会議の本を探しても、基本的な事、初歩的なことを書いている本は皆無である。大体、いきなり、応用的な事やハウツウ的な話になる。それも、会議と言うより、話し合いのはばかりで、会議の基本や基礎についてほとんどかかれていない。
会議とは何かすら明らかにされていない。いきなり、会議は、会議の上手な仕切り方とか、会して議せずだとか、問題解決の会議だとかの話になる。
なぜこうなるのか。それは、日本人は、会議の場にルールを持ち込むことを極端に嫌うからである。しかし、規則のない会議は、ルールのないスポーツのようなもので最初から成り立たない。それは、スポーツではなく、果たし合い、決闘、果ては喧嘩みたいなものである。日本人は、ルールを持ち込むくらいなら、先に、形式を持ち込もうとする。形式を持つ込むとなると、口上まで決めてしまう。こうなると会議と言うよりも儀式である。儀式も会議の一種だと言われればそれまでである。まあ、結婚式なども、一種の会議だと言われれば、そう言えなくないかもしれない。
会議は、話し合いである。確かに。しかし、同じ話し合いでもルールに基づいて話し合いである。ルールも決めないで、マナーもわきまえていなければ、会議は収拾がつかなくなる。議論ではなく、誹謗中傷、罵り合いの場になる。もともと、会議は、違う意見の人間を想定してなされるものである。最初から意見が一致していたら会議を開く意味がない。この点も日本人は、解っていない。何でもかんでも、事前に結論を出しておいて、会議の場では、揉め事がないように計らう。しかし、これでは会議を開く意味がない。対立した意見を最終的に調整、決着をつけるのが会議なのである。手打ちの場ではない。事前にルールを取り決めていなければ会議は、成り立たないのである。
我々の先人は、それでも礼儀作法という形式を持ち込んだ。団塊の世代は、その礼儀作法まで否定し、ぶち壊してしまった。封建的だというのが、その理由である。確かに、過去の礼儀作法は封建的だったかもしれない。だからといって礼儀作法まで封建的だと決め付けるのは、おかしい。自分が怠慢と無能の言い訳に過ぎない。民主的な礼儀作法を作ればいい。ただ過去の物は悪いと打ち壊すのは、ていのいい責任逃れである。多くの反体制主義は、ただ壊すだけで、何も創造してこなかった。先人達の悪い所だけをあげへつらって、批判しているだけで自分は正しいと思い込んでいる。それは、卑劣なだけである。無責任なだけである。責任を持って物事に対処していく。それが大人である。会議の礼儀作法もぶち壊すだけぶち壊しておいて、それに代わるルールを示せないければ、会議が成り立たなくなるのは当然の帰結である。
会議は事前に準備されなければならない。つまり、会議は、計画され、設計されなければならない。会議の設計は、会議の要件に基づいて行われなければならない。
会議には、会議開始以前に多くの合意事項を積み重ねていかなければならない。しかし、その多くが暗黙になされている。その為に、会議の最終段階で会議が成立しなくなることが往々にある。このような問題を解決するために、自然の合意を様式化、手続き化しておく場合が見受けられる。ただ、それが形骸化した時、会議は、形式になりやすい。特に、日本人の会議が時に儀礼化するのは、日本人が会議の手続きを理解せずただ形式だけ模倣している事が多いからである。様式化するにせよ、手続き化するにせよ合意の内容を正確に理解しておく必要がある。
会議の要件は、会議の事前準備、事後処理上に重要な影響力を持っている。また、逆に会議の必要要件のうち幾つかは、事前に満たしておかなければならない条件である。
会議は、通常、事前の打ち合わせ、予備会議と事後の後処理会議を持っている。即ち、会議は、予備会議、本会議、事後会議の三つを一つの単位としている。
そして、この三つの会議は基本的な機能を別にしている。事前、事後の会議は、調節、確認、伝達が主たる機能である。それに対し、本会議は、議題の処理が主たる機能になる。
会議の要件とは、会議を開くために必要な前提条件である。
会議は、必要な要件を満たしていないと当該会議でも決議事項は、公式、正式には認められない。つまり、要件とは、成立要件である。
会議は、一定の要件を満たしていないと成立しない。要件は、目的や機能から決まり、形式によって現れる。この様な要件は、会議を成立させている要素それぞれにある。
会議を成立させるための前提、成立要件だけでなく。会議を構成する個々の要素にも要件がある。
会議を成立させる要素は、第一に、時間的要素。時間の共有である。第二に、空間的・物理的要素、空間の共有である。第三に、情報的要素、情報の共有である。第四に、概念的要素、目的や規則の共有である。第五に、人的要素、複数の人間の存在である。第六に、構成的要素、段取り・手順である。
第一の時間的要素とは、会議は、一定のメンバーが時間を共有することによって成り立っている。会議の時間には、基本的に限りがある。一定の時間を区切って行う場合と、一定の段取りによって時間を制限する場合がある。いずれにせよ、会議には、時間的制約があり、この時間的制約は、予め決めておく必要がある。
会議は、時間的、空間的に限定された範囲内で行われる。
