主義の論理



 論理には、前提が大切である。論理は基となる前提によって違ってくる。ここで勘違いをしてはならないのは、論理的前提というのは、必ずしも自明な事、所与の事とは限らないという事である。自明な事、所与の事を論理的前提命題としているのは、実証主義であり、科学主義である。何等かの教義、聖典に書かれている事を前提として論理を組み立てている場合もある。また、思想を前提としたものもある。神の存在を前提しているものもある。該当する論理体系が何を前提とするのか、その仮定、定義の仕方によるのである。同じ科学主義でも科学的社会主義は、かならずも自明な事、所与の事を前提としているわけではない。論理的前提に一番かかわっている、また、影響を及ぼすのは、思想である。

 私は、命懸けで守らなければならないものがあると思う。例えば、家族であり、会社であり、国であり、自分の名誉である。しかし、命懸けで守るべきものがないという前提に立てば、まったく違った結論になる。また、守るべきものも平和であったり、平等であったりすると同じ論理展開をしても違った結果になる。恋愛至上主義者は、家族よりも愛人の方を守るかもしれない。快楽主義者は、命よりも快楽を大事にするかもしれないし、国粋主義者は、国のためならば、何でもするであろうし、強い信仰心のある者は、神のために、教義のために、聖典のために、律法のために、自分の人生をも捧げることすら厭わない。つまり、何に命をかけるかは、思想信条の問題なのである。そして、何に命をかけるかによってその後の論理が違ってくるのである。

 人は、死ぬという前提と自分が死ぬという前提は別の前提である。人は死ぬと思っていても、自分は死なないと思っている者がいないとは限らないのである。確かに、自分もいつかは死ぬと思っていても、それを実感として解っているかどうかは不明である。実際のところ、死を現実として受け容れられない者は、沢山いるのである。
 超越的存在を認めない者は、自己を絶対化せざるをえない。自己を絶対化する者は、他者を喪失する。他者を喪失してしまえば、他人の死に対して無頓着になる。この様な者は、他人の死と自分の死とは同一視できない。また、死後の世界をどう捉えるかによっても死に対する認識は違ってくるし、当然、論理の展開も違ってくる。肉体は滅びても生命は、永遠不滅だと考えている者と、死んでしまえばお終(おしま)いだと思っている者とでは、死にたいする捉え方が違ってくるのは当然の帰結である。そしてその前提の違いは、どちらかと言えば、思想上の問題なのである。

 百人で一億円、儲ける事と、一万人で一億円、儲ける事では、どちらが優れているのか。その評価は、何を前提とするかによって変わってくる。確かに、百人で一億円儲ける事は、生産性から見ればいいだろう。しかし、一万人で一億円を儲ける事は、一億人養った上で尚一億円を儲けた事になる。どちらを商売の前提とするかは、価値観の問題であり、つまりは、思想上の問題である。価値観が違えば、どちらを是とし、どちらを否とするかは、正反対の結論になる。論理の問題以前に価値観、前提の違いの方が大きいのである。

 論理上においては、部分適合、全体不適合と言う現象がよく起こる。部分的に見れば正しい、適合して見えることでも、全体的に見ると間違っている不適合なこともある。全体的な不適合を引き起こす一番の原因は、論理的前提にある。その論理的前提とは、主義主張である。

 我々の国家や社会を成り立たせている論理の基礎は、いろいろな前提によって支えられている。その前提となるものは、哲学や思想が素になっている。社会の中で生活していく時、我々は、その前提を当たり前のように捉えがちであるが実は、それほど堅牢な根拠に基づいてい成立しているわけではない。
 多くは、良識や常識を土台にして成立している。しかし、その良識や常識が通用する範囲というのは、以外と狭いのである。良識や常識と言っても、その多くは、向こう三軒両隣とまでは言わないが、当事者が交際している範囲で形成された合意事項に過ぎない。この様に、我々の国家や社会を支えている前提は、実のところ極めて脆弱な根拠に基づいている場合が多いのである。それでありながら前提が狂えば、まったく違った結論になる。と言うよりも、違う世界に住んでいるようなものである。戦前と戦後の日本、体制の違う国に住む者は、同じ条件であっても、同じ生き方ができないのは、現実や歴史が証明している。生き方の根底となる思想が違ってしまうからである。だから、我々は、その前提となる部分を常に確認し、検証する必要がある。

 ところが日本人は、この前提の確認や検証が苦手である。いきなり、あるテーゼ、命題を決めて、あたかもそれが自明な命題であるかのごとく論理を展開する。そのために、論理的基盤が極めて脆弱である。しかも、その前提を論証しようと言う責任感が稀薄である。前提に触れられるととたんに感情的になる。これではまともな議論などできない。お互いがお互いの考え方を尊重しつつ議論を展開するためには、まず、論理の前提となる思想を明らかにする必要がある。

 現代思想は、いろいろな主義の組み合わせによって成り立っている。現代思想を理解するためには、思想を構成する要素である主義を正しく理解しておく必要がある。ところが、多くの人間は、何々主義というように不用意に主義主張を振り回す癖に、その主義主張の内容に無頓着である。そして、簡単に、相手の意見に、おまえの思想は、何々主義だと勝手にレッテルを貼って攻撃をする。

 主義主張には、幾つかの要素がある。その要素の機能によって思想は結び合う。
 その要素は、第一に、宗教的価値観、信仰対象。第二に、私的倫理観。第三に、社会的規範。第四に、政治的信条。第五に、経済思想。第六に、対世界観からなる六次元的価値観である。
 第一の信仰対象とは生きたていく為の前提、指針であり、第二、私的倫理観とは、人間として日常生活をおくっていく上での行動規範である。第三の、社会的価値観とは、社会を形成していく上での価値観であり、礼儀作法などもこの中に含まれる。第四に、政治的信条とは、政治制度や政治的行動の基となる価値観である。第五に、経済的思想とは、経済活動をする上での基本的価値観である。第六の世界観とは、認識や存在の根本意義、つまり、哲学的基盤である。これらの六つの要素は互いに独立しているわけではなく。相互に作用をしながら個人の生活や国家構造を構築していく。

 その典型が、孫文の提唱した三民主義で、三民主義は、民族主義、民権主義、民生主義の三つの思想から成る。第一の民族主義は、私的倫理観と社会的価値観を担い。第二の民権主義は、政治的信条であり、第三の民生主義は、経済思想である。

 また、ナチズムは、国家社会主義であり、第一の私的倫理は、人種主義であり、第二の、社会的価値観は、全体主義、第三の政治的信条、国家体制は、独裁主義、第四の、経済思想は、社会改良主義である。

 崩壊以前のソビエト体制は、第一の私的倫理が唯物主義、第二の社会的価値観は、平等主義と全体主義、第三の政治信条は、一党独裁主義、第四の経済思想は、共産主義である。

 共産主義と軍国主義・独裁主義を対極に見なす人が多くいるが、現代の共産主義国は、一党独裁主義で全体主義的体制である。また、軍国主義は、私的所有権の制限や生産手段の国営化などの社会主義的政策を目的としている。
 この点からすると共産主義と軍国主義とは思想的類似点が多くあり、思想的親和性がまったくないわけではないのである。

 社会民主主義は、政治信条は、民主主義で、経済思想は、社会改良主義、又は、社会主義で、混合経済を目指す。この様に、社会主義にも穏健で民主主義を重んじるものもある。暴力革命主義者だけではない。それは、原理主義にも言える。原理主義者の全てが過激なのではなく。思想上において、過激な思想を持つ者は少数派である場合が多い。しかし、その行動の及ぼす影響が大きいため、思想そのものが過激なものと錯覚されることが多い。社会主義や原理主義が過激で暴力的なものと誤解されるのは、思想や運動の健全な発展を阻害することであり、残念なことである。

