経済と陰陽五行(実績編)

空   間

 空間は、自己の所在によって設定される。自己の所在が定まると自と他の関係が定まる。自と他の関係が定まる空間が成立する。自と他の関係が定まると内と外の関係が生じる。内と外の関係が生じると表と裏が生じる。

 位置と運動と関係は、存在から生じる。大前提は、存在である。

 空間が成立すると空間によって内と外の関係が成立する。また、表と裏の関係が成立する。
 空間は、複数の座標軸によって形成される場である。最初の空間は、自己を起点として成立する。故に、内外の関係は、自己の存在する位置によって定まる。
 範囲と境界線のない空間を開放された空間とする。範囲と境界線に囲まれた空間を閉ざされた空間とする。

 政治的空間、経済的空間は閉ざされた空間である。範囲と境界線は、制約的条件、制約的前提によって設定される。即ち、制約的条件や前提が範囲と境界線を画定する。
 経済的空間は、範囲と境界、座標軸から成る。自と他の境界線によって成立する。

 空間には何等かの法則が働いている。空間に働いている法則は、一様の力によって保たれている。一様の力が働いている空間を場という。場に働く一様な力は、所与の法則と任意の合意に基づく法、規則とがある。場に働く一陽の力は、場に生起する現象の前提となる。

 一様な力が働いている空間を場という。場に働く力は力を一様に均衡しようとする作用が働く。

 場の力の状態を一様に保とうとする作用が場に働いている。或いは、場には、最も安定した状態に戻ろうとする性格がある。この場の力を一様に保とうという働きが場の力を均衡状態の方向に向ける。

 場に働く力は、個々の部分が安定した位置に落ち着くように働きかける。安定した位置とは、個々の部分の関係が一定に保たれる位置である。

 空間で問題となるのは、歪みや偏りである。歪みや偏りは、部分に働きかけて運動を引き起こす。歪みや偏りは、歪みや偏りを是正しようとする力を発揮させる。この様な力の作用がない場は、場そのものが成立していない。

 極端な偏りや歪みは場に働く力の均衡を破り、空間を分裂、分離させる。この様な歪みや偏りを解消する方向に場の力は働く。即ち、場の力は、均衡した状態が最も安定した状態であり、安定した状態に落ち着くような一方通行的な方向に向かう性質がある。それがエントロピーである。

 場には、場の力の関係を常に安定した状態に保とうとする働きがある。又、その働きによって場は維持されている。場を安定した状態に保とうとする作用は、場を維持するための働きである。そして、場に働く力を一様に保とうとする作用があるために、場を構成する部分には、場の状態を常に安定した状態、即ち、均衡させようとする方向に向かう性格がある。この様な働きは、場の歪みや偏りを是正しようとする力を発揮する。そして、それは、部分が位置を占めることによって成立し、部分が位置によって与えられ保つ力、そして、部分に働く力の元となる。

 市場は、安定した状態に向かう。安定した状態というのは、力が均衡した状態である。力が均衡した状態というのは、競争関係や競合関係が解消された状態である。

 政治的、社会的関係から言えば、戦国乱世から寡頭政治、君主政治への移行である。

 市場の安定を損なう要素は、歪みや偏りである。故に、市場全体の力は、歪みや偏りを是正する方向にはたらく。
 放置すれば、市場は、競争や競合関係を解消する方向に向かう。それが、独占、寡占状態、或いは、協定関係、提携関係である。

 市場や経済が安定した方向に作用するとしたら、経済で問題になるのは、市場の歪みや偏りをどうするかである。歪み偏りを、ただ、是正すればいいと言うのではない。歪みや偏りをどう活用するかが問題なのである。

 ケインズ的手法というのは、大きな石を投げ込んで波を起こすに様な手法である。波は、一時的に空間を歪め、或いは偏りをつくり出すが、恒常的な効果は期待できない。

 つまり、市場において競争や競合関係を保持しようとしたら、何等かの仕組みが前提となるのである。
 個々の取引が均衡しているという事を前提とするならば、企業業績が安定した状態というのは、収益と費用が同値でになることである。利益が収益から費用を引いた値だとすると均衡した状態になると利益は、上がらなくなる。
 企業は、会計原則の上に作られた仕組みなのである。

