経済数学

4 経済数学

4−2 負の経済、借金の経済


 国債は、借金なのであろうか。借金だと認識するから、国債の働きを正当に評価できず、かえって、国債の量を無用に膨らませてしまうのである。
 国債は、表象貨幣制度において貨幣の流通に伴う、反対作用である。つまり、国債は、表象貨幣制度の基盤であり、国債があるから表象貨幣制度は成立し、かつ、安定する。
 国債の働きは、紙幣の流通量の総量を制約する。金利の動向を定め、金利の下限、上限を制約する。
 国債は、通貨の総量を規制し、財政は、通貨の増減を調節する。
 それによって物価や景気を制御する。又、公共投資の有り様によって国債の性格は、負債に近いものか資本の近いものかを確定する。
 また、国債は、外貨準備金を用意し、経常収支の過不足を補う。国債が外貨建てか、自国通貨建てかでその働きに違いが生じる。

 国債というのは減らそうとすればするほど増えることがある。十分、気をつける必要がある。

 財政は、国債の増減を調整する物であるから、無理矢理、財政支出を抑制すると市場の収縮を招いてかえって国債を増やす結果になることがある。問題は、税によってどれくらい経済の動向を捕捉できるかにかかっている。

 表象貨幣は、正と負の価値を生み出しているこの点を見逃してはならない。即ち、表象貨幣の流通は、同量の正と負の価値を生み出しているという事を意味する。つまり、全体が均衡するためには、正の部分と負の部分が同量存在しなければならないことを意味する。それは、得をしている部分と損をしている部分があることを意味しているのではない。正は得で、負は損という発想を切り替える必要がある。そうではなくて、正の働きをしている部分と負の働きをしている部分の働きの総和が均衡していることを意味するのである。
 財政と家計が負であれば、それに相当する企業収益が正となる。また、経常収支が負ならば、資本収支は正となると言うようにである。故に、ただ個別の値が正であるか、負であるかを問題にしても意味がない。問題は、正の値を示す部分と負の値を示す部分の働きの相関関係が重要なのである。

 貨幣の流れを作り出すのは、負の部分の働きに負うところが大きい。即ち、金利の働きや資金調達、返済の働きである。それは、長期的周期の資金であるか、短期的周期の資金であるかによって決まる。負の圧力が資金の流れに対して重要な働きをしているのである。

 会計上、貨幣価値が均衡しているという事は、貨幣価値に正と負の価値が均等に存在すると言う事を意味している。そして、負の価値を補う形で財が存在するのである。

 単位期間における紙幣の流通量の総量は、紙幣の発行残高と回転数によって決まる。

 市場に流通する紙幣の総量は、紙幣の発行残高を上回ることはない。

 資金の量は、資金の調達手段によって制約を受ける。

 紙幣の流量は、紙幣を発行し、管理する仕組みによって決まる。紙幣の発行残高は、紙幣の発行の仕組みと回収の仕組みによって制約されるからである。

 紙幣の発行の形態は、借入をする手続と同じである。なぜならば、紙幣の発行は、公的負債の形式をとるからである。

 兌換紙幣は、政府の保有する金や徴税権を担保として中央銀行が紙幣を発行する。不兌換紙幣は、国債を担保として中央銀行が紙幣を発行する形式をとる。中央銀行にとって銀行券は負債勘定として、保有現金と区別して表示される。即ち、紙幣は、公的債権を代償として発行される。公的債権は、対極として公的債務を発生させる。即ち、紙幣というのは、借用書の一種である。

 政府が直接紙幣を発行する形態でも公的債務という性格は変わらない。ただ、政府が直接紙幣を発行することには幾つかの弊害が生じる。

 政府が直接紙幣を発行することは、幾つかの問題点がある。その第一が、政府が直接紙幣を発行することによって中央銀行の機能が発揮できなくなるという事である。その為に、金融機関に対する中央銀行の統制力が弱まり、金融機関による系統だった紙幣の管理に支障が生じることである。
 第二に、財政は、現金主義に基づく会計処理がされているのに対し、市場は期間損益に基づく会計処理がされている。この間に制度的な連続性がない。故に、中央銀行を仲介することによって財政と市場との整合性を取っている。この働き、変換ができなくなる。その為に、会計的整合性が失われる。
 第三に、紙幣価値を規定する何等かの物的、或いは、貨幣的基準が得られないため、紙幣の信認が得られなくなる。貨幣価値が不安定なものになる。物的というのは、金本位制では金、不兌換紙幣では国債を言う。