 同じ自由主義者と言っても無神論者で、無政府主義者で、耽美主義者の自由主義者もいれば、多神論者で、個人主義者で、民主主義者、法治主義者もいるし、また、一神論者で、自然主義者で、共同体主義者で、神秘主義者もいる。混合宗教主義者で、民族主義者、共和主義者、社会主義者で環境主義者の自由主義者もいる。しかし、彼等は、一応に自由主義者と言うだろう。しかも、中には、自由主義以外の思想に無頓着、無自覚な者もいる。そこが現代思想を考える上で、問題を複雑にしているのである。価値観の多様化だけでは、片付けられない問題なのである。
 自由にも、信じる自由(思想信条の自由)、信じない自由(信仰からの自由)とがある。一方は、選択の自由であり、今一方は、解放の自由である。この様に自由の概念そのものが何を前提としているかによって違ってくる。

 また、実証主義といっても聖書の無謬性を実証主義的に証明しようとするキリスト教徒もいるのである。

 この様に現代思想は、現代思想を構成する要素の性格を正しく理解しないと判定できない。それ故に、現代思想を理解する上では、個々の主義主張の意味を正しく理解しておく必要がある。

 ただし、何が宗教的価値観で、何が、私的倫理で、何が社会的規範か、特定したり、限定したりすることはできない。主義そのものが一つの体系であり、宗教的価値観、私的倫理、社会的規範、政治信条、経済思想と言っても、相互に重複する部分を持っているからである。ただ、便宜的に、核となる部分が何処にあるかによって分類しているに過ぎない。
 逆に言えば、主義主張を、矛盾なく、整合性をとるのは、非常に困難なのである。それが、社会だけでなく、自己の内部でもジレンマを生む一因となっている。