 もし仮に、市場の活力を保ちながら、利益をあげ続けることを目的とするならば、市場の活力を引き出す何等かの仕組みが必要となる。

 経済的均衡には、第一に、水平的均衡と垂直的均衡、第二に、内的均衡と外的均衡、第三に、拡大均衡と縮小均衡、第四に、時間的均衡がある。

 例えば、産業における水平的均衡というのは、製造、流通、販売の収益を横断的に均衡しようとする働きであり。垂直的均衡というのは、製造なら製造という局面を垂直的に均衡させようとする働きである。

 又、その時点時点での均衡を垂直的均衡といい。一定期間内の均衡を水平的均衡という。

 貸借上における内的均衡は、内部取引の相手勘定が対象となる。外的均衡は、外部取引の相手が対象となる。例えば、仕入れは、内部取引では、買入債務と商品が問題となり、外部取引では、買入債権ととの引き相手の売上が対応する。

 空間に在る要素や物に働く作用は、一定方向の働きとその逆方向の働きが均衡することによって一体の状態を保っている。力が均衡する状態が定常的状態である。一つの基準である。それが作用反作用の関係を成立させている。
 経済的に言えば売りと買い、貸しと借りは、同量で逆方向の作用である事によって取引を均衡させている。

 これらの関係は、相互に関連し且つ、表裏の関係を成す。表裏の関係は、陰陽の関係を生む。そして、この関係は、必然的に相対的なものになる。

 為替市場は、通貨圏の存在によって成立する。故に、為替市場は、通貨圏の境界線上に形成される。通貨の価値は、通貨圏の内と外では、表裏の関係を成す。

 空間が成立すると空間の成立によって位置と運動と関係が生じる。

 自由は、運動。平等は、位置。友愛は、関係である。

 社会を統制する組織が確立されると、その組織に占める位置によって権力が生じ、権力が発揮される事によって組織的な活動が可能となり、権力関係を巡って権力闘争が起こる。

 位置とは、距離である。運動とは、変化である。関係とは働きである。
 距離は、場所によって導かれる。変化は、時間の関数である。働きの本は力である。
 位置は点で表され。運動は、線で示され。関係は面を構成する。
 位置は、量を表し、運動は、方向を示し、関係は、相を形成する。
 位置は、水準である。運動は、速度である。関係は場である。

 位置と運動と関係を定める根本は、差である。差には、長短、高低、強弱、大小、軽重、厚薄、熱冷等がある。即ち、差とは、相対的な概念である。
 位置に時間が関われば運動になり、位置に力が関われば働きになる。

 例えば、比率は、位置を示し、回転は運動を表す。歪みや偏りは、空間の状態を表す。比率は、全体に占める部分の割合、即ち位置を示す値である。

 量、即ち、位置の変化は、流れを変える。流れの変化とは、流れる方向や速度の変化を意味する。例えば金利の高さや総資本の総量は資金の流れる方向を変化させる。
 力、即ち、働きの変化は、速度に影響する。速度の変化は、その時点、時点に進んでいる方向と作用する力の方向の総和によって決まる。

 位置は、量の元となり数や並びを生み出す。数は比較の元となり、並びは、順番、順位の元となる。
 論理的体系では、論理を構成する命題、要素の位置が重要となる。簿記、仕事、組織も
論理的体系を持ち、この順序、組み合わせが重要な意味を持つ。

 物事には順番がある。順番は、時間を生み出し、また、手続を定める。
 仕事で大事なのは、手順、段取り、手続である。物事の順番を間違うと、成ることも成らなくなる。
 将棋や麻雀といったゲームは、手順を競うゲームである。故に、手続にも決まりがある。
 順序、順番は、変化の法則を表し、その組み合わせは、一定の働きを生み出す。それが仕組みである。
 命題や要素の順番がアルゴリズムを構成する。

 人間が生活する場は任意な空間の上に成り立っている事を前提とする。生活の場が任意な空間の上に成り立っていることを前提とするならば、その場が成立した過程、経緯、即ち、歴史が重要となる。