今日、空間は、物理的空間だけを指しているわけではない。電気、情報、通信技術の発達によって通信ネットワーク上、インターネット上の仮想空間の中でも会議が開けるようになってきた。ただいずれにしても何らかの空間を共有しない限り会議は開けない。
特に、何らかの重要な決定を前提とした会議において、物理的、時間的、空間的に構成員が会議に参集できないような条件を設定することは、違法である。この様な条件下で開催された会議は、正式には承認されない。
会議は、全体の仕事や組織の内部に位置付けられる。会議の目的は、位置付けによって決まる。
会議の要件は、会議の目的や役割から定義される。その要件定義は、実際の会議の計画、実務によって表現される。会議の要件は、会議の在り方を規定する。
会議は、目的によって分類される。会議の分類は、会議を構成する要素を組み立てることによってなされる。この様な分類法を、構造的分類法という。
作業には、単独作業と、集団作業がある。集団作業には、集合的作業と、組織的作業がある。また、個々の作業の組み合わせにも直列的な作業と並列的な作業の組み合わせがある。また、定型的作業と非定型的作業がある。組織にも、ラインとスタッフの別がある。その他にプロジェクトのように正規の組織外の組織もある。
会議の在り方は、これらの業務や組織の流れに影響される。必然的に仕事や組織の目的や機能、在り方なにって会議の要件も違ってくる。会議の要件を割り出すためには、会議を成立させている全体像、背景を把握する必要がある。
会議を開催するためには、必要な情報は共有されていなければならない。少なくとも、会議を開催されるに当たっての前提条件、経過に関する情報は、均質均等に伝わっている必要がある。
会議に出席者に対する情報が何らかの形で操作されていたり、偏りがある場合、また、決定に重要な影響を与える事項が秘匿されたり、虚偽の情報が流された場合、会議の決定事項に重大な瑕疵や不均衡、不平等、錯誤、過誤が生じる可能性がある。意図的になされたと判断された場合、不正行為、犯罪と見なされてもおかしくない。また、会議の最中に一部の人間にのみ特定の情報が流されたり、また、逆に伝えられなかったりした場合、決定に悪影響が出る。
また、決議事項が、出席者の了解なしに事後、変更されたり、間違って伝えられた場合、決定事項に対し、出席者は、責任が持てなくなる。事後の変更や修正、破棄に関しては、出席者全員の了解を必要とする。
故に、会議の内容、決定事項は、記録を取られ、確認する必要がある。また、必要なメンバーが欠席した場合は、必要な事項を報告、伝達する必要がある。
会議には、情報を均質、均等に同時に伝える効果がある。また、会議を開く目的の一つが、情報を均一同時に伝えることがある。また、議事録のような記録は、議事や決定内容を正確に均一に保つことができる。それによって、意思統一を図ると同時に、決定事項、作業の遡及を防ぐことができる。これは、事後法の禁止に端的に表れているが、一定の作業が、決定時点以前に遡ることを防いでいる。例えば、方針を決め、計画を立て、細目を検討していた時に細目で遺漏が生じた場合、計画まで遡及しても、その前の方針までは遡及させないと言うようなことである。いずれにしても複数の人間が会議に参加した場合、解釈の相違や聞き違えによって重大な錯誤が生じる場合がある。その場合、記録が残っていたらその記録によって裁定することが可能である。
中途の会議を平気で欠席する者がいる。特に、日本人には、多い。しかし、中途の会議を欠席すると情報にむらが生じる。知っている者と知らない者。知っている事と知らない事が混在すると、組織の運用にも重大な齟齬が生じる。また、意思決定に関しても重要な構成員を抜いて行われた場合、決定の信憑性に瑕疵が生じる。会議は過程が重要なのである。情報の共有は、一つの会議だけで取られるべきではなく。一つの事業、一つの組織全体で為される必要がある。
情報を共有化し、確認するためには、会議の資料、記録を手続きに従って保存しておく必要がある。それは、情報の均一化、標準化のためにも不可欠なことである。また、議事録の確認は、重要な要件の一つでもある。
会議を成立させる成立要件は会議の目的に深く関係している。会議を設計するためには、会議の要件定義がされていなければならない。会議の定義は、要件定義によってなされる。会議の要件定義は、会議の目的と機能からされる。会議の要件定義は、会議のルール、規則、段取り手順、議場、議題に反映される。最終的には、案件の処理の仕方として表現される。
要件は、会議の種類によって違う。それは、会議の目的によって会議の種類が違ってくるからである。会議の種類によって自ずと会議の原則、規則、取り決めが違ってくる。
会議の規則や原則は、相対的なものであり、絶対的なものではない。それ故に、会議の原則や規則は、会議毎、会議の都度決めなければならない。また、出席者に確認を取らなければならない。
特に決定を要する会議は、定足数、決定方法と言った重要な要件が加わる。この様な定足数や決定方法は、会議単独では決まらず。会議を成立させている前提条件、例えば、国会では、人口や有権者数、代議員数などが定足数を算出する前提条件となる。