個人主義  個人主義とは、自己中心の思想である。個人主義とは、自己を客体化した個人を基本単位として社会を構築しようとする思想である。
 自己の定義の在り方によって、個人主義と利己主義は別れる。つまり、個人主義と利己主義の本質的な違いは、自己の捉え方、解釈の仕方の違いに起因している。しかし、これまで、個人主義にしても利己主義にしても自己の定義を明確にしてきたわけではない。その為に、個人主義と利己主義は明確に区分されずに、共存している。
 自己は、主体的存在であると同時に、間接的認識対象である。自己は、自己実現を究極的目的としている。自己実現は、自己善の追求によって実現する。故に、自己を客体化した個人は、善の実現を基本とする。そして、その根源は、個人の権利と義務である。つまり、個人主義が追求するのは、善であり、自己の欲望や快楽ではない。個人主義者は、快楽主義者と言うより、むしろストイックである。
利己主義  利己主義とは、自己中心の思想である。個人主義と、利己主義の違いは、自己の本質をどの様なものとして捉えるかある。利己主義とは、自己の私的欲求、欲望の実現を第一義とする思想である。自己の利益が何よりも優先される思想である。功利主義に通じる部分がある。
全体主義  全体主義とは、個人よりも何等かの全体を重視する思想である。全体主義では、個人の価値観は、全体の価値観に準ずるものであり、個人は、全体に従属ないし隷属するものである。また、犠牲的精神こそが美徳となる。
 この場合の全体とは、主として国家であるが、必ずしも国家と限定しているわけではない。国家以外には、何等かの組織や機関、団体、民族などが考えられる。
 全体となる対象によって全体主義の在り方も変わってくる。
国家(国粋)主義  国家主義とは、国家中心の思想である。つまり、国家は至上の存在であり、国家は、全てに優先する価値を持つとする考え方である。国家の成長発展が最終的な目的とされ、個人の目的は、国家目的に準じるという思想である。個人の幸せは、国家の繁栄と安寧の上にこそ実現するという思想である。その極致が国粋主義であり、国家のために全てを犠牲にしてもかまわない、それこそが国民の幸せであるという考え方に至る。
 我々は、国家というと明確な存在であるように錯覚しているが、近代的な国家概念が形成されたのは、近年に入ってからである。近代的な国民国家は、フランス革命やアメリカ独立戦争を経て形成された。日本においては、明治維新以後においてである。それまでの国家間は、漠然としたものであり、封建領主の領土のようなものにすぎなかった。国民国家は、国民の自覚があってはじめて成り立つ。国家主義は国民としての自覚があってはじめて成立する。
 国家主義は、必ずしも帝国主義や排外主義と結びつくものではない。国家主義は、それ自体が、民主的であるわけでもなければ、非民主的であるわけではない。それは、時と場合によって、軍国主義にも民主主義にも社会主義にも結びつくのだ。(「日本とフランス二つの民主主義」薬師院仁志著 光文社新書)
民族主義  民族主義とは、民族自決の原則に則り、民族の統一と自立、独立を目指す思想である。ただ、この場合の民族の定義が一定せず、その解釈の仕方によって民族主義に対する解釈も違ってくる。
 民族の定義において重要なのは、言語的、歴史的、文化的、宗教的、地理的なアイデンティティを何処に求めるかである。その根拠となるものによって民族主義の在り方も違ってくる。
 国家概念と同様、民族意識も近年に形成された比較的新しい概念である。ナショナリズムの形成とほぼ歩調を合わせて形成された。それまで反清復明と言った形で民族自立の思想がなかったわけではないが、第二次世界大戦後に民族自立の思想として民族主義は、解放運動の基礎理論となった。
階級主義  階級主義とは、一定の階級を基礎として社会体制を構築すべきだという思想である。また、階級の存在は、歴史的必然だと見なす思想である。従来の多くの国において、通常、一般に見られた思想である。つまり、従来の国家において階級制度は、普通一般のことであり、特殊な制度ではなかった。また、現在、建前上、階級制度を否定している国でも公然、とあるいは、非公然に階級が存在していたり、また、新興の新たな階級が派生したりする国が多く見られる。平等を建前とする共産主義国においても階級が存在していたことは良く知られている。支配階級が世襲化されると貴族主義に発展する。貴族主義と階級主義は不離不可分な関係にある。
 階級主義一つがカースト制度である。カースト制度は、人種主義や差別主義に強固に結びついており、また、宗教的ドグマの裏打ちもあり、非情に強固な構造を持っている。
人種主義  人種主義とは、自分達の人種を絶対化し、他の人種を劣等人種として差別する思想である。つまり、人種差別の理論的根拠となる思想である。この様な人種主義の典型が白人主義だが、必ずしも白人主義だけが人種主義とは限らない。黒人にも、黄色人種にも、少なからず見られる現象である。
 黒人解放運動において、ブラックパンサーやブラック・イズ・ビューティフルと言った標語が現れたのは、白人主義に対する黒人主義とも言える。
 また、人種主義は、民主化運動によって表面的にはなりを潜めているが、潜在的には、かなりの勢力を温存していると想われる。この点を見逃すと政治情勢を理解することはできない。
国際主義  国際主義とは、国際社会での協調を第一義とする思想である。この思想は、特に外交官に強く見られる。自由貿易主義もある意味で国際主義である。
世界(地球)主義  世界主義とは、地球的規模、世界的規模で物事を捉えていこうとする思想である。世界を統一的に捉えていこうという思想は、ワンワールド主義でもある。つまりは、世界は、一つであり、一つの機構で統治すべきだという思想である。ただ、その機構が強権的、集権的機構にすべきなのか、民主的、分権的な機構にすべきなのかで、同じ世界主義者でも対極に位置することになる。
孤立(一国)主義  孤立主義とは、他国や他人の内的な問題に干渉せず、その代わり、他国、他人からも干渉されないで、自国、自分だけで生存していこうという思想である。相互不干渉政策。極端な例が鎖国である。第二次世界大戦までのアメリカの外交政策の基本、また、江戸幕府の基本政策でもある。
中華主義  中華思想とは、自国中心主義です。特に、中国が有名ですが、大国には多かれ少なかれ存在します。それが、差別主義や覇権主義の根源になる。元々、周辺国や弱小国に対する蔑視があるからである。核兵器の保有を巡っては、大国は許されても弱小国は許されないと言う思想になり、それは、大国のモラルは信じられても弱小国のモラルは信じられないという発想に繋がる。しかし、狭い部屋で大男が暴れれば、部屋の中にいるものが巻き添えを食らうように、大国のエゴは、世界平和を乱す根源になる。
民主主義  民主主義とは、人民の人民による人民為の政治を目指す思想である。人民とは、国民国家においては、国民を指す。即ち、国民国家における民主主義とは、国民の国民による国民のための政治を指して言う。故に、基本理念は、主権在民である。また、必然的に個人の権利と義務を重んじる。
 英語では、democrac、ギリシア語のdemos(人民)とkratia(権利)を組み合わせたもの。(広辞苑)即ち、被支配者(人民)と支配者が同じ者という意味である。民主主義イコール多数決原理と結びつける者がいるが、多数決原理は、意思決定の一手段であり、民主主義の本質は関係ない。
 国民の直接的な参政制をとるか、代議制をとるかによって直接民主主義と間接民主主義との別れる。
共和主義  共和主義とは、共和制を志向する思想である。共和制とは、君主、国王に変わって国民、ないし、人民によって選ばれた元首、首長によって統治される国家体制である。共和制は、君主制に対置されるものであり、必ずしも、民主性を意味するものではない。第二次大戦前のドイツが好例であるが、共和制から独裁制に移行する場合もよくあるのである。
 英語では、republic、「公の事」を意味するラテン語のレス−プブリカ(res publica)に由来する。
独裁主義  独裁主義とは、特定の個人や政党に全ての権力を集中させる思想である。党や独裁者の専断体制であり、一般には、法治主義と自由主義を否定する。