 国民国家を興し、法を正当たらしめるのも手続である。故に、民主主義は、論理的手続によって成立する。

 経済空間は、労働と分配がつくり出す人的空間、生産と消費がつくり出す物的空間、収入と支出がつくり出す、貨幣的空間の三つの空間を重層的した構造を形成している。
 市場経済において三つの空間を調節する仕組みが会計制度である。

 三つの空間の運動が経済現象を見る上で重要となる。
 経済は、拡大均衡と縮小均衡の繰り返しである。拡大均衡や縮小均衡は空間の変化に伴って発生する運動である。市場の拡大均衡と縮小均衡によって資金や財の生成や流れが生み出される。この様な市場の拡大や縮小は、企業実績に影響を与える。それを一定の期間を定めて測定する手段が期間損益である。

 現在の資本主義経済、市場経済は、会計的空間を前提にして成り立っている。
 ただし、現在の貨幣経済は、かならずしも会計制度上に成り立っているとは限らない。現行の貨幣経済は、会計制度上に成り立っている部分と会計制度上以外で成り立っている部分がある。

 同じ貨幣経済下でも経済主体によっては、会計的空間に成立する主体と会計以外の空間に成立する主体がある。財政や家計は、会計的空間以外の空間に成立している。財政は、第一に、現金主義であり、第二に、予算主義である。それに対し、会計は、第一に、実現主義、発生主義であり、第二に、決算主義である。予算主義と決算主義は、法に対する基本的思想が違うのである。

 経営の実体は、会計によって表現される。ただし、産業や企業経営を成り立たせている実体は、人と物と金である。会計は、あくまでも、経営を成り立たせるためのリテラシーであり、論理である。
 つまり、自然現象や自然の法則は、数式によって表現されるが、自然現象や自然法則を成り立たせているのは、自然現象そのものであり、自然の法則そのものというのと同じ事である。数式は、あくまでも現象の背後にある何等かの法則を表す手段であって、それ以上のものではない。自然の法則にしても、その様な法則が働いているらしいと言う仮説であることが前提である。真実は、神のみが知るのである。
 経営や投資といった実際的な事象は、、会計空間に現れた結果に基づいて意思決定が下された結果なのである。

 現代の企業経営や産業は、会計制度が形成する空間上において表現される。経済政策を立案する上で問題となるのは、経済に通じるという者の多くは会計を知らず。会計に携わる者は、経済に関わろうとしないことである。
 会計制度の上で経済が成り立っていることを前提とすると会計が解らない経済学者も経済が解らない会計士も、自分が何をやっているのか理解する術がない。

 市場は、取引の集合体である。市場を形成する個々の取引を仕訳し、転記し、集計し、決算処理する過程、手続を経て、企業実績は、会計空間に写像される。
 この様に会計的空間も手続によって成立している。

 期間損益で言う取引と、現金主義で言う取引とでは、基準や意味が違う。又、一般にいう取引と会計で言う取引も基準や範囲に違いが生じる。即ち、各々、前提が違うのである。

 会計の全体集合は、会計上の取引によって形成される。会計制度とは、取引の集合である。会計上の取引は、会計を構成する要素間の組み合わせによって構成される。
 会計上の取引は、個々の取引が成立した時点で均衡している。即ち、総和は、零になる。又、零になるように要素が組み合わされる。
 つまり、会計上の取引は、順、逆、二方向の取引からなり、その力は均衡している。これが、会計を基盤とした経済の大前提となる。又、この二方向の取引が会計の空間を形成する。

 会計上の取引は、相手となる対象、取引対象、相手勘定を必要とする。或いは、会計は、相手となる対象、取引対象を前提として成り立っている。この相手となる対象が会計主体の位置を写し出す。会計の基本は表裏関係であり、鏡像関係である。即ち、会計主体は、自分を映す鏡を必要としているのである。
 近代貨幣経済は、この写し出された像によって形成される。会計によって表された像は、経済の実体に反映される。
 ただし、貨幣経済で経済の実体を動かすのは、資金の流れである。

 我々は、会計がつくり出す数値表に載せられた数字、即ち、貨幣価値の有り高に目が眩むだろう。しかし、そこに記載された貨幣価値に相当する資金が実際に手元にあるわけではない。資金、即ち、すぐに流通で決め現金の残高はきわめて少ない。
 必要な現金の有り高は、必要な時に必要なだけあればいいので、不必要に高水準である必要はない。むしろ不必要に高い現金の残高、有り高は、経営の効率を阻害する。
 実際に必要な資金の量は、資金の流れと資産価値(ストック)の有り高の水準との関係から割り出される。