 紙幣の流通量という観点からすると国債の問題は、国債の発行量の問題よりも国債がどれくらい資金化され、市中に流通したかの問題の方がより重要である。

 紙幣の発行は発電によく似ている。発電量は、使用電力によって決まるのである。発電量に対して使用電力が多くなると停電が生じる。また、使用電力が少なければ、発電の効率は低下するのである。発電量ばかりを問題にしても意味がないのである。問題は、電力に対する需要、必要性の問題である。  

 貨幣経済から見た財政の役割は、紙幣の流量を調節することにある。

 国家の支出は、紙幣の発行量の増加に繋がり、国家収入は、紙幣の回収量の増加に繋がる。国家の収入と支出が紙幣の発行量の増減量を決める。

 国家の支出は、民の生活により、国家の収入は、市場の規模による。民の生活とは、所得の再分配と社会資本の整備、行政費用からなる。これらの根底にあるのは、国家観である。
 国家の働きは、金の働きや物の働きだけではなく、人の働きがある。例えば、老人介護に対する働きには、ただ、金を与え、施設を作ればいいと言うのではない。むしろ、人としていかにあるべきかが重要なのである。つまり、国家観の根本は人にある。その根本がなくして国家財政の基礎は築けない。

 公的債務の存在は紙幣の性格上必然的なのものである。問題は、公的債務の量である。財政に対して公的債務の量が与える影響が問題となるのである。

 国家の債務の規模は、紙幣の発行量に比例する。紙幣の発行量は、財政収支によって決まる。

 市場の拡大に比例して公的債務も増加する。

 国家の支出は所得の再分配の問題であり、国家の収入は、紙幣の回収の問題である。国家の債務の問題は、収支の均衡の問題である。

 収支の均衡は、国債の残高の総量と国債の新規発行の量と国債の借り換えの量の関数として表される。

 国債の市中消化は、公的債務の民間への転移を意味する。同時に、国債を市中で消化させる事は、国家が、貨幣から吸い上げる事をも意味する。つまり、国債の発行は、貨幣の回収手段の一つなのである。国債以外に、市場から貨幣を回収する手段は、税収と事業収入がある。

 国債の市中消化は、公的債務を民間、特に、民間の金融機関に転移し、国債を担保する事によって中央銀行から紙幣を引き出す操作を意味する。その場合、国債の金利は、国債の保有者に対する配当となる。
 一定の国債の保有が恒常化すれば、国債は限りなく資本と同じ働きをするようになる。例えば、将来の税収や公共事業、公共資産を担保して国債を発行すれば、徴税権や公共投資に対し、国債の所有者に何等かの権利が生じる事を意味する。

 将来の税収や公共事業、公共資産を担保した公的債務が対外債務である場合、国家の主権に瑕疵が生じる可能性が高い。

 国家の支出は、紙幣の発行量を増加させることによって潜在的需要を顕現化する働きがある。潜在的需要が顕現化するという事は、市場取引を活発化することに繋がる。
 ただし、紙幣を流通させるだけでは、需要を喚起することには繋がらない。国家の支出で重要なのは、所得の偏りを是正することによって市場の取引の均衡を保つことにある。

 税制の要点は、紙幣の回収率と税率の問題だといえる。

 税収は、即ち、国家収入、言い換えると政府による紙幣の回収高は、市場の規模に比例する。市場の規模は、取引の総量によって決まる。問題は、市場の規模を税制度がどこまで捕捉するかである。

 財政の基本的な機能は、財政支出の規模と財政収入の規模によって紙幣の発行量を調節する事にある。財政収支の不均衡は、公的債務の量によって調節される。

 市場規模と生活水準が均衡するように紙幣の発行量を調節するのが財政の役割である。
 市場と規模と生活水準を均衡させることが出来るように税制度を構築し、予算を作成するのが政府の責任である。

 財政破綻というのは、政府が紙幣の流量を制御できなくなって状態を言う。紙幣の量は、財政収入と財政支出と公的債務の関数である。
 故に、財政破綻の原因は、財政収入と財政支出の差が極端に広がり、公的債務に対する抑制が効かなくなることを意味する。

