に抵抗する過程で成立したのが国民国家である。この様な国民国家で国民が権利と義務を行使しなくなれば瞬く間の内に国家体制は瓦解してしまう。

 国民国家は、国民の意志の結晶である。




        


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