 資本金一億円といっても一億円の資金があるわけではない。一億円というのは名目的な値なのである。
 企業は、会計基準に則って組み立てられた通貨で動く仕組み、機械のようなものである。通貨は、エネルギー、活力であって常時、力を発揮しているわけではない。

 会計では、表示された貨幣価値、即ち、名目的価値があることを前提として成り立っている。故に、名目的価値が重要となる。そこに、原価主義か、時価主義かの議論の余地が生じる。例えば、負債は、債務の存在が前提となり、債務の根拠は借用書という証書が法的な根拠、会計的な根拠となる。

 この様な会計的な根拠は、手続によって保証される。故に、会計的空間は、手続によって形成されると言っていい。
 会計情報は、登録、仕訳、転記、集計、決済整理を経て、損益計算書と貸借対照表に集計される。会計的空間は、この様な手続きを経る過程で形成される。

 企業や産業の会計的実体は、手続きを経て会計的空間に写像されることによって成立する。

 会計制度というのは、典型的集合である。先ず、会計は、複式簿記を基礎としている。複式簿記は、簿記が一つの全体を構成している。複式簿記の全体は、二つの部分集合からなる。また、二つの部分集合への区分には二通りある。一つは、二つの部分集合の、一つを、借方といい、もう一方を、貸方という。もう一つの区分の仕方は、二つの部分集合の一方を損益といい、もう一方を貸借という。
 更に、借方は、資産と費用の部分集合からなり、貸方は、負債と純資産と収益からなる。また、損益には、収益と費用の部分集合からなり、貸借は、資産、負債、純資産(資本)からなる。

 会計上、借方、貸方に表示された数値の総和は常に等しい。即ち、借方と貸方は常に均衡している。それに対して、現金収支では、最初に元金があり、現金取引が生じた都度、収入と支出を加算、減算し、常に残高が零にならないように調整する。

 つまり、現金主義では、残高が問題なのであり、均衡という思想はない。何が均衡しなければならないのかというと、債権と債務である。

 又、会計を構成する五つ要素、即ち、資産、費用、負債、純資産、収益には正の位置がある。資産と費用は、借方が正の位置で貸方が負の位置。負債、純資産、収益は、貸方が正の位置で、借方が負の位置。資産、費用、負債、収益は正の位置にあるときは、加算され、負の位置にある時は減算される。
 資産、費用、負債、収益は、正の位置の残高は、零より小さく、即ち、マイナスしない。
 
 現代の企業は継続を前提としている。企業の継続を実際に決定する要素は、資金残高である。資金が廻れば、企業経営は継続できる。つまり、利益の有無が企業経営を継続させている直接的な要因ではないのである。ただし、利益の有無は、資金の調達に決定的な役割を果たす。

 そして、資金の調達において、貸し借りの関係が基盤となった。なぜならば、期間損益計算が可能になったことで、長期的な資金の出納の見通しが立てられるようになったからである。そのことで、長期的な貸し借りの関係が成立するようになった。つまり、経済的価値が時間の関数として扱えるようになったのである。

 長期的な資金の動向が期間損益によって描けるようになったのが大きな収穫なのである。そして、その資金の動向に基づいて事業計画が立てられ、長期借入、長期貸出貸が可能となったのである。そして、長期負債の水準が位置となり、金利の運動が問題となるようになった。ただ以後も、負債の問題は、潜在的に位置(ポテンシャル)の問題として経営に影響を及ぼし続けることとなる。これは経済の問題でもある。サブプライムが問題化した要因は、証券化された債務の潜在的な高さ、位置が瓦解したことである。

 全体を構成する部分の位置と関係は、構造の基盤を形成し、個々の部分の運動は、全体の力を発揮する源になる。そして、個々の部分の調和によって全体は保たれる。

 経済や経営の動きを分析するためには、位置が保持するエネルギーと運動によって生み出されるエネルギーとはその作用する部分や働きに差が生じる。




                       



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