 財政の働きは、効率よく紙幣を回収し、又、環流することにある。政府が、紙幣を回収する仕組みは、税制度である。税の仕組みは、効率よく紙幣を回収する仕組みでなければならない。紙幣の回収と環流の均衡がとれなくなると財政は、破綻する。

 財政を健全化するためには、国家目的に基づいて国家収入と国家支出、そして、公的債務の均衡を計ることである。

 政府が有効に機能するためには、まず第一に、長期的展望に立った国家観、国家構想を前提とする必要がある。
 その上で、財政収入と財政支出を長期的に均衡できる仕組みを構築する必要がある。財政収入と、財政支出、そして、公的債務の量は、紙幣の必要量から算出されるべきものである。目先の景気対策ばかりに捕らわれるべきではない。

 紙幣の流れをどう税制によって捕捉するかと言った点で重要になるのは、どの部分を課税対象にすべきかという事である。所得と言っても、期間損益に基づく所得と現金主義に基づく所得では、性格や働きに違いが生じる。消費や商品に対する課税というのは、取引と言う行為と結果である財を課税対象とすることを意味している。土地や権利を課税対象とするのは、固定資産、ストックを課税対象とすることである。関税は、物流を課税対象としていることである。使用税は、受益者を対象として課税しているのである。
 所得を対象とするのか、取引を対象とするのか、市場を対象とするのか、資産を対象としているのか、物流を対象としているのか、受益者を対象としているのかそれは課税の目的に依るのである。

 何に対して課税するのか、もっと、有り体に言えば、何を課税対象とするのかが税の働きを規定するのである。
 課税対象には、人、物、金がある。故に、税には、人に対する課税がある。物に対する課税がある。金、即ち、会計的概念に対する課税がある。物を課税対象とする制度には、固定資産税や関税、物品税、相続税がある。人を対象とする課税対象には、所得税や消費税、人頭税などがある。会計的概念を対象とした税に法人税などがある。
 重要なのは、課税対象が資金の流れや働きにどの様な関わりがあり、どの様な影響を及ぼすかである。

 特に注意が必要なのは、所得税と言っても期間損益に基づく所得税と現金主義に基づく所得税は、性格も働きもまったく異質だと言う事である。
 期間損益というのは、会計制度によって計上された利益を課税対象とするものであり、法人税などを指して言う。それに対して、現金主義に基づく所得税は、現金収入を課税対象とする税である。現金主義に基づく所得税は、資金の流れに基づくが、期間損益は、資金の流れとは直接的には結びついていない。つまり、収入があってもなくても課税される。また、期間利益に対する課税が過剰だと、長期資金の原資が確保されずに、負債の圧力が蓄積されることになる。
 その為に、期間利益に対する課税は、適用を間違うと資金の流れの阻害要因となる。可能であれば、期間利益に対する課税は、補助的なものに限定すべきである。さもないと、企業活動や投資活動が抑制的なものになってしまう危険性がある。
 この点は、資産と言ったストックに対する課税も同様である。資産は、換金化されない限り、紙幣の流れに直接かかわってこないのである。つまり、取引を前提とした対象は、取引という行為があってはじめて実現するものであることを忘れてはならない。原則的に未実現利益は、利益として確定しないかぎり、現金化されないのである。
 逆に、ストックに対する潜在的な価値を表面化するという効果や社会的不公正を期待することも可能であるが、ストックを課税対象とする税制を導入する場合は、その効果や影響を慎重に検討しておかなければならない。

 景気が悪化した時に、法人税を上げる事は、企業の長期資金に対する原資を圧迫することになり、企業の資金繰りを悪化させる。景気が悪化しているという事は、収益が悪化していることを意味し、尚かつ資産価値が低下していれば、企業の資金調達力は三重の打撃を受けることになる。そこに金利や物価の上昇が追い打ちを掛ければ、事業の継続に重大な支障が生じる。

 民間企業が大量に破綻することは、景気に負の連鎖をもたらす。

 所得の再分配は、所得の配分の偏向を正すことによって、資金の効率を高める施策として有効である。
 しかし、所得を再配分する場合は、所得の変更している状態をよく吟味し、それが財政収支に与える影響を十分に考慮する必要がある。
 なぜならば、所得の再配分は、財政収支に与える影響が大きく、十分な財源が確保されていないと国庫に対して際限のない負担を生じさせる結果を招く危険性があるからである。また、状況認識を誤るかえって所得配分の歪みを拡大する結果を招く恐れもある。