社会改良主義  社会改良主義とは、資本主義体制を前提とした上で、資本主義体制の欠点を改良して、漸進的に社会主義を実現しようと言う思想である。高福祉国家は、一種の社会主義政策であり、社会改良主義国家とみなすこともできる。ニューディール政策にその萌芽がみられる。それまでの自由放任主義的な政策から、国家が市場に介入し、計画経済と市場経済、国営企業と民営企業の混合経済を是認する思想である。社会民主主義にも通じる。
国家社会主義  国家社会主義とは、国家が主導権を握って社会主義的社会を実現しようと言う思想である。福祉国家は、ある意味で国家社会主義の一種と見なしても良い。
ナチズム  ナチスとは、国民社会主義の略である。必ずしも最初から独裁主義を標榜していたわけではない。ナチズムというのは、国家主義と社会主義が結合して独裁主義化したものである。特徴として、強烈な人種主義と反ユダヤ主義があり、ユダヤ人大虐殺を引き起こしている。
軍国主義  軍国主義とは、軍ないし軍人が、政治を支配することであり、軍の規模や軍の強さは無縁である。(「軍閥興亡史」伊藤正徳著 光人社NF文庫)単純に軍の力が強大だから、また、軍が強力だからと言うだけでは、軍国主義だとはいわない。逆に軍の規模が小さくて弱くても、軍人が政治に干渉し、政府を支配していれば軍国主義体制と言われる。
 軍という性格上、全体主義的、組織主義的、機能主義的、唯物主義的になる。
 革命にせよ、クーデターにせよ、政治体制の変革期には、軍の動向が決定的な影響力をもつ。それ故に、変革期には、軍国主義的な傾向を持つことが多い。それは、アメリカのような民主主義国においても戦後や変革期には、軍人出身の大統領が選出される例がよく見られる。
 この様に、軍国主義は、全体主義や独裁主義の温床となり易いが、必ずしも全体主義国だけに見られる現象ではない。
 更に、ナポレオンのようなカリスマ的リーダーが出ると独裁主義に変貌することもある。
 いずれにせよ、非人間的な体制に成りやすいことは確かである。
 経済的には、軍による統制、つまり、統制経済的、社会主義的傾向を持ちやすい。
 ちなみにクーデターというのは、権力内部の勢力、特に軍部による政権奪取を言う。
 国家は、力によって動かされているというのは、一面の真理である。それ故に、実力、即ち、武力を信奉する者が武力を掌握すると力による解決が全てに優先するようになる。そこに軍国主義の危険な罠が潜んでいる。また、文民統制の意義もある。軍人が元首になったら、即、軍国主義というのではない。アメリカでも、軍事出身の大統領は多くいる。だからといってアメリカを軍国主義の国と見なすものはいない。要は、何処まで、軍が政治に介入するかの問題である。
無政府主義  無政府主義とは、地上におけるいかなる権力も認めない思想である。また、国家を否定し、自由な社会を建設することを目的としている。個人主義的な傾向が強い。あらゆる権威、権力を倒して完全に自由な世界を建設する事を目的とする。その意味ではニヒリズムにも通じる。
 仏教や老荘、原始キリスト教にも無政府主義的な傾向はある。
 急進的な無政府主義者は、過激な直接的行動に訴える者もいる。既存の権威、権力に否定的なことから、規制の秩序や道徳に対して否定的な部分があり、また、直接行動を重視したため、それが無政府主義者に対し、無軌道で、破壊的、破滅的で、何をするか解らないといった誤解を生む原因となっている。
 直接的な行動を支持する傾向から、非暴力主義的無政府主義者は、無抵抗主義に、暴力主義的無政府主義者は、テロリストにと言った極端な行動に走りやすい。
 急進的自由主義を標榜している者の中には、無自覚な無政府主義者が多く含まれている。
 無政府主義の旗色は、黒である。
 現代人は、無政府主義というのを観念的にしか捉えられない。しかし、無政府的状況というのは、近代国家が成立する以前には、普通に存在していたのである。つまり、国家の混乱期や、また、国家権力の及ばない地域は、無政府的状況が一般であった。無政府的状況というのは、権力の空白期か空白的地域という、時間的、空間的状況によって現出する。その様な状況では、無政府主義というのは現実なのである。また、今日でもアフガニスタンや中東の一部の地域では、無政府的状況が存在するのである。
 経済的無政府主義者は、市場の原理や秩序よりも直接的な経済的利益を重んじる。それによって経済の体制の直接的な変革を目指す。最近のファンドの動きやグローバリストの動きなどは、経済的無政府主義といえなくもない。
サンディカリスム  サンディカリスムとは、組合主義ということである。直接的な組合運動を通じて社会変革を促すという思想である。サンディカリスムと無政府主義が結びついてアナルコ・サンディカリスムが成立した。議会を通じた政治活動による政治改革には否定的で、ゼネストのような直接的な行動によって社会変革を行おうという主義である。通常は、社会主義革命を目指す運動をさすが、社会変革という観点から見るとろ、東欧において社会主義体制を崩壊させた組合運動にもサンディカリスム的傾向が見て取れる。
 組合による支配、管理を究極の目的としている。
連邦主義  連邦主義とは、分権主義の一種で複数の政治主体と中央政府との連合体によって国家を構築しようとする思想である。この場合、国内政治の主体は、むしろ、地方政府にあり、中央政府は、軍事と外交が主たる任務となる。アメリカが連邦主義の典型的国家である。
王権主義  国王、専制君主を中心として中央集権体制の確立を目指す思想で、憲法の有無によって立憲君主主義と君主主義に別れる。
絶対主義(政治)  絶対主義には、政治的絶対主義と哲学的絶対主義がある。ここでは、政治的絶対主義を定義する。絶対主義とは、王権を至上の価値とし、絶対王制の成立を目的とする思想である。多くの場合、王権神授説を採る。
封建主義  封建制度とは、封土を分けて諸侯に治めさせ、変わりに軍役の義務を課すと制度である。(広辞苑)国王、封建領主、教会、家臣による連合政体を目指す思想であり、この場合の君主は、征服者ではなく、覇者である。徳川幕府は、王制ではなく、封建制度である。
貴族主義  貴族主義とは、貴族階級による支配体制を確立するための思想である。必然的に差別主義的な思想である。また、貴族の生活様式に憧れ、模倣するような考え方も貴族主義という。
 貴族は、基本的に世襲的階級であるが、近年、民主主義においても少数の世襲的選良(代議員)が国政の大勢を占めるようになるとその世襲的選良も貴族階級化することになる。
三民主義  三民主義とは、孫文の提唱した思想で、第一に民族主義。第二に、民権主義。第三に、民生主義の三つの思想から成る。第一の民族主義は、広義の民族主義で偏狭な民族主義ではない。第二の、民権主義は、主権在民と五権憲法による民主主義の実現。第三の民生主義は、一種の社会主義的経済を目指したものと見られる。
家族(一族)主義  家族主義とは、家族中心の思想である。家族を社会の一つの単位として考える思想である。この家族とは、一組の夫婦と子供達を核として構成される人間関係をさすが、必ずしも実の親子関係とは限らない。擬似的家族まで含む。例えば、企業のファミリー経営や暴力団の組のような形体である。
 また、日本の政治の世界も村社会と言われ、相互に婚姻を重ねることで長い間に、一族化し、家族主義的な傾向が出はじめている。
 ただし、一般に家族主義といった場合の家族とは、大家族である。一族主義とは、その家族を一族まで拡大したものである。
世襲主義(血縁、血統主義)  世襲主義とは、親から子へ、権力や財産を引き継いでいこうという思想。明確な理論的な裏付けがあるわけではないが、根強く世襲主義は、はびこっている。また、何も上層階級だけに見られるものではなく、あらゆる階級、階層においてみられる。階級制度や差別の下地ともなる。
農本(重農)主義  農本主義とは、農業を国家経済の基本として考えようと言う思想である。産業革命以後、農本主義的な思想は、一時廃れたが、食糧問題や環境問題が表面化するにつれて見直されつつある。農業を国家の礎としようと言う思想は、古くからあり、国家経済の根本的な思想の一つであることに変わりはない。
 農本主義は、地域コミュニティの再生運動に少なからず影響を持つ。また、都市型経済に対するアンチテーゼとしての役割もはたしてきた。その為に、農民や農村を土台とした変革運動の中心的思想となる。その為に、国体の変革を目指す思想は、軍国主義、共産主義、無政府主義を問わず、何等かの形で農本主義的要素を持っている。
重商主義  重商主義とは、商業を国家が保護し、経済の発展を促進させようとする思想である。保護主義的な考え方が強い。