会議の構成人員は、重要な要件の一つである。出席者の資格、権限、会議内での役割は重要な要件である。出席者の資格、権限は会議の性格によって異なる。会議の性格では、出席者が平等の資格で取り扱われる場合がある。また、議長に特別な資格、権限を与える場合もある。逆に、議長を採決に参加させない場合もある。また、出席者に対し、会議の役割に応じた権限を与える場合もある。会社の役員会、閣議のように、会議そのものに組織を内包している場合などがその例である。また、オブザーバーや専門家のように会議に出席しても採決権・表決権を与えられていない場合がある。また、株主総会のように、持ち株数に応じて投票権・発言権に差がある場合がある。
この様に、正式会議においては、出席者の資格、権限、責任、役割分担を明確にしておく必要がある。
会議の自体の役割分担も重要な要件の一つである。会議において、必ずしも議長が必要だとは限らない。最近の会議では、議長ではなく、進行係、司会という形で行われるケースも多く見受けられる。また、議長も普遍的な権限、絶対的な権限があるわけではない。また、議長の他に副議長を置く場合もある。また、裁判のように、裁判長以外に複数の裁判官を置く場合もある。ただいずれの場合でも会議を仕切る者を一名決めておく必要がある。議長すら明らかでないのだから、書記、事務方は、尚更である
日本の会議驚くのは、議長が不明確であったり、複数いたり、ひどい場合、誰も、議長がいないという場合すらある。このていたらくであるから、書記も議事録もないと言う会議がほとんどである。だから、後で言った言わないでもめる。議長と言わないまでも会議のの中心、打ち合わせの責任者ぐらいは事前に明らかにしておかなければ。
また、会議の原則も会議毎に明らかにしておく必要がある。会議の原則は、絶対的でなく、相対的な原則である。会議の目的、主催者、議長の考え方、会議の性格、会議の運営方法などによって会議の原則は違ってくる。一事不再議の原則についても全ての会議に適用されるとは限らない。決議を何回か繰り返したうえで最終決定を下す会議もある。この様な原則は、その原則を採用するかしないかは、事前に決めておく必要がある。
会議の議題も重要な構成要素の一つである。議題の要件は、第一に、テーマ。第二に、主旨。第三に目的。即ち、伝達事項か、意思決定事項か。第四に、発議責任者。第五に、処理の仕方。報告事項か、採決を取るのか。採決を取るのならば、何をどの様に採決するのか。そして、この様な要件を予めに明らかにしておく必要がある。
会議自体の基本的な要素は、第一に聞く。第二に、決める。第三に伝えるである。中でも何らかの決定を含む会議は、会議を開く前に、決定方法に関し合意を取り決めておく必要がある。
議題をこの三つの要素に従って分類をしておく必要がある。その上で、議題の処理の仕方をその目的に従って予め予測しておく必要がある。そして、可能な限り、会議の冒頭で予定を明らかにしておくことが大切である。
会議の議案、議題には、優先順位、順序がある。それに従って要件も派生する。第一に、要件には、開会のための要件、閉会のための要件がある。第二に、要件には、議事進行のための要件がある。第三に、要件には、手続き上の要件がある。第四に、要件には、出席条件上の要件がある。この様な段取り、手順上の要件は、会議の性格によって決まる。
正式な会議には、基本的に、聞く会議、決める会議、通知する会議の三つの形しかない。それぞれ聞き方、決め方、通知の仕方があり、聞くためのルール、決め方のルール、通知の仕方のルールがある。
その他に、補助的な会議として、情報交換や意見交換、問題解決のための会議、議論討論のための会議や特殊な会議として取引のための会議があるが、あくまでも、それらは、補助的、ないしは、特殊な会議である。
会議は、必要な要件を確認しておく必要がある。必要な要件とは、会議の目的、日時、時間、場所、出席者と出席者の資格と権限、会議中の役割。出席者が用意する物、持ってくる物。必要資料と配付の方法。会議の規則と成立条件(定足数等)。議題と式次第、採決、票決がある場合には、その方法。会議の主催者(招集権者)、議長(司会、会議責任者)、書記、事務局、会議の前後の予定、日程などである。
日本人は、とかく会議を曖昧に始めて、曖昧なままで終わろうとする。その結果、何の解決にも結びつかない。ただ話の話で終わることがある。それは、情報交換の場であり、正式の会議と言うには、あまりにお粗末である。それでありながら、和を以て尊しとなす。その場の雰囲気で何でもかんでも判断していこうとする。その結果、責任の所在が不明瞭になる。何事もなければ、問題ないが、一度不祥事が生じると責任のなすりあいがはじまる。事なかれ主義か、日和見主義も先例主義に囚われて問題が先送りされる。結局、戦争という大事すら一体、なぜ、誰が始めたのかすら明らかにできない。それは、今でも変わらない。我々は、それを改めない限り、また、同じ過ちを繰り返すことになるのであろう。
国民国家、民主主義は、会議の体制である。会議の技術を会議の基本を知らなければ、民主主義は成り立たない。会議の基本原則を忘れたら、日本に民主主義は育たないのである。