プロローグ


 志を持とう
 民主主義国では、自分の力で、社会の枠組みや仕組みを変えることができる。自分の力で、自分の生きている世界をよりよい世界に変えるか、変えないかは、自分の意志、志の問題である。
 学校は、服従と隷属を教える。生徒は、学校では、学校の制度や仕組み、カリキュラムや教科書と言った重要なものは何一つ変えられない。ただ、ひたすらに従うしかない。黒も先生が白と言えば従わなければならない。学校の先生が持つ権力は、圧倒的なものである。問題意識を持つことも答えを模索することも許されない。ただ与えられた問題を最初から決められた通りに答えなければならない。
 専制君主でもこれだけの権力を、持ち得たかどうか、疑問である。しかし、多くの教師にその自覚はない。教壇に立ち、強圧的な先生も困る。しかし、自分が、専制君主以上の権力を持っているという自覚さえない、自称進歩主義的先生は、一層始末が悪い。思想・信条をも支配しようしている事に気がつかない。それでいて、自分は、生徒の意志を尊重していると錯覚している。
 生徒は、先生の間違いに気がついても、先生の言いなりになるしかない。これでは、志を持つことは難しい。
 それに、生徒は、先生を選ぶこともできない。せいぜいできて、学校を選ぶことぐらいだが、それとて、得られる情報は限られているし、選択肢も少ない。自分が望む学校を見つけたとしても、その前に、受験戦争が待っている。
 こうやって生徒は、長い時間かけて飼い慣らされていく。自分で世の中を変えることなどできないと諦めかけた時に、社会に放り出される。
 だから、社会に出てからも覇気がない。自分で、自分の身の周りの世界を変えようとする意志が見られない。世の中を変えられると思っていない。志がない。奴隷根性が染みついている。ただひたすらに服従するしか能がない。それでいて、時々かんしゃくを起こす。
 しかし、世の中は違う。特に、民主主義国は違う。志があれば、自分の意志で世の中の枠組みや仕組みを変えることができる。だから志を持とう。世の中を変えよう。自分の生き方を変えよう。
 自分の人生は自分で決めるのだ。何が善いことか、悪いことかぐらい自分で判断しよう。警察に捕まってからでは遅すぎる。だから、志が必要なのだ。志は、自分にとって、何が、正しくて、何が、間違っているかを教えてくれる。生きる道を指し示してくれる。
 
 志を持とう。
 人は高邁な理由をつけて、つまらない事をする。それは、志がないからである。
 自分の行動に責任が持てないから、小手先のことで誤魔化そうとする。いくら、口先で高邁なことを言おうと、心根が賤しいから、行動も賤しくなるのだ。誤魔化しようがない。とってつけた理屈では、自分の行動を抑制しようがないのである。高邁であれば高邁であるほど行動との乖離が激しくなり、浮き上がる。信念がないのだ。志が最初からないのである。金儲けは金儲け。志があってこそ意味がある。志のないものが行うのは、金儲けに過ぎない。人を魅了することはできない。
 志があれば、人を圧することができる。だから、つまらない事で志を疑われるようなことは控える。それが、士である。心して行えば、鬼神も怖れる。志である。こうと決めたら、不退転の決意で事に当たる。断、断固たるもの、それが、士である。
 志があれば、自らの行動を恥じる。つまらぬ言い訳はせぬ。志のないものは、誇りがない。だから、つまらぬ事を言って、行って名を汚す。志があるからこそ、自らの言動に責任が持てるのだ。誇り高くあろう。志を持とう。

 この世に人として生を受けた以上、人としての生き方を極めようではないか。生きるとは、気迫である。生きる気迫の源は、性根にある。性根は、志で据わる(すわる)。だから、志を持とう。
 たった一度の人生だから、悔いのない人生を送ろう。志は、人生の指針、道標(みちしるべ)。希望の星。だから、志を持とう。





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