資本主義  資本主義とは、私有財産制に基づき、資本家による生産手段の所有を基礎としてた、市場経済による経済体制の確立を目的とした思想である。前提として貨幣経済の社会への浸透がある。資本家階級と無産階級が明確に分離しているような純粋な資本主義体制は、まだ成立していない。自由主義体制においても労働と所有とは未分化な社会体制が大勢を占めている。
構造主義(経済)  政治・経済体制をシステム化、構造化していこうという思想である。特に経済を構造化しようと言う思想である。私が提唱している。
社会主義  社会主義とは、生産手段の社会化を目的とし、私有財産制度の制限、生産手段の国有、公有を提唱する思想である。ここで言う公的機関とは、地域社会、組合、軍、共同体と言ったものを指す。
 社会主義イコール共産主義、教条主義的マルクス主義と混同されたのは、不幸である。
社会主義思想というのには、いろいろなものがある。キリスト教的社会主義、イスラム教的社会主義に代表される宗教的社会主義。共同体運動も一種の社会主義運動である。ユートピアのような、理想主義的社会主義もある。また、スウェーデンのような福祉国家も社会主義的であるといえる。また、ナチスは、国家社会主義を標榜していた。独裁主義や全体主義、軍国主義も社会主義の亜流といえる。
 例えば、聖徳太子の施策も社会主義的な施策だと言えなくもない。
 近代国家は、多かれ少なかれ、社会主義的な側面を持っている。
共産主義  共産主義とは、私的所有権、及びその結果としての私有財産を否定し、生産手段を社会が共有することで理想的な社会体制を築こうという思想である。共産主義とマルクス主義は、イコールの関係ではない。また、一党独裁主義は、共産主義とも、マルクス主義ともイコールの関係ではない。一党独裁は独裁主義の一形態である。一君万民主義は、君主主義的共産主義とも言える。その意味では、民主主義的共産主義も充分考えられるのである。
 共産主義の思想の歴史は、意外と古く、プラトンにも見られる。また、墨子のような中国思想にも見られる。また、キリスト教の修道院や仏教の初期の教団にも共産主義的な傾向を見て取ることができる。
マルクス主義  マルクス主義とは、マルクス・エンゲルスによって確立された思想である。哲学的基盤は、弁証法的唯物論であり、唯物史観、共産主義理念、プロレタリアート独裁などによって以後の社会主義革命に理論的裏付けをした。
スターリン主義  スターリン主義とは、一国社会主義ともいい、ソビエト一国でも共産主義は成立しうると言う思想である。
トロツキー主義  トロツキー主義とは、世界同時革命論、永久革命論で、世界各国が同時に革命を起こすことで共産主義は実現するという思想。
集産主義  集産主義とは、土地、工場、鉄道、鉱山と言った生産手段を国有、公有化し、中央政府の管理下において経済を統制しようとする思想である。社会主義国において有名であるが、全体主義国、独裁主義国、軍国主義国において一般に見られる体制であり、集産主義イコール社会主義ではない。自由主義経済下でも国有企業、公有事業は多く見られる。
共同体主義  共同体主義とは、生活共同体を社会の基本単位としようとする思想である。生活共同体とは、生活を共同ですると同時に、全ての私有財産を廃止し、構成員の財産は、共同体の共有財産とする共同体を指す。イスラエルのキブツが有名であるが、貨幣経済が発達する以前の社会体制は、多かれ少なかれ共同体を基礎としていた。大家族制は、ある意味で生活共同体の一種だとも言える。宗教教団の幾つかは、現在でも生活共同体形式をとっておる。新興宗教の場合、社会問題化することもある。
大家族主義  大家族主義とは、大家族中心主義である。ここで言う大家族とは、数世代の家族が形成しているコミュニティをさす。多くの場合、家父長制度に則っている。その為に、封建主義の温床と見られていた。近年、一対の夫婦と子供から成る核家族化が進み、大家族制は日本では崩壊したと見られる。
 しかし、近年、少子高齢化が進む中で日本でも大家族主義が見直されつつある。
原理主義  原理主義とは、何等かの原理、教義を絶対視し、その原理、教義を忠実に実現、実行しようとする反面、他の原理を認めず、一切の妥協を排除する思想である。
 近代化の中で、薄れいく、宗教的アィデンティティを取り戻すために、信仰の原点、原理に立ち返ろうというのがはじまり。アメリカのプロテスタント原理主義が起源。それ故に、宗教的原理主義は、反近代的な傾向を持つ。原理、聖典を重んじる一神教に多い。
 イスラム教やユダヤ教、キリスト教の原理主義が有名だが、共産主義の様に強固な原理、理論を有するところには少なからず存在する。
 考えようによっては、科学主義的原理主義者も存在する。
 原理主義を過激派と結びつけて考える傾向である。過激な行動をする者は、大多数の思想の中に少なからずいる。だからといって思想そのものが過激だと決め付けるわけにはいかない。反戦主義者や平和主義者の中にも過激な行動をとる者がいるのである。ただ、原理主義種は、原則を厳格に守ろうとすることで、周囲と問題を起こしやすいと言うだけである。だからといって周囲の社会と敵対しているわけではない。周囲の社会の敵意を反映しているに過ぎない場合もあるのである。
統一主義  全体を一つの機構、体制に統一していこうと言う思想である。国家であれば、国家の内部を統一し、世界であれば、世界を統一しようとする思想である。一つの機構体制に統一するためには、思想的統一、特に、経済思想の統一が前提となる。その為には、強固な理論を構築する必要がある。また、教条主義的な傾向が強くなる。
汎米主義・汎アジア主義、汎アラブ主義、汎アフリカ主義、汎ヨーロッパ主義、汎太平洋主義  汎米主義というのは、アメリカ大陸諸国の結びつきを強化していこうと言う思想である。汎というのは、広域という意味で、英語のpanに相当する。つまりある一定の領域の国々を統一し、又は、合同していこうという思想である。
 汎米主義の他に汎アジア主義、汎アラブ主義、汎アフリカ主義、汎ヨーロッパ主義などがある。
集権主義  集権主義とは、権力を一カ所に集中させようと言う思想である。中央に集中させる考え方を中央集権主義という。
統制主義  統制主義とは、統制と秩序を重んじる思想である。必然的に規律や規則を重視する事になる。統制主義は、組織や全体の秩序を重んじ個人の行動の自由を制約する。また、経済的には、計画や既成に経済活動を制限しようとする。生産、流通、消費の各段階に干渉し、経済活動を制御しようとする。それが、統制経済である。必然的に全体主義、計画経済、強権主義と結びつきやすい。
分権主義  分権主義とは、権力を分散させようと言う思想である。典型的なのは、三権分立主義である。権力の分散、即ち、分権主義は、民主主義の柱でもある。分権主義が弱まると強権主義、全体主義が台頭してくる。
自由主義  自由主義とは、個人の自由をもっとも重視する思想である。しかし、自由の概念ほど曖昧なものはない。即ち、自由主義は、あらゆる拘束や制約、規律を否定する事によって成り立つ無政府主義的な自由主義と法によって自由が実現するとする法治主義的、合理主義的自由主義がある。この二つの思想は、思想的には両極に位置する。その為に、自由主義は、大きく揺れ動く傾向がある。
 何の法も規制もない方が自由に運転できると考えるか、法的な規制があるから、安心して自由に運転できると考えるのかの差である。
 ただ、基本的には、自由主義運動は、無政府主義的傾向を平等主義運動は、全体主義的傾向を持つと考えるのが妥当である。
 経済的には、国家の干渉や市場の規制を排し、自由な経済活動を重んじる。夜警国家。
 日本は、自由主義国、民主主義国と言うが、自由主義運動、民主主義運動、共和主義運動の正統的系譜がない。
 自由主義とは、個人の政治的、経済的、精神・宗教的自立を前提とし、アメリカ独立戦争やフランス革命に代表される市民革命、市民運動、独立解放闘争を通じて専制的体制からの脱却を実現する事を目的とした思想である。その意味では、明治維新をその系譜の原点とするわけにはいかない。また、自由経済も厳密には、資本主義経済や市場主義経済を指すわけではなく。経済的自立を指すことになる。
合理主義  合理主義とは、理性に基づいて生活全般の判断をしていこうとする思想である。理性とは、経験に基づかず先天的(ア・プリオリ)に与えられた理性に基づいて物事を論理的に判断していこうという思想である。

