経済と陰陽五行(実績編)

財   政

 国家財政の役割は、国民を生かすことにある。いくら財政が黒字になっても国民が生きられなくなったら意味がないのである。財政赤字と言うが、何が財政赤字の問題なのか。財政赤字によってどの様な問題が起こるのかを先ず明らかにすることが肝腎なのである。

 財政赤字が社会問題化してから久しい。しかし、財政赤字は、一向に改善される兆しはなく、むしろ悪化し続けている。財政問題に取り組もうとすると、景気が悪化し、景気対策によって財政の出動が要求されるという悪循環が続いている。
 財政赤字を問題とするならば、財政赤字のどこが問題で、何が悪いのかを明らかにしておく必要がある。

 現代の日本では、財政赤字と財政赤字の額ばかりを問題にする傾向があるが、もっと重要なのは、財政赤字の何が悪くて、どの様な弊害を引き起こすのかである。
 問題の本質をよく理解していないと天文学的金額に目が眩んで、根本を見失い、かえって事態を悪化させる危険性すらある。又、問題の本質を明らかにするためには、財政を悪化させた原因も探求する必要がある。
 財政を悪化させたのは人間であって何の理由もなく財政だけが悪化したわけではない。
 大体、財政赤字とは何かと言う事も不明瞭なのである。
 財政問題は、対処療法では財政問題は解決できないのである。なぜならば、財政の本質は、国家観であり、経済哲学だからである。

 財政の悪化が国民生活にどの様な影響を与えるのか。それが根本的な問題である。それを知るためには、財政の働きを明らかにする必要がある。則ち、財政とは何か。第一に、財政は国家に対して、どの様な役割を果たしているのか。又、第二に、経済に対してどの様な働きがあるのか。第三に、国民生活に財政は、どの様な影響を持っているのかである。

 財政機能の根本は国家に対する働きである。故に、国家の役割とは何かに行き着くのである。国家の役割とは何かとは、国家の主体は何かである。国民国家においては、国家の主体は国民である。つまり、財政の役割は、国民に対する国家の働きに基づくのである。そして、その反作用として国民の国家に対する役割が元となるのである。則ち、財政の基盤は、税にある。

 財政の役割や働きを明らかにした上で、財政の問題や弊害を明らかにしないと財政赤字の本当の意味は理解できない。

 経済には、人の経済、物の経済、金の経済がある。根本は人の経済である。経済に、人、物、金があるならば、当然、財政にも、人の財政、物の財政、金の財政がある。現在は、金の財政だけが突出しているが、根本は人の財政、則ち、国民の財政である。そして、国家観であり、国家理念が基本である。

 国家の根本的役割は、国民の生命財産の保障にある。次ぎに民生の安定である。又、国民主権の保護である。そして、国民生活に必要な社会資本の整備である。
 また、国家の経済に対する役割は、物価や貨幣価値の安定である。次ぎに、所得の再分配によって格差を是正することである。又、雇用の維持である。

 財政が経済に対する働きで、最も重要なのは、通貨の供給と回収である。もっとも、通貨を発行し、供給するのは、現在は、中央銀行という独立機関に委ねられている。しかし、通貨の供給は、国債の発行や公共事業を通じてなされている。財政赤字の元凶はこの国債と公共事業にある。

 財政赤字の弊害でもっもと危惧されるのは、財政赤字が物価に与える影響である。次ぎに経済に与える影響である。また、国家機能、則ち、行政に与える影響。そして、財政赤字の国際的な影響である。
 個々の経済主体に与える影響を解明する必要がある。

 市場経済、貨幣経済を前提として現代経済は成り立っている。市場は取引によって成り立ち、貨幣は、取引を仲介する働きによって用をなす。そして、市場取引は常に均衡している。故に、取引によって生じる貨幣価値の総和は零である。取引を相殺して残るのは、取引によって生じた実体と貨幣、現金である。現金の本は借金である。故に、現金が流通している限り、借金はなくならない。問題は、通貨、則ち、借金の量である。