 子供手当のような国民に対する直接的な補助金は、対象を特定した減税とは同じ効果がある。要するに、補助金と減税の組み合わせは、所得の付け替えに過ぎず、朝三暮四的効果しか望めない。補助金の支給にかかる費用は、まるまる国家負担の増加になる。肝心なのは、どの様な働きを期待して所得の再分配を意図するかにある。

 過剰設備、過剰負債が原因で収益が悪化し、景気が悪くなったときに金利を下げても投資は促進されない。投資が抑制されている原因は、金利にあるのではなく。過剰設備と過剰負債、収益の悪化にあるからである。

 又、補助金を出しても収益の改善に結びつくものでないかぎり、問題を先送りしているだけで、実際は、事態を更に悪化させているだけである場合が多い。

 景気が悪化した時は、資金の回転率を高める方策を講じるべきであり、ばらまき型の施策は、かえって資金の効率を悪化させる危険性が高いことを留意する必要がある。景気を悪化させる原因の主たる部分は収益の低下なのである。つまり、収益構造に原因がある。収益構造を悪化させている要因、即ち、過度の競争による収益力の低下、資産価値の低下による資金の調達力の減退、雇用不安、所得不安に基づく消費の減退、借入金の返済が滞る等を除く方策を採るべきなのである。負の連鎖をどこで断ち切るかが重要な課題となる。

 どの様な税制が最適かは一概には言えない。税の働きは、景気の動向や財政支出の規模によって違ってくるからである。問題なのは、どの様な目的によって税を掛けるかである。

 税制を設計する際は、税の定義、税の目的や働き、役割を明確にする事が大切である。その上で、課税対象を明らかにすることである。税というのは、本来合目的的なものである。ただし、税の目的を明らかにするというのは、税制を設計する上での問題であり、税の使用を目的によって限定的に制約をする目的税を意味するのではない。目的税は、税の効果を限定的にする事があり、導入には、充分注意する必要がある。

 景気の変動を税に反映したいのか、市場の規模や取引の総量といった何等かの全体を反映としたいのかによって税制の設計は違ってくる。

 景気の変動を反映するような税制は微分型税制である。市場の規模に基づくような税制を積分型税制という。

 市場の拡大期、経済成長期には微分型の税制は有効であるが、市場の停滞期、経済の成熟期には、積分型の税制に切り替えないと財政の悪化を招く結果になりやすい。

 税の目的は、財政支出の目的から考えられるべきなのである。財政支出の第一の目的は、紙幣の流量の調節する事によって景気を制御する事にある。第二の目的は、所得の再分配にある。第三の目的は、社会資本の整備にある。第四の目的は、行政サービス、第五に、国防にある。

 社会資本を整備する目的は、国民の生命財産の保障と福利の厚生にある。根本は、国家とは何かという国家観にある。
 
 財政収入の問題点としては、税の捕捉率の問題と市場の拡大の鈍化が考えられる。税の捕捉率の問題は、即ち、紙幣の回収率の問題である。財政支出の問題点は、財政の硬直化が最大の問題である。それに関連して予算制度の在り方の問題がある。

 現行の予算制度は、現金主義、先決め主義、単年度均衡主義である。要するに時間の観念が欠如している、或いは、短期的な視野にしか立てないことが問題なのである。企業会計は、期間損益主義、決算主義、長期均衡主義である。むろん、企業会計にも問題がある。双方の利点を生かす制度を導入することが今後求められる。