 ウェーバーによれば「合理化」とは、「人間を非合理的な衝動の力と現世および自然への依存から引き離して計画的意志の支配に服従させ、彼の行為を不断の自己審査と倫理的意義の熟慮のもとにおくことをめざす」ことにより、「脱呪術化」することであるという。(「宗教の経済思想」保坂俊司著 光文社新書)

 いずれにせよ、合理主義は、宗教的倫理から脱神秘化、脱呪術化する事によって人道主義的見地から人間の理性を確立し、その理性に立脚していこうという思想である。
経験主義  経験主義とは、対象の認識は、全て経験に基づくとする思想である。合理主義の対極に位置する思想である。教育哲学に重要な影響を与えている。ルソーは、「エミール」によって経験主義教育を説いている。爾来(じらい)、経験主義教育を教育の理想とする哲学者は、ロック、デューイ、ペスタロッチと多くいる。
非合理主義  非合理主義とは、物事の真実、真理は、理性的、合理的には解らないとする思想である。つまり、真理は直観的に、経験的にしか理解できないと言う考え方である。
功利主義  功利主義とは、最大多数の最大幸福を追求する思想である。功利、即ち、自分にとって利益となるかどうかを道徳の規準とする。ただ功利主義を単なる利己主義や快楽主義、打算主義と捉えるのは間違いである。功利とは、善悪の基準を社会の利益・効用・公益・有用性にあるとする考え方で利己主義の私利私欲に置くのとは違う。
商業主義  商業主義とは、何事にも経済的価値・貨幣的価値が優先し、経済的価値、商業的価値に全ての事柄を結びつけて考える思想である。極端なものを拝金主義という。
市場主義  市場主義とは、市場の競争原理を普遍化し、国家による市場への干渉や規制を極力排除し、経済を全て市場の原理に委ね。市場の原理に基づく体制にすべきだという思想である。自由放任主義の一つの在り方である。
法治主義  法治主義とは、法による統治を前提とした思想である。この場合、法の根拠、法源が重要になる。
 法の正当性は、立法手続きにある。正規の手続きを経ない法は有効性がない。故に、法治主義、手続き主義でもある。
 つまりどの様な思想的根拠に基づいて、またどの様な手続きに基づいて法が制定されたによって法の正当性に対する見方が違ってくるのである。
 国民法か、欽定法かによって法の在り方が違ってくる。法治主義、イコール、民主主義ではない。
 また、法に対する捉え方の差は、法に対する思想の差を生む。その立場の違いが、悪法もまた法なりとするか、悪法は法であらずとするかの立場の相違を生むのである。
判例主義  判例主義とは、判例に基づいて法を体系化していく思想である。コモン・ローがその典型である。判例法は、制定法のような議会・立法府による立法手続きに基づくのではなく。裁判所による立法が可能とする思想である。
環境主義  環境主義とは、環境の保護と保全を最重要な課題とする思想である。環境主義は、環境や自然保護という観点だけでなく、資源保護や温暖化対策、乱開発の阻止にまで及んでいる。また、環境主義者は、企業活動に対し、環境税の導入や各種の自然保護法などによって規制するように働きかけている。
覇権主義  覇権主義とは、覇権の確立を目的と親しそうである。覇権というのは、主導権であり、覇者というのは、君主と言うよりも盟主という意味合いの方が強い。覇というのは、競技や力で優勝するという意味が強く。相手を支配するという意味ではない。勝ち従えるのが覇者である。その場合、圧倒的な力で相手を支配すると言うよりも、自分のルールや法、理念を相手に強要するという言いかたの方が正しい。
 第二次世界大戦後の東西冷戦は、米ソ二大大国の覇権争いといえる。
帝国主義  帝国主義とは、軍事力、政治力、経済力を背景にして他国を制圧し、従属国、植民地にしていこうとする思想である。侵略主義、膨張主義、差別主義、階級主義などが必然的に結びつく。帝国主義の初期の段階では、軍事力、政治力が前面に出たが、近年は、経済力による経済的帝国主義が主力となってきた。
 経済的帝国主義体制とは、金融資本や多国籍企業が資本や金融、為替、資源などを活用して市場の支配・独占を実現する間接的な支配体制である。
植民地主義  植民地主義とは、他国を植民地化することを正当化し、目的化する思想である。帝国主義にその典型が見られる。
侵略主義  侵略主義とは、他国への侵略を第一義に考える思想である。背景には、英雄主義、ヒロイズムが隠されている場合が多い。
事大主義  事大主義とは、強者に依存して自己の保全を図ろうとする思想である。国家であれば、強国を頼って自国の安全を守ろうとする考え方である。寄らば大樹の陰である。虎の威を借りる狐である。結局は、隷属主義、従属主義、属国主義、奴隷主義に他ならない。自主独立の対極にある思想である。
保守主義  保守主義とは、守旧派とも言われ、現在の体制を是とし、現状維持を基本とする思想である。ちなみに、世界の常識は、護憲は、保守派であり、改憲は革新と見なす。
 現実に対し肯定的だという意味では現実主義的な側面を持つ。
反動主義
 (アナクロニズム)
 アナクロニズムというのは、時代錯誤を言う。反動主義は、歴史の潮流に逆流することをいう。いずれも、進歩や進化に対する抵抗である。
 反動主義イコール復古主義というわけではない。時代が復古主義的な場合に、その時代逃れに逆らえば反動主義といわれる。
革新主義  革新主義とは、進歩主義ともいわれ、あらゆる事柄は、進化、進歩の過程として捉え体制を進歩的に変革していこうという思想である。これは、変化は、進化、進歩だという前提に基づく。変化は、退化だという発想はここにはない。
 この対極に、復古主義がある。復古主義の代表は、儒教である。
 本来の革新主義は、1890年代に行われたアメリカの改革運動で、反トラスト法などで政府が経済政策に干渉するように働きかけた運動である。
 進歩は成長発展だと捉え、あらゆる事を変革に結びつけようという発想は進化論による。しかし、進歩が全て正しいという保証はない。また、進歩論的な発想が、発展主義、拡張主義を増長してきたと言う側面も、否めないことを忘れてはならない。
復古主義  復古主義とは、過去の体制に理想的在り方を見出し、その体制への回帰を目指す思想であり、代表的な思想は、儒教である。つまり、儒教主義は、温故知新と言う言葉に象徴されるように基本的には復古主義である。また、その意味では、儒教主義圏内の国は、基本的に復古主義である。
改革主義  革新主義とは、基本的に体制の範囲内において、非暴力によって政治や経済、軍事、社会を変革していこうという思想である。例えば、民主主義体制下では、選挙によって変革していこうという思想である。この対極にあるのが、暴力による体制の変革を目指す革命主義である。
 むろん、革新主義も、究極的には、体制の変革へと繋がるものであるが、一気に全てを変えてしまうと言うのではなく、斬新的に体制を漸進的に変革していこうという思想である。
 また、構造改革というのは、仕組みや制度の変革によって政治や経済、社会、軍隊を立て直そうという思想である。経済で言えば、政策よりも金融制度、市場制度、為替制度、会計制度と言った制度の変革に主眼を置いた思想である。
革命主義  革命主義とは、革命を最終的・究極的手段として絶対視する思想である。それ故に、全ての思想・活動を革命に対する予備的、前段階的なものとして捉え、革命に全ての活動を結びつけて考える思想である。革命主義は、極端な場合、あらゆる行為を革命のために行われるかぎり肯定・是認、正当化する。テロ、暗殺、殺人、拷問、謀略、嘘、裏切り、スパイ、詐欺、強盗、ハイジャック、放火、誘拐、拉致、監禁、洗脳。そして行き着くところは、革命的状況、争乱、騒擾、混乱、パニック、無秩序、無政府的状況を作り出すことを是認する。それは、テロや暗殺のような犯罪的行為でもそれを引き起こさせる要因は、体制側にあるという理由でである。こうなると、いかなる行為も正当化されてしまい、歯止めがなくなる。犯罪は、加害者よりも被害者の方に犯罪を引き起こす要因があると言っているようなものだからである。最近では、革命主義的原理主義の行動がこれに該当する。
 革命とは、政権外の勢力が体制を覆し、体制を変革することを言う。
権力主義  権力主義とは、国家権力に絶対的価値をおく思想である。その為に、国家権力の強化を促すことを目的とする。その結果、警察力や軍事力の強化をはかる。そう言った力を背景にした支配を是とする思想である。
強権主義  強権主義とは、強力な権力によって反対派を制圧し、国家を統制していこうとする思想である。その中心となるのが軍事力と警察力である。ただ軍事より治安面が重視され、秘密警察、憲兵のような治安、公安部分が強化される傾向がある。軍国主義体制に対し、治安を重視した警察国家体制が典型である。
権威主義  権威主義とは、何等かの対象に絶対的権威を見出し、それをシンボライズした思想である。権威を何に見出すかによって宗教的権威主義と世俗的権威主義の二つに分類される。