 国家収入は、所得によって成り立っている。所得は企業所得と個人所得によってなるが、その源は企業利益である。故に、企業利益が確保されなければ、経済は維持できない。
  入れる者あれば出す者あり、出す者あれば、入れる者あり。貨幣経済では、収入と支出は表裏の関係にある。故に、総和は零である。利益は、差によって生じる。差は時間と空間によって生じる。
 市場全体の利益は、市場取引の総量の増減による。市場が拡大均衡している場合は、市場に参加する全ての経営主体が利益を上げられるが、市場が停滞ないし、縮小均衡している場合は、利益を上げられる経営主体は限られてくる。結局は、税収も落ち。財政収入も減少する。

 財政を理解しようとしたら、表に現れている現象に目を奪われるのではなく。つまり、表に現れている現象を引き起こしている仕組みや形を解き明かす必要がある。そして、財政の働きを理解する必要がある。

 財政上、重要な働きの一つが通貨の供給ち回収がある。財政赤字が問題とされるが、実際は、通貨の供給と回収、則ち、通貨の供給量の調整が根底にあるのである。

 経済現象を引き起こす要因には、人的要因、物的要因、金銭的な要因、そして、会計的な要因がある。それらの要因が複合して経済現象を引き起こしている。

 インフレーションやデフレーションは、貨幣的な要因が強いと言われているが、貨幣的要因だけで引き起こされるわけではない。物的要因が重要な働きをしている場合も多いのである。何が、又どの様な働きが何にどの様に左様として引き起こされた現象なのかが重要なのである。則ち、経済における形と相の関わりを理解する必要がある。

 赤字ばかりを問題とするが、実際に問題となるのは、赤字の意味と原因であり、赤字その物ではない。
 財政赤字の問題点は、財政は赤字だという認識であり、次ぎに、赤字の原因は、借金によるものであり、借金だから返済しなければならないと思い込んでいることである。
 赤字といっても期間損益上でいうところの赤字と資金収支上でいう赤字とは意味が違う。資金収支上でいう赤字は、恒常的収入から支出を単純に引いた時、資金に不足が生じていることをいう。それに対し、期間損益上の赤字とは、期間収益から費用を差し引いた値がマイナスであることを意味する。

 財政破綻の背後には、貨幣経済の深化がある。それは、現在の貨幣制度が不兌換紙幣を基礎とした制度であり、不兌換紙幣は、公的な負債に基づいているからである。

 現代の市場経済は、借金を前提として成り立っている。それは、市場経済における経済主体の中核を担う民間企業が期間損益を基礎としているからである。
 なぜ、借金を前提として成り立っている。或いは、借金を前提とせざるを得ないのかというと、第一に、期間損益計算に資本主義経済は基づいているからである。二つ目には、資産の概念が成立したことである。三つ目は、それに関連して、償却という概念が確立したことによる。四つ目には、負債の概念の確立がある。五つ目は、利益の概念が成立したことによる。そして、もう一つ重要なのが現在の貨幣制度が表象貨幣を基礎にして成り立っているという点である。

 期間損益を確立するにあたり、なぜ、期間損益において損益と貸借を区分したのかというと長期変動と短期変動とを区別するためである。
 そして、この長期変動と短期変動を区分することによって償却という概念が成立し、期間損益が確立する。この様な前提で利益の概念は形成されたのである。長期的変動を固定的といい、短期的変動を流動的という。
 財政には、この長期的な区分がない。あくまでも単年度の現金収支を前提として成り立っている。その為に、資産という概念が確立されていない。なぜならば、資産という概念は、資産単独で成り立つ概念ではなく。その対極にある負債と資本の概念との関係によって成り立つ概念であるからである。現金収支上における財産という考え方は、そのもの自体が価値を形成する。それが財産と資産の違いである。
 同様なことは、借金と負債とにも言える。借金というのは、借入そのもの価値をいうのに対し、負債は、資産との関係によって成り立つ概念である。故に、負債の元本にあたる部分を返済しても金利相当部分以外収益に影響を与えることはない。長期負債の元本を返しても収益は改善せず。かえって納税と関連して資金不足を引き起こす可能性すらある。場合によっては、資金繰り倒産すらしかねないのである。