 財政支出には、所得の再分配、社会資本、行政費用、国防費用がある。

 所得の再分配の目的は、格差の是正にある。格差の是正は、社会的正義の問題もあるが、それ以上に重要な要因として経済的理由がある。
 経済的格差の拡大は、労働意欲を減退させ、社会不安の原因となる。
 しかし、それ以上に重要なのは、経済構造に重大な歪みを生じさせ、紙幣が万遍なく行き渡らなくなることである。その結果、紙幣の流れに澱みや滞留、偏りを生じさせ、紙幣の働きに支障が生じ効率を低下させる。
 又、社会に経済的断層を作り、階層化させてしまう。経済的断層や階層は、財の分配に偏向をもたらし、経済構造を不安定なものにする。
 社会階層は、資金の流れに対し障壁や溝を作ることになるからである。
 逆に、極端に格差を小さくすると自己実現を阻害し、労働意欲やモラルの減退を招く。また、社会的分業の意義を喪失させる。
 社会を構造化することによって極端な格差の広がりや縮小を抑制することが重要なのである。そこに所得の再配分の意義がある。
 所得の再配分は、政治に利用されやすい。選挙のために大衆に迎合的な施策がとられ、効果的な所得の再配分が計られなくなると財政を破綻させる一番の要因となる。根本は、社会思想、哲学の問題である。

 社会資本は、国家観の基づくものでなければならない。当に、国家百年の計である。長期的展望に立ってはじめて有効なものであり、又、経済情勢にあわせ柔軟に支出を決める事が可能なのである。又、資金も長期的な展望に立って計画することが可能である。
 ただ、最も、利権、既得権に変質しやすく、政治や行政と言った権力と結びついて腐敗を招きやすいやすい部分であることを忘れてはならない。だからこそ、国家理念、国家構想が不可欠であり、常に、情報の公開を要求され、厳しく監視されるべき部分である。高邁な理想や精神によってのみ社会資本は築き上げられるのである。

 行政費用は、極力、必要最小限に抑えるのが、鉄則である。その為には、行政の一部を現金主義会計から期間損益会計に移行する。即ち、民営化が有効である。なぜならば、現金主義会計は、時間価値に対して硬直的であるのに対し、期間損益は、時間価値に対して柔軟に対応できるからである。故に、行政の一部を民営化するのは、効果的である。その際に公的債務も併せて資本化することである。

 国防というのは、狭義で言えば軍を指して言うが、本来の意味には、もっと広い意味が含まれている。
 国防というのは、国家主権と独立の維持、国民の生命財産の保障を目的としている。国民国家においては、国家の存在意義をなす部分である。即ち、国家の主権と独立が維持されなければ、国家の自立している実質はない。国民の生命財産が保障されなければ、国家の存立意義はない。故に、国民国家において国防は、国家の存立意義である。当然その為の支出は、保証されなければならない。問題は、その量と質である。
 そして、国防支出は、その目的と対象によって決まる。
 国防の目的は、第一に、国外の敵から国家の主権と独立を護ることにある。第二に、国内の犯罪から国民の権利と命を守ることである。第三に、地震や台風、津波、洪水、火災、飢饉と言った災害から国民の生命、財産を護ることである。第四に、交易を保護し、国内外の取引を保証することにある。第五に、法や制度の保障である。第六に貨幣価値の保証である。

 国防をただ単に軍事だと思うのは早計である。

 国家は、権力であることを忘れてはならない。即ち、力の源泉なのである。だから、権力は抑止しなければならない。権力者は自制しなければならない。

 国防費というのは無制限な費用ではない。古来、国防費によって、多くの国家が、財政や貨幣制度を破綻させてきた。国防が本来の目的を忘れて侵略主義的な傾向を持った時、財政は、歯止めを失うのである。何から何を護るのか、それを明らかにせずに国防は成り立たない。その点だけは、忘れてはならない。
 近代でも、国家財政を破綻させる契機となる国債の異常な増発の多くは、戦争を原因としている。又、多くの疑獄事件の原因は国防費がらみである。国を護るための費用が、国を滅亡させ、或いは、権力の腐敗を招くのでは、意味がないのである。

 紙幣の流量は、物価に影響を与える。物価を形成するのは、需要と供給と貨幣の量である。貨幣の量は、需要は人的経済に関わる問題であり、供給は物的経済に関わる問題である。貨幣経済に関わる問題である。
 即ち、物価は、人、物、金の経済の均衡の上に成り立っている。

 市場は、生活水準の向上に伴って拡大し、生活水準の成熟に従って落ち着いていく。

 結局、経済的価値を決めている要素は、物と人である。貨幣は影に過ぎない。その影である貨幣に捕らわれて身動きできなくなりつつあるのが現代経済なのである。しかし、それは貨幣が悪いわけではない。貨幣に捕らわれている人間の問題である。現代人は、貨幣という影に怯えて自らを破滅へと導いているのである。




       

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