現実主義  現実主義とは、現実を正しく認識し、現実の実態に則した考えをする思想である。現実主義とは、現実を在るがままにただ受け容れればいいと言う事ではない。現実を直視し、その上で、論理的に理論を展開すべきだという主義である。安易に自分に都合がいいように物事を認識するのではなく。自分にとって都合がいいことも都合が悪いことも等しく認識すると言う事が、現実主義なのであり、極端な楽観主義や悲観主義を排した思想である。あくまでも、客観的な事実を重視すべきだという思想である。その意味で客観主義、観察主義に通じる思想である。
 現実主義は、事実に立脚するという意味では、科学主義に通じる。
理想主義  理想主義とは、現実よりも理想的な在り方を追求すべきだという考え方である。自分にとってベスト、最高の状態は何かを明らかにし、それを実現するように働きかけていくというのが理想主義の根本である。理想主義者にとって現実に迎合することは妥協に過ぎない。理想主義者にとって重要なのは、それは、現実的であるかどうかではなく、在るべき姿であるか、ないかが問題なのである。
 時に、理想主義者は狂人に準(なぞら)える。
 永遠の理想主義者と言われるのが、ドン・キホーテである。
機能主義  機能主義とは、対象を固定的、位置的なものとして捉えるのではなく。働き(運動)や関係によって捉えようとする思想である。
自然主義  自然主義とは、自然な状態を最高の境地、最高の環境として認識し、それを実現しようとする思想である。
構造主義  構造主義とは、個々の実体よりも全体の関係や、仕組み、構造を重視する思想である。
唯物主義  唯物主義というのは、この世の全ての対象は、即物的な物であり、観念主義的なものは何もないとする思想である。
 この世の対象は、本来物質的な物であり、観念的な物は、その影にすぎないとする。
 唯物主義とは、目に見える実体しか信じない思想をいう。目に見えない、即ち、知覚しえない、観察し得ない物は存在しないと考えるのである。
唯心主義  唯心主義とは、この世の現象は、観念、つまり心が生み出した世界であるとする思想である。目に見える物は、実体ではないとする思想である。真実実在の物は目に見えない物であり、目に見える物は仮の姿にすぎないと言う考え方である。即ち、この世の出来事は、心の動きによって生み出された物であり、幻影に過ぎないとする思想である。
現象主義  現象主義とは、目に見える現象のみが真実であるとし、その背後にある実体を認めない思想である。万物は流転する。諸行無常とする思想で、仏教も現象主義的側面を持つ。現象主義は、近代科学の成立にも重要な影響を与えている。
実存主義  実存主義とは、主体的実存に全ての認識の根拠をおく思想である。主体的実存とは、自己である。
ニヒリズム
 (虚無主義)
 ニヒリズムとは、既存の秩序や道徳、価値観、権威の全てを否定し、存在そのものをも無意味だとする思想である。その為に、既存の秩序や道徳、価値観、権威に対して攻撃的になる。仏教の一派や道教にあるような宗教的ニヒリズムと世俗的ニヒリズム、ロシアの急進的民主主義者による暴力的ニヒリズムがある。
 既成の価値観や道徳に否定的であるために、アンチモラリストが多い。ただ、アンチモラリストだからと言って無軌道な人間ばかりとは限らない。むしろ、ストイックな人間も多くいる。
 ただ、ここで言う虚無とは、東洋的な意味での無とは別である。東洋的な虚無には、諦観があるがニヒリズムにはその様な諦観はない。ニヒリズムにある否定性は、より積極的な意味での否定性である。
絶対主義(哲学)  絶対主義とは、絶対的真理、絶対的存在を前提とした思想である。絶対的な真理や存在を認めたからといって相対的な認識を否定しているわけではない。絶対と相対は、二律背反の関係にあるわけではない。
相対主義  相対主義とは、この世の全ての対象は、相対的であるという思想である。しかし、相対性は、認識にあるのであって存在にあるわけではない。
実証主義  実証主義とは、観察によってえられた、自明な事象、所与の事象、客観的実在を根拠にし、尚かつ、経験的、実験的に証明された事以外を認めない思想である。実証しえないことは存在しない。
プラグマティズム  プラグマティズムとは、実用主義、道具主義、実際主義とも訳され、理論は、結果の有用性によって実証されるという思想である。主として、経験主義に根ざす。特に、教育において経験主義教育に結実する。価値ある物は、有用な物であるという考え方である。
平等主義  平等主義とは、平等をもっとも重んじる思想である。
 ただ、平等の概念も、確定したものではなく。平等の定義によって、平等主義の在り方も違ってくる。平等の概念は、翻って考えると、個人差をどう捉えるかの問題に帰着する。第一に、一切の個人差を認めない立場の平等主義がある。この考え方は、究極的には、結果の平等に行き着く。第二に、先天的な肉体的差や能力的差は認めるが、後天的な経済的差や家柄的差は認めないと言う立場である。第三が、個人差を認めた上で、機会均等の平等の立場をとる者である。第四に、ゴルフのハンディのようにある程度の個人差に応じてハンディキャップを与えて平等を実現しようとする立場である。第五に、法によって平等は実現されるという立場である。基本的には、機会均等の平等と法の下の平等は、同じ立場に立つものと考えられる。
 つまり、個人差という本を正す思想と機会という出口を均等化する思想である。
 また、何の基の平等かによっても考え方は違ってくる。法の下の平等なのか。神の基の平等なのか。法の下の平等は、法を平等の拠り所とし、制定法的な法体系に結実するのに対し、神の基の平等は、法以前の前提に依拠して、コモン・ロー的な法体系に結実する。
 平等な対極にある差別を生み出す要因としては、経済的(貧富)要素、政治的要素、人種的要素、民族的要素、言語的要素、文化的要素、国家的要素、性的(男女差)要素、宗教的要素、職業的要素、歴史的要素、地理的要素、出自的要素、能力的要素、身体的要素、階級的要素などがある。
 また、平等を実現する手段には、差別者、被差別者の一体化をはかる同化主義と差別者から被差別者が自立し、対等の立場を確立する自立主義がある。
男女同権主義
 (フェミニズム)・女性解放主義・女権拡張主義
 男女同権主義とは、性的差別を撤廃し、男女が対等の権利を持つべきだという思想である。男女同権主義には、女性の地位そのものを向上させようと言う思想と、男性と同じ権利を獲得しようと言う思想に別れる。一見、二つの思想は同じ主張に見えるが、前者は、従来、女性固有の仕事、即ち、家事労働や育児労働を社会的に認知させ、それによって男女の権利や立場を同等のものにしようとする思想であり、後者は、社会にある男女差の格差をなくし、女性の社会進出を促そうという思想である。後者の流れは、ジェンダーへと発展していく。
 前者は、性別差を前提とした自立主義であり、後者は、性別差を基本的に認めない同化主義である。
無抵抗主義  無抵抗主義というのは、支配者に対し、抵抗的な行動をせずに、不服従をする思想、運動である。ガンジーが有名である。その他には、アメリカのキング牧師がいる。トルストイも提唱した。また、古くは、原始キリスト教や仏教にも見られる。無抵抗主義というのは、相手の良心、理性に訴える思想である。良心や理性、良識が通じない相手には無効である。故に、万能の方策ではない。しかし、それが歴史を動かし、信仰の源流となったのは、紛れもない事実である。
非暴力主義  非暴力主義とは、あらゆる暴力を否定する思想で、無抵抗主義に通じる。
人道主義  人道主義とは、人間として道徳、人倫、人の道に基づいて国家、社会を正そうとする思想である。現代は、人道主義者は、国家のレベルを超えて地球的規模での活動をするようになってきた。すなわち、人道主義とは、人間愛を根本とした思想である。故に、人類救済を使命として持ち、その結果、環境保護や反戦活動、虐待、残虐行為に対する反対運動、抵抗運動の根本思想に発展していく。また、各種の支援活動にも熱心である。博愛主義にも重なる。
ヒューマニズム  ヒューマニズムとは、人間を超越したの存在(神や仏、超越的真理)を倫理的に認めない思想である。故に、無神論と結びつきやすい。
反戦主義  反戦主義とは、人類の災禍、悲劇、不幸の根源は戦争にあるとして、あらゆる戦争、戦闘行為に反対する思想である。しかし、反戦主義イコール非暴力主義や無抵抗主義ではない。過激で、急進的な反戦主義も存在する。
組織主義  組織主義とは、組織を最善の体系と見なす思想である。組織の規則によって規律のとれた集団活動を実現する事を目的とする。軍隊主義思想が典型である。軍隊主義というのは、軍国主義とは違う。軍国主義というのは、軍事が政治を支配する思想であるが、軍隊主義というのは、軍隊という組織そのものが生活の隅々まで規制する思想である。スパルタ主義が、好例である。