 民間企業は、負債を前提とし、負債を会計制度によって損益計算上で構造的に組み込んでいるが、国家財政は、現金収支計算を前提として負債の存在を前提としていない。その為に、負債を制御できないでいるのである。

 貸借上では、借金とはいわない。負債という。負債は、企業経営上つきものである。故に負債そのものの是非はあまり問わない。借金をすることは、手段、選択肢の一つであり、悪い事だとは誰も思っていないからである。是非を問うとしたら、負債の多寡や条件である。則ち、負債の程度と負債によってどの程度の負荷がかかるかである。つまり、資金繰り上の問題点と金利負担の問題である。企業経営では、資金繰りの問題と金利の問題は分けて考える。それは、分けて考える必要があるからである。金利の問題は費用の問題であるのに対し、資金繰りの問題は、資金収支の問題だからである。

 そして、現在の自由主義経済は、この現金収支を基礎とした経済と期間損益を基礎とした経済が混在した混合経済体制なのである。これが財政問題を考える上での大前提である。

 経済には、朝三暮四的な施策が多くある。それは、経済が主として配分の問題であることを証明している。
 税制などはその典型である。所得税控除を廃止するための財源として消費税を上げたり、年金を支払うために目的税を導入するというのは、結局、ただ、徴収する時期と対象を変えただけに終わることが多い。それによって財政が改善できるかというとそれほど単純な問題ではない。

 現に、財政政策において朝三暮四的な議論が、巷間、横行している。例えば石油税を廃止して、その代わり環境税を取ると言ったことである。税制の根本を忘れて、ただレッテルを貼り替えるような施策をしても物事の本質は変わらない。税制を問題にする場合は、税の目的とその税が経済にどの様な影響をもたらすかを明らかにすることである。

 税は、どの部分から、どの様にして、どの程度、徴収するかによって経済に与える影響に違いが生じる。

 課税対象は、所得、消費、取引、資産(有形、無形資産、諸権利)、使用、所有権、物品、人、サービス、輸入品等である。

 財政で重要になるのは、内的均衡と外的均衡である。内的均衡には、財政的均衡と経常収支上の均衡、資本取引上の均衡がある。財政赤字が問題にされるのは、主として財政的均衡である。しかし、国際市場で、実際に問題なるのは、経常的均衡と資本的均衡である。

 アメリカの財政政策は、手本には成らない。なぜならば、アメリカは基軸通貨国であり、特殊な立場にある国だからである。ただ、アメリカに基軸通貨国としての役割を期待するならば、アメリカの政策に合わせて自国の通貨政策を決めなければならないという事である。

 アメリカは、基軸通貨国として特殊な国なのである。アメリカの特殊性を前提としない限り、アメリカの経済は語れないし、アメリカの特殊性を考えるとアメリカの経済政策を敷延化するわけにはいかないことが理解できる。基軸通貨国でない国がアメリカと同じ経済政策をとることは危険なことである。特に、財政や金融、通貨政策に言える。

 アメリカは、自国の必要な物資の多くを自給することが可能である。その上、基軸通貨国であるから、経常赤字を出しても、資金の環流は期待できる。しかし、日本は、そうはいかない。

 財政は、その国の地理的要件や制度に多くを依存している。故に、その国固有の要素に負うところが大きい。一概に、一つの施策を是とするわけにはいかない。先ず前提条件を確認する必要がある。

 経済の目的は、人を生かすことにある。利益の追求や財政の黒字化は、目安に過ぎない。いくら企業の収益が改善されても雇用が確保されないければ景気は良くならない。財政が黒字になっても財政本来の機能が失われれば意味がない。経済というのは、本来、人々を生かす活動なのである。







                       



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