快楽主義  快楽主義とは、快楽を追求することを人生の究極の目的とした思想である。つまり、快楽こそもっとも人生において重要な事と位置付け快楽を得るためならばどの様なことでも許されるという立場に立脚する。
 ただし、快楽とは何かについての考え方の相違で、まったく違った思想になる。即ち、快楽を精神的な快楽とするか、肉体的快楽にするかによってまったく対極に位置する思想になる。快楽を精神的快楽に求める者は、禁欲的でもある。
 反対に、肉体的快楽は、自己の感覚であるから利己主義に陥る可能性が強い。
耽美主義  耽美主義とは、美に至高の価値を見出し、美意識、美的価値観によって生活全てを支配しようとする思想である。唯美主義ともいう。
刹那主義  刹那主義とは、その時その時の一瞬一瞬に全ての価値を見出し、全てをかけていこうという思想である。刹那主義者に後先のことは無意味である。
禁欲主義  禁欲主義とは、欲望が諸悪の根源、苦しみの根源と見なし、あらゆる欲望を断とうとする思想である。禁欲主義は、宗教的な生き方にも通じる。古くは、仏教や原始キリスト教、修道院などに見られる。
教条主義  教条主義とは、何等かの教義、聖典に忠実たらんとする思想である。教義に書かれている事柄に忠実たらんとして、教義に囚われすぎ、本質を見失う傾向がある。
訓詁主義  訓詁主義とは、字句の解釈を重んじる思想である。
武士道・騎士道  武士道とは、武士や騎士の倫理規範をいう。武士道・騎士道は、封建的主従関係を基礎として家臣、従者の心得、道徳を指して言う。その根本は、忠誠心と名誉である。武士道は、明確な主義として存在するわけではないが、行動指針、規範としては、主義以上の拘束力を持つ。それ故に、主義の論理の前提として認識しておく必要がある。
日和見主義  日和見主義とは、その時の情勢で、自分の都合の良い側に立とうという思想である。主体性や信念の稀薄さを象徴する言い方でもある。
事なかれ主義  事なかれ主義とは、何事も無事穏便にすまそうという思想である。
神秘主義  神秘主義とは、神、絶対存在者、宇宙原理、最高原理とっいた至高の存在を直接的体験によって自己と一体化することを目的とした思想である。特に、宗教的実在を直接、体験的に合一化しようとするものが多い。手段としては、瞑想や降霊などを用いる。
英雄主義  英雄主義とは、超人的英雄を崇拝し、英雄的行動を推奨する思想である。
冒険主義  冒険主義とは、危険を承知で新しいことに挑戦していく思想である。ともすると無謀と見なされる。ただ、新しいことに挑戦するときは、多かれ少なかれ、冒険主義的に成らざるをえない。
終末論  終末論とは、人類は必ず、終末、滅亡の時が訪れ、その時、裁かれるという思想である。この様な終末論は、主として、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のような一神教に見られるが仏教のような輪廻思想にも、みられる。核兵器による世界最終戦争という思想は、現代の科学主義的終末論である。
無神論  無神論とは、一切の神的存在を認めない主義である。唯物論がその典型である。
 注意しなければならないのは、無神論と無宗教とは、違うと言う事である。無神論も一種の宗教と見なすこともできる。
 無神論者も冠婚葬祭と言った人生の節目において、その土地や社会の宗教的風俗習慣に従って生活している場合が多い。また、無意識に何等かの超越者、絶対者を前提として生きている事が多いのである。
 超越者も絶対者も認めない無神論者は、自己を絶対化せざるをえなくなる。さもないと、存在の根拠、自己意識の中核を確立することはできないのである。
普遍主義  普遍主義とは、普遍的な存在や原理などに絶対的な根拠をおく思想である。絶対的な存在とは、神以外の物をさし、その場合は、無神論的傾向を持つ。原理とは、自然の法則などをさす。
 科学主義などが普遍主義の典型である。しかし、科学は、普遍主義的だからといって、科学が、有神論と並立できないとか、科学者は全て無神論者というわけではかならずしもない。ただ、無神論的な傾向を持ちやすいと言うだけである。
 また、普遍的存在を神と考えると一神教となる。
 マルクス主義は、普遍主義的傾向を持ち、また、普遍的な存在を神と見なしていないから、基本的に無神論である。しかし、宗教的共産主義もあり、全ての共産主義者が無神論的立場をとっているわけではない。
理神論  理神論とは、人格神を認めず、非人格神を崇拝する思想である。唯一神主義に通じる思想である。
輪廻主義  輪廻主義とは、人間は、生まれ変わりを繰り返すという思想である。輪廻思想は、因果応報論に結びつく。つまり、転生を繰り返す中で罪と罰とは、解消されていくという思想である。つまり、今生に犯した罪の罰は、来世において罰せられるという思想である。時間の経過の中で解消されるという輪廻思想は、歴史性と結びつきにくく、輪廻思想のない、宗教は、歴史主義に結びつきやすい。
転生主義  転生主義とは、人間は生まれ変わるという思想で、輪廻と対で言われる場合が多い。しかし、輪廻思想と転生思想とは、必ずしも同一の思想とは言いきれない。輪廻思想は、死後、いろいろな世界を巡り巡っていくという思想で、因果応報思想と結びつきやすい。それに対し、転生思想は、生まれ変わるという思想で、世襲思想や血統思想に結びつきやすい。因果応報は、歴史的に罪や罰が解消されるという歴史性ではなく。諸個人がそれぞれ輪廻を通じて報いを受けるという思想である。それに対し、転生思想というのは、転生することを通じて過去のものを引き継いでいくという思想で、古くは、エジプトのミイラ思想にも見られる。
多神教  多神教とは、複数の神の存在を認める思想である。多神教には、神の世界にも階層、階級があるという見方と神を平等と見る見方、又は、化身と見る見方とに別れる。化身と見る見方は、一神教の姿を変えたものとも言えるものが含まれる。
汎神論  汎神論とは、この世の全ての物に、神性があるという思想である。神は、全てであり、全てが神である。多神論の究極的な在り方である。
混合信仰
 (シンクレティズム)
 混合信仰、シンクレティズムとは、複数の宗教が混合して形成される宗教である。宗教の変遷期によく見られる。核となる宗教に外来の宗教や民俗宗教、土着の信仰などが取り込まれることによって成立する。日本やヒンズー教のように変遷期と言うだけでなく、宗教の性格に基づく場合もある。
仏教  仏教とは、輪廻転生思想を前提とし、その輪廻こそが苦しみの根源とし、その輪廻からの解脱を目的とする思想である。仏教では、解脱者を仏として崇拝する。仏教には、神は、存在しない。つまり、神を否定はしないが、崇拝もしない。一種の無神論、普遍主義と見なすことができる。
先祖崇拝  祖先崇拝とは、自分達の祖先を崇拝する思想で、祖先を神とする考え方である。先祖崇拝として、宗廟・社稷を重んじる思想である。宗廟とは、先祖を祭るみたまやであり、社稷とは、土地の神である社と五穀の神である稷とを壇を設けて祭ったである。社稷とは、国家、朝廷を意味することもあるが、基本的には、一族の神、鎮守の神を指している。
シャーマニズム  シャーマニズムとは、シャーマン(巫女・霊媒師・魔術師・占い師)といった人間が霊的な存在を仲介することによって神秘的な力を呼び出し、その神秘的な力によって人生や国家における重要な決定をしていく思想である。
アニミズム  アニミズムとは、あらゆる事物に霊魂、霊性が宿るという思想である。
一神教  一神教とは、ただ一つの神を信じその他の神を認めない思想である。
 一神教でも、他の神の存在を認めない唯一神教と他の神を存在を認めながら、その中の一つの神を崇拝する拝一神教、一神崇拝教と他の神を認めながら、その中の一つの神を主神として崇拝する単一神教、信仰する神が交替する交替神教がある。(Wikipedia)
 唯一神教は、超越的、絶対的、普遍的存在者や教義と対峙することによって自己の存在認識と信条を確立する。
唯一神主義  唯一神主義とは、一神教の極致であり、ただ一つの神しか認めない思想である。そして、神に属性を認めず、擬人化もしない。それ故に、表面的には、に無神論に近似した側面を持つ。超越者や絶対者を前提とするか、しないかでは、自己に対する認識が、まったく違ったものになる。超越者も絶対者も認めない無神論者は、自己を絶対化せざるをえなくなる。無神論と唯一神主義とは、本質が違うのである。
 私が提唱する思想である。

 ちなみに、私の思想は、信仰対象が、唯一神であり、私的倫理観が個人主義。社会的価値観は、自由主義。政治信条は、民主主義、経済思想は、構造主義で、対世界観は、論理実証主義である